本当の話 【後編】※長文注意 | .

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【前編】を読んでいない方は

先に読んでからどうぞ。


本当の話【前編】







いつかの6月28日

誕生日の前日、静岡に帰ってきた。

何年前かはもうよくわからない。

とにかく車いすを押す弟に

「来たねぇ!来たねぇ!」と

何度もつぶやいた事を覚えている。



それから1年ほど自宅療養の日が始まった。

決して治った訳ではなく

Xデーまでの猶予期間をもらえたと

その時は思っていた。



友達が会いにきてくれた。

食事に連れて行ってくれた。

お酒を飲みにも連れて行ってくれた。



お酒は大丈夫なのかと聞かれたが

医者にも許可はもらっていて

むしろ血行が良くなるせいか

飲んでるときは調子が良かった。


少しずつ歩くようにもなって

3ヶ月もするとほとんど普通の生活が出来た。



もちろん走ったり出来ないし、

階段を上ると息が切れたり

長い距離を歩いたり、

重いものを運んだりすると息が切れた。

おじいさんみたいなものだった。



そんな中、友達が釣りに連れて行ってくれた。

すぐに夢中になった。



午前中はのんびりして

午後から釣具屋に行ったり

古本屋で釣りの本を買って読みあさった。

夕方には買物をして夕飯を作った。


徐々に人間らしい生活に戻りつつあった。



もっと釣りに行きたい。

もっと釣り道具が欲しい。

もっと遊びに行きたい。

もっとお金が欲しい。


仕事がしたい。



退院から1年ほど経った頃

医師に許可を得て仕事を始めた。


「死にたい」と思っていた頃と違い

本当に毎日が充実した。




もしも突然、医師に末期ガンですと

告げられたとして


「余命は3ヶ月です」


と言われる場合と


「余命は30年です」


と言われた場合どうなるだろう?




余命を3ヶ月と言われたら

そこから毎日が貴重な時間で

生き方が変わるでしょう。


しかし、30年と言われた場合

なんだかピンと来なくて

いつもと変わらない毎日を送りながら

無駄に時間を過ごしてしまったり

必要以上にネガティブに生きてしまうでしょう。


ボクはそうでした。


あの諦めた時間は本当にもったいないと感じた。


寿命が3ヶ月だろうと30年だろうと

人に与えれれた時間は同じ。

健常者でも障害者でも、

悪人でも善人でも、

1日は24時間で同じなのです。




だから本気で生きることにした。

死ぬ気で生きようと思った。



それからは仕事の仕方も考え方も

自然と変化していた。



仕事って何だろう?

ボクの扱っている広告って何なんだ?

これからこの業界はどうあるべきなんだ?

会社って何を目的にしているんだ?



気が付いたら独立の道を選んでいました。



独立って何なんだ?

企業とフリーランスの違いは?

自分のビジョンは何なんだ?



最初の1年は本当にこのことについて考えた。


そして行き着いたのが



将来、文化として残る仕事。

人の心に届くデザインを創り続ける。




ビアンコネロ株式会社の理念。


ボクが病床で感じたことは

生きた証を残したいと言うことだった。


お金はあの世に持って行けません。


この世から去る時に人間が感じる…

生物全てが感じる本能が

「残す」と言うことなんだと感じた。


生きている時は散々欲しがったのに

死ぬ時は残そうだなんて面白いなと思う。


そんな中でボクなりの解釈を見つけた。




「人間としての誇り」が大切なんだ。



ムカついたからぶん殴る。

欲しいから奪い取る。

ムラムラしたから浮気した。



本能のままに生きるのは

野良犬でもできるじゃないか。


自分たちが住みやすいようにルールを決めて

理性的に行動し生活していく姿が

人間として一番誇らしいと思った。


他者が喜ぶ顔を見て

それ以上に喜びを感じられる

唯一の生き物が人間である。

それがどんなに誇らしいことか。


それを仕事にしよう。

そうしたら必ず必要とされる会社になる。

そこには必ず文化となる仕事がみつかる。


そうして生まれたのが

プライスゼロ・プロジェクトでした。



みんなえがお、わたしえがお。

というキャッチコピーは

他者を笑顔にする事で

自分自身が笑顔になれるという

意味が込められている。


プライスゼロ・プロジェクトの

詳しい内容は割愛しますが

ボクなりの答えだった。



本当はお金も沢山稼いで

家族に恩返しをしたい気持ちはある。

特に弟とお袋には迷惑いっぱいかけてるし

今だって沢山負担をかけている。



もっと沢山稼いで小遣いを上げたり

旅行へ連れて行ったり、

家も建ててやりたい。



でも、きっとうちのお袋は

そんなこと望んでないと思う。


一度は死にかけた息子が

こうしてまた普通の生活しているだけで満足だ。

そんなことを言うと思う。


だからこそ弟とお袋が

「うちの兄貴こんな仕事してんだぜ」

「うちの息子がこんな仕事してるの」と

誇りに思ってもらえるような仕事をしていたい。

それが今すぐ出来る家族孝行だから。



そんな想いで事業を行っています。

これだけ読むとカッコつけた感じで

イヤらしく思うかもしれませんが

本心なんです。




これから応援してくれる人も

そうでない人も出てくるだろうと思うけど

長々と書いたこの文章が全てです。



実際に会うとこんな真面目な話もしませんし

ふざけた話ばっかりで頭も悪いし

サッカーと可愛い子が好きで

ちょっとスカした感じです。

どこかで遊んでいたり

夜の街で飲んでいる姿を見たら

あいつ本当に障害者かよ!

ホントは大げさに言ってるだけじゃないか

なんて思う人もいるかもしれませんが

出来るだけ普通の人と同じ生活をしたいんです。

ご理解頂けると嬉しいです。


いつだったか医師に

闘病の記録を本に

なんて話をもらったこともありますが

もっと深刻な状況になるか

ハッピーエンドじゃなきゃ書けませんよと

冗談言いました。


本を書いたりするかは別にして

障害者でもチャレンジすれば

ここまで出来ると言う話を

いつか同じ障害を持つ人や

小学生や中学生なんかに話せたらいいなと

少しだけ思っています。



これまで出会った人でも

ここまで知っている人は少ないし

今後どんな反響があるか怖い所もありますが

ボクはボクなりの人生を生きてますし

命賭けて事業をやっているつもりです。




長くなりましたがこれが本当の話です。