人はいつも最善を選択をしているという前提で関わるということ その1 | 笑顔のたねのプレゼンター

笑顔のたねのプレゼンター

私の生まれて来たミッションは「皆が笑顔で暮らせる社会を築くこと」。そのためにできることは、自分が笑顔でいることと、周りの人に「笑顔の種」をプレゼントすること、そんな生き方をしたいと思って、このタイトルを付けました。

人は、いつも最善を選択をしているということを裏から見ると、

人の行動には問題行動はないということが言えると思います。


これはどういうことか?

その人と関わるなら、その人の全てを受け入れるところから始めよう。

ということにつながるかもしれません。


行動だけ見ると、殺人、強盗、詐欺、自殺、不登校、暴力、飲酒運転、

これらが問題行動でないなんて、思ってはいません。

当然許すべきことではないことと理解しています。


ここで、言いたいのはその人と関わるとき、今までとってきた行動を

最善を選択をしていたと理解することによって、接し方が変わるということです。


先日のブログで、大相撲の八百長問題について書きましたが、

怪我なども省みず、毎日本気で勝負している人がいる反面、

長く現役を続ける為に手を抜いたり、星の貸し借りをしたり

する力士がいたとしましょう。


見る側からすれば、前者は当たり前で、後者は問題があると思えます。

しかし、その力士の生活という立場に立ってみれば、

長く現役を続けることは、有利だし、家族を守る為なら仕方がないことなのかもしれません。


あるあるの捏造事件をとっても、その責任者の人は

大衆を騙した大ばか者と、見られても仕方がないし、私も許せません。

けれども、その背景にテレビ局間の激しい視聴率争いや、

スポンサーへの立場、上層部からのプレッシャーなど

その世界で自分が生きていくために、そうせざるを得なかったということを

理解すれば、その人に対する接し方が違ってきます。


私は、人と関わるときは、一旦思い込みを外して

その人が最善を選択をして行動した結果が今あるんだというところに

意識を持って接するようにしました。

そうすると、凄く楽な気分になり、腹を立てることが減りました。


次回はそのあたりを具体的に書いて行きたいと思います。