今年の桜も、満開のとき。
昨夜は、かなりな花散らしの大雨でしたが、
まだあと少し、お花見を楽しめそうですね。



ず~っとご無沙汰をしていました。
皆さんのブログにも、
遊びに行けず、 ごめんなさい。



実は縁あって陸前高田市に赴き、
あるイベントのため
特産の素材を使ったお菓子作りを担当させてもらってきました。


自分の仕事や活動について、
この場で書く違和感も正直ありつつ、
帰って来てから
何を作っても、他のどんなことを書こうとしても
陸前高田での風景や、
見聞きしたさまざまなことが
いつまでも頭から離れず、
折々に思い出してばかりなので…

少し、思い出話をさせてもらいますね。



陸前高田へは、
新幹線で一関まで行き、
そこから車で、1時間半。
レンタカーに、大好きな仲間3人で乗り込み、向かいました。

はじめは旅行気分でうきうきと楽しく車を走らせていましたが、
次第次第に風景は深刻さを増してゆきました。

津波の被害というのは、
まるで線でも引いたかのように、
被害を免れたところと受けたところの落差が目にも痛々しく
ハンドルを握りながら涙がこぼれて仕方がない程、
辛い光景でした。

逗留していた気仙沼でも、あちこちで大きな傷跡が見られましたが、
それでも高台があり無事だった大きなホテルをはじめ、
鉄筋の建物がいくつも流されず残っていたり
港から海を見やれば大小の船がたくさん行き交うなど、
希望が湧いてくる眺めもありました。

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それに対し、
陸前高田は、海岸に近い低地が中心。
そのため津波の被害も殊に甚大で、
家屋だけでなく線路も駅も大型店も、
街の機能のほぼすべてが海にさらわれ、
いったいどこまで続くのかというほど、
がれきを撤収した後の
何もない更地が何kmも広がっています。

盛り土をした土地のそこここに揺れる枯れ草が
進まぬ復興を物語っているようで。


滞在中ずっと忙しかったのもあるけれど、
陸前高田の風景を写真に撮る余裕が、
ついに最後まで持てないままでした。

それでも、
支援に行った人の方が元気をもらう、とよく耳にしますが、
後から思うと、
まるで幸せをもらいに行ったような毎日だった気がします。

市の職員の方によれば、
遠くの高台は殆んどが山林だそうで、
安全な住宅を建てる土地が足りず、
今も多くの方が仮設での暮らしを続けていらっしゃる状況です。
この眺めを毎日目にしながら、
進まない復興にどんなにか心折れること多かろうと思うけれど、
あちこちで何度も何度も、
来てくれてありがとう、と言っていただいて、
皆さんの明るさ、優しさに力をもらってばかりの日々でした。

こちらで準備のうちから頂いた、
さまざまな思いやりや手助けを携えて現地に着き、
着いたら着いたで、
現地の方々のお世話になるばかりで、
私達に何が出来たのか
今でも実感はありません。

けれど、
たくさんの数と種類のお菓子をただただ一緒に作り続けた数日間、
「楽しかった~!」
と言ってくださったこと、
作る楽しさ、味わう喜びをみなさんと分かち合えたことだけは、
宝物になりそうです。

せっかくいただいた縁を大切に、
一度きりでなく、
つぎは個人で。


春は数日で、ぐんと変わるものですね。
数日ぶりの東京では、もう桜が見頃になり
うちに帰ればムスカリが
今年も可愛い花で迎えてくれました。


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どこまでも枯れ草ばかりの陸前高田から帰ると
こちらはぽかぽかとあたたかく
なんでも揃っていて
道は舗装され、お洒落も出来て、
食べたいものを食べられ
流通もインフラも不自由はなくて。
それでも、
不満が幾つも幾つもあるよなぁ~、と気づいたり。

私など、ほんの数日の滞在で、
大した不自由もなかったけれど
宿泊していた気仙沼で、
帰りが遅くなった夜にコーヒーが飲みたくなったことがありました。
3人で車に乗って暗闇をひた走ったすえ、
やっとやっと、LAWSONの明るい看板を見つけ
淹れたてのコーヒーをもらった時のあの嬉しさは、
なんだかずっと忘れられないんじゃないかな、という気がしています。

思えば、
娘を一人で留守番させての泊まりはこれが初めて。
そんな家族の助けにも、
さまざまな多くの出会いにも感謝しつつ
自分に出来ることが少しずつでも増えるように
忘れず日々暮らして行こう~と思うけれど、
どうにも 、力足らずです。


少しだけ、と言いながら、
やっぱりダラダラと、長くなりましたあせるあせる