攻城の種類(調略/謀略) | 「ニッポン城めぐり」運営ブログ

攻城の種類(調略/謀略)

攻城の種類シリーズ、これまで力攻め奇襲 を取り上げてきましたが、今回は調略・謀略編です。


力攻めも奇襲も、実際に兵を使って城を攻めることには変わりありません。つまり大なり小なり犠牲者を伴いますが、それを避けてできるだけ効率よく城をめぐる、ではなくて奪うのが謀略・調略です。


戦国時代にもっとも多く見られるのが、城内にいる内通者ナゾの人を寝返らせて、城を内と外から攻め立てる手段です。例えば武田信玄の家臣、真田幸隆(幸綱)は、信玄ですら落とすことができなかった信濃村上氏の砥石城を調略でもってあっさり1日で攻略しています。ちなみに幸隆の子、昌幸も多くの城を落としていますが、その多くが敵城内に内応する者を見つけ出して、最小限の犠牲で城を乗っ取るというものです。


この内応は、落城が間近になってくると顕著に増える傾向にあります。家臣団コレクションでは、まんじゅうをくわえているというウワサの荒木村重が信長に反抗して起こした摂津有岡籠城戦も、最終的には内通者が出たことによってほころびます。


逆に、内応にミスってしまう哀れな武将もいます。大坂冬の陣で籠城方だった南条元忠という武将は、内応する前に発覚して切腹させられます。そうとは知らない幕府方は、内と外から攻めるつもりが逆におびき寄せられ大損害をこうむったという話です。小田原城の戦いでも、豊臣秀吉に内応しようとした松田憲秀という北条家重鎮が、息子にチクられてあえなく監禁されています。内応するときはバレないようにしましょうね!という教訓です。


以上を「調略」と言うならば、「謀略」と呼べる手法もあります。城主を暗殺したり、和睦と称して城を開けさせ皆殺しにしたりと、今風に言うと“せこい”手段も、戦国時代にはごく普通に用いられていたのです。謀略の事例については、またブログにて別の形で取り上げるとしますメモ


ということで、攻城の種類シリーズ、またまた次回はいつになるかわかりませんが、そんなに遠くない未来にまたお目にかかりましょうビックリマーク