フランスにおける差別 | PAGES D'ECRITURE

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フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。

週刊誌Le Nouvel Observateur の先週号(2009年3月26‐4月1日、通巻2316)から、「差別 discriminations 」に関する対談を引用します。原文は誌面4ページ分に及び、1度に掲載するには長過ぎるのですが、適当な区切りが見つからなかったので、まとめて掲載します。

記事のタイトルは、文字通り、Les discriminations en France (フランスにおける差別)です。



Les discriminations en France

Le face-à-face Louis Schweitzer-George Pau-Langevin



HALDE(反差別・平等高等審議会)の総裁と社会党の国民議会議員が、差別と闘うための手段、割り当て制と民族的統計に関して討論する。

Le Nouvel Observateur/France-Culture. - 2008年、HALDE、差別に反対し平等のために闘う高等審議会は、8000件の訴えを受け付けました。一方で、その最新の調査によると、調査対象者の8%が過去12ヶ月間に何らかの差別を受けたと答えています。400万人に相当し、大きな社会現象と言えます。フランスは、多様性の鏡にいるとは認めるのは困難なのでしょうか?

Louis Schweitzer. – フランスには確かに、多様性という問題に関して遂げるべき進歩があり、それはHALDEの役割です。差別はフランスに固有の問題ではありません。欧州の全ての国で、同じ割合の人々が差別の被害に遭ったと判断しています。例えばグレートブリテンでは、労働裁判評議会に相当する英国の同等の機関に対して、年間80000件を超える訴えがあります。4年前のHALDEの創立以来の、差別に関する訴えの増加は、肯定的なものであると私は考えます。人々が徐々に、諦めることなく、自分の権利を意識するようになっている兆候であり、HALDEが有効な救済機関として認められるようになっていることの現われです。しかし2人に1人のフランス人はその存在を知りませんし、差別されたと断言する400万人と8000件の訴えを比べると、まだしなければならないことがたくさんあることがわかります。

George Pau-Langevin. – 我国では、実に長い間、移民や少数民族と呼ばれるものの出身の人々は、自分の状況を差別という言葉で分析するのを躊躇していました。そして、社会に同化する最も有効な方法は角を丸くすることでありい、全体の中に溶け込むことができると示すことだと考えていました。それは、我々のフランス的同化モデルのせいでした。今日、差別についてより多く語られるという事実は、我国の法にこの原則を導入した、欧州の規制の影響から生じています。これはさらにフランスに、英国にずっと前から存在していた人種の平等のための委員会にならって、HALDEのような組織を確立することも要求しています。こうして、差別がある種の状況を説明できる現実であると、人々は考え始めています。しかし現在、反対に、あらゆることや、何もかもをこの言葉の下に置いているようにも見えます。


N. O./F.-C. - 実際に、法律で禁止されている18の差別の基準があります。年齢、性別、出自、家庭の状況、性的傾向、生活習慣、遺伝的性質、一つの民族、国民または人種への真の、または想定された所属、身体的外見、障害、健康状態、妊娠の状態、姓、政治的意見、宗教的信条、組合活動です。これらの全ての基準に順位をつけなけれgばならないでしょうか?HALDEは、肥満のような個人的な特徴に由来する恣意的待遇を、「人種化された」集団への所属に由来する待遇を区別しません。これは、人種主義という常軌を逸した問題を退去させ、「目に見える少数者」が出遭っている障害を過小評価する手段ではないですか?

L. Schweitzer. – 私はそう思いません。これらの18の基準はHALDEが作ったものではなく、フランス刑法典に由来するものです。あなたが何らかの差別の被害に遭ったとき、その差別の性質を序列化することは容易ではありません。年を取りすぎているからと言われて雇用を拒否された45歳の男性は、皮膚の色を理由に差別された25歳の若者と同じくらいの困難な人道的、経済的状況にあります。私は全ての差別の中に、作用している同じメカニズムがあると考えます。偏見、無知、他者への無理解、基本的な尊厳における人類としての人間の無視です。あらゆる差別が同じ方法で扱われることを正当化するのは、この共通の背景です。確かに、特異的な問題があります。心身に障害のある人の状況は、他国から移住してきた人の状況と厳密には同じではありません。しかしこれらの問題を識別し、解決するために活用すべき、メカニズムの共通性はあります。一方で、多重被差別者がいます。例えば、イスラム教徒の出自で50歳の黒人女性は、異なる4つの基準によって差別される可能性があります。
G. Pau-Langevin. – 私には、異なる水準があるように見えます。そしてそれが、差別に対する闘いの欧州綱領を書き写さなければならなかったときに、私たちが抱いた困難さの一つです。擁護が半ば絶対的な基準もあれば、擁護が相対的な基準もあります。このために、性的傾向または国籍の問題に関わるグループの一部は、自分たちに与えられる保護が、身体的外見または人種を理由に差別された人々に提示されている保護と全く同じに見えないという事実に反対して立ち上がることもあります。私たちには本当の困難もあります。特定の行動が、別の行動よりも許せないということがあるでしょうか?18の基準があるという事実のために、法制度の理解し易さを単純化できません。

L. Schweitzer. – 道徳的に他よりも容認できる差別があるのですか?例えば、性的傾向を理由にした差別が、出自を理由とした差別よりも重大でないと見なすことは、私には大変困難です。差別に道徳的に順位を付けることは、私にはできません。反対に、特定の基準については、例外もあり得ます。差別に関する法律の中には、欧州に原典があるものと、固有の規範とともに国内に原典があるものがあります。これが無用な司法上の複雑さを創り出しています。


N. O./F.-C. - CRAN(Conseil représentatif des Associations noires 黒人団体代表委員会)をどう考えますか?CRANは、人種という言葉を引き受けると言い、例えば性的傾向や肥満を利する形で人種問題あるいは、民族問題を過小評価していると非難していますが。

L. Schweitzer. – 他よりも受け入れられる差別があるという、この暗黙の考えに私は衝撃を受けますし、被害者にとっては耐えられないように見えます。マグレブという「人種」がないからといって、被害者がマグレブ出身である差別が、被害者が黒人系の人である差別よりも受け入れられますか?明らかに違います。差別の間にあるこれらの微妙な違いは、私には健全であるように見えません。

G. Pau-Langevin. – 不可解なことに、特定の差別は多かれ少なかれ世論に受け入れられています。障害のある人々に対する差別との闘いは、合意の対象です。女性のために、人々は大いに戦ってきました。そして男女間の給与の平等を勧めるかなり多くの法案が可決され、政治的平等を確立し、それを尊重しない当事者を処罰しています。人種や民族的所属を理由にした差別に関しては、異なった状況にあります。なぜなら、それが道徳的に非常に強く非難されるために、現実に対する共同的な否認にぶつかるからです。明示的な人種差別的発言をした人や企業を非難することは、今日、簡単です。しかし、出自を参照することなく誰かの雇用を拒否するとき、そしてある企業の内部での雇用の平均が内密の差別的政策を証言するとき、刑事的手段以外では、有効に戦える対策はありません。国民議会議員クリストフ・カレシュChristophe Carescheと共同の法案において、私たちがまさに出自を理由とした差別を対象にしたのはそのためです。


N. O./F.-C. - まさに、HALDEの問題は、直接的な差別だけでなく、間接的な差別をも扱わなければならないということです。最も難しいことは、したがって、証拠を確立することです。というのは、特に住居と雇用に関する差別の中には、暗黙のものがあるからです。隠蔽された差別を証明するための方法はどのようなものであり得るでしょうか?

L. Schweitzer. – 現実に、刑事では、誰かに有罪判決を下すためには、事実と同時に犯意を証明しなければなりません。差別を生む行動は、自発的でなければならないのです。これは非常に難しい、なぜなら誰もがそれを否認するからです。逆に、労働裁判所のような民事裁判では、有責判決を得るためには犯意を証明する必要はありません。推定を与えれば十分です。例えば、ある企業で組合加入者の昇進が非加入者よりも遅いことが確認されたときです。昇進が抑制されたのがこの理由によるものでないことを証明しなければならないのは、その企業です。これが、証拠の義務の整備と呼ばれるものであり、差別の全ての基準を適用することができます。女性が「ガラスの天井」と呼ばれるものにぶつかることが非常に頻繁にあり、女性が組織の底辺よりも頂点にはほとんどいないという事態を作っているのがこの見えない障壁です。

G. Pau-Langevin. – 間接的な差別は、重要な課題です。30年前からそれと闘う手段を得てきたグレートブリテンとは反対に、我国の法律は余りにも臆病でした。フランスでは、間接的な差別の影響が未だに過小評価されています。今年もまだ、議員が私たちに、仮定の動機で誰かを非難することはできないなどと言いました。極めて頻繁に、伝統的な偏見のために差別的な行動が再現されるという状況にぶつかります。例えば、企業では掃除夫が黒人で、社長が白人という考えが余りにも容易に受け入れられています。そして逆ではありません。打破しなければならないのは、この種のステレオタイプです。

L. Schweitzer. – ラシスト(人種差別主義者)というのがいます。こうした連中は、決して説得することはできないでしょう。彼らには正面から立ち向かう必要があります。しかし、偏見で覆われた人々もいます。こうした人々は、女性には影響力のある仕事をする能力がないとか、40歳以上の人は余り活動的でないとか、異なる出自の人々で構成されたチームは統一がとれないなどと考えます。こうした偏見とも闘う必要があります。それから、偏見を持っているということさえ意識していない、さらに重要な第3の集団がいます。我々は自分が見たことを再現し、自分の習慣を繰り返しています。私企業における採用面接や、公務員の競争試験における口頭試問の場合がそうです。ここでは結局、コード化された会話において、自分の同類を認めようとしています。自分に似た人とは容易に話せます。そして、立て続けにモデルが再生産され、誰も自分に責任があるとは感じません。最も大きな困難は、まさしくこれです。


N. O./F.-C. - それではあなた方は、割り当て制と「積極的差別」政策を実施することを支持しますか?

L. Schweitzer. – 「積極的差別discrimination positive 」は撞着語法です。これは英語からの悪い訳の一つであり、私は「action positive 積極的行動」という言葉の方を選びます。そして私は積極的行動には賛成です。それは何か?形式的な機会の平等が現実になるようにすることです。例えば、公務員採用の競争試験に関して、形式的な平等はあります。筆記試験の答案は匿名であり、口頭試問は公開されています。権利の保護があります。しかし、試験前の志願者の文化的環境や社会的条件が考慮されることはありません。積極的行動とは、機会の平等が実現されるようにして、これらの不平等を是正することです。壮大な野望であり、今はそこから程遠い状態です。この点に関するシアンスポSciences-Po(政治学院)の政策は、良い実例です。教育困難な地区の高校の非常に優秀な生徒を特別な経路で入学させ、5年間の教育の後に、これらの生徒は他の全ての生徒と同じ試験を受け、同じ特典のある卒業証書を獲得します。したがって積極的差別はほとんどなく、彼らが愚弟的に平等な機会を得るための積極的行動があります。この現実的な平等が生涯を通じて存在するようにしなければなりません。

G. Pau-Langevin. – 私もまた、「積極的差別」という言い回しには反対します。全ての積極的行動が、(人数の)割り当て制に要約されるとも言われていますが、これは一つの単純化です。グレートブリテンでは、企業が多くの民族的少数派を雇い入れるに至っていることがよくわかります。しかしフランスでは、積極的行動を認める欧州綱領の第5条を書き写すことも、我国は平等主義で共和国であるという口実の下に、拒否されました。私たちはこの領域では大いに遅れています。なぜなら、現実的な平等への歩みが、「我々はみな平等である」という我国の原則に対置されているからです。この平等を具体的に保証するための政策を採ることは緊急の課題です。

L. Schweitzer. – アメリカ合衆国の大学では、変化が見られつつあります。皮膚の色に応じて追加の得点を割り振るという、割り当ての制度を断念しています。なぜなら、不公平感を生み出していたからです。バラク・オバマは、民族的出自にではなく、社会的出自に基づいたアファーマティブ・アクションaffirmative actionに移行すると明白に述べました。

G. Pau-Langevin. – フランスには、見出すべき別の均衡があります。社会的基準はさらに多く考慮されていますが、出自に関係する差別が隠されてきています。アメリカ合衆国では、人種隔離的な歴史のために、逆のことが行われました。


N. O./F.-C. - 新しい多様性担当委員、ヤジド・サベグ Yazid Sabeg は、民族的統計が「差別の規模を測る」ことを可能にする、そしてフランスは「社会的、地域的なアパルトヘイト」に向かっていると言って、この統計に関する論争を再び投げかけました。民族的統計は、差別を減少させる助けになり得るでしょうか?

G. Pau-Langevin. – 特定の地域には極めて不安定な均衡が成立していますが、行き過ぎた言葉を遣うことは、恐怖を助長することにしかなりません。私は民族的統計には反対です。しかし私たちは、2007年からの議会の枠内で行われた公聴会の際に、多くの人々が、差別が基本的に社会的な問題に属しているために、調査を拒否していたということに気づきました。私はこの論拠を疑いはしません。困難な状況にある地区では実際、移民またはDOM-TOM(海外県・海外領土)出身の人々が多くいます。しかし、出自を理由にした差別が存在するというのは事実です。たとえそれが隠蔽されているとしても。私たちはそれをもっとよく知るべきだと言う結論に達しました。したがって、差別との闘いに関係する調査には、既に存在する客観的な要素に加えて、人々が自らの困難さを、客観的な基準ではなく、アンティラ諸島の出身あるいはユダヤ文化といった主観的な基準に属するアイデンティティーのせいにしていることを知るために、「帰属感」と呼ばれるものを加えることを私たちは提案しました。

L. Schweitzer. – 分類を理由にした人間に対する分離の恐るべき経験に関わる「アパルトヘイト」のような言葉を用いたくはありません。多様性という名目でなされ得る研究の性質に対して、私が非常に強く目を光らせているのは、そのためです。人間にレッテルを貼ることを拒否すべきです。HALDEは2007年、非常に鮮明な姿勢を取りました。 1) フランスでは民族・人種という範疇を作らないこと 2) いかなる場合にも、「民族的」基準に関する、人物を特定するような資料が存在しないこと。 3) 調査は匿名で、自発的で、申告的でなければならないこと。差別と有効に闘うことを可能にする研究を行う方法に関する、憲法の枠内での考察があります。


N. O./F.-C. - 最近の海外での紛争は社会的、人種的な差別に対する重大な感覚を明らかにしました。皮膚の色に対する偏見と植民地の遺産の痕跡は、常に深刻な差別の要因になりますか?海外県・海外領土はフランス域内での一種の差別の被害者ですか?

G. Pau-Langevin. – 危機に対する政府の対応の遅さは唖然とさせるものでした。フランスでは、海外の社会が唯一、奴隷制と植民地化に由来しています。差別の基準と、人種とあらゆる性質の他の集団との区別は、社会とはいわば不可分です。まずフランス革命で、次に1946年の県制施行で獲得された平等により、この種の土台は消えたと考えることができていました。これらの社会は、こうした現象を平時には紛争的でない仕方で管理し、かなり痛みを伴う現実と共存するに至っています。誰もが、誰が誰であるかを知っており、お互いに攻撃しあわずにいます。今日、誰もが慣れていた古くからの格差に、新たな困難が加わりました。というのは、海外に拠点を置く多くの企業が、幹部職員と従業員を直接、本土から採用しているからです。若者にとって将来は依然としてふさがっています。学位取得者の数が増えたとしても。変化の見通しは限られています。これは共和国の契約に対する信頼にとって、致死的です。


Propos recueillis par GILLES ANQUETIL et FRANÇOIS ARMANET



Ancien directeur de cabinet de Laurent Fabius (1981-1986), PDG de Renault (1992- 2005), Louis Schweitzer est depuis 2005 président de la Halde. Il publie chez Robert Laffont « les Discriminations en France ».

Née à Pointe-à-Pitre, avocate, George Pau-Langevin est députée PS de Paris. Elle vient de déposer une proposition de loi « visant à lutter contre les discriminations liées à l'origine, réelle ou supposée ».


Le Nouvel Observateur 2316 26 MARS-1er AVRIL 2009

http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2316/articles/a397770-les_discriminations_en_france.html


どこかの国のように、いわゆるラシストが政権与党にいて、差別発言を繰り返したり、都道府腐県の知事に収まっていて(2度も再選されたり)、ネットで差別発言があふれたり、ということはどこの国にもあること?かもしれませんが・・・でも、差別そのものが国策であるような国はないでしょうね、ほかには。

引用した訳文が長すぎるので、これ以上のコメントは控えます。