『戦場でワルツを』のアリ・フォルマン監督が語る、「武器との決別」 | PAGES D'ECRITURE

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フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。

前回の 映画『ショアー』の作者が語るユダヤ人問題と歴史  で予告したように、映画『Valse avec Bachir』(『バシールとワルツを』、邦題『戦場でワルツを』)の監督、Ari Folman アリ・フォルマン氏のインタビューを掲載します。この映画が日本で公開されるときの題名は『戦場でワルツを』ですが、訳文中では『バシールとワルツを』としておきます。例えば、Valse avec Gaza というような言葉が出てくるからです。

前回と同じく、週刊誌Le Nouvel Observateur の2009年3月5-11日号(通巻2313)に掲載された L'adieu aux armes  (武器との決別、「武器よさらば」でもいいかもしれません)という記事です。

L'adieu aux armes

par Ari Folman


セザール賞最優秀外国映画賞受賞作、『Valse avec Bachir(バシールとワルツを)』の監督が、自分の冒険、イスラエルの戦争と自国の政治状況を再検討する。

Le Nouvel Observateur. – 『バシールとワルツを』で、あなたは若者向けに反戦映画を製作したかった・・・

PAGES D’ECRITURE-Ari Folman

Ari Folman.
– 実際には、全ての人向けです。多くの青年が、戦争をあたかもアメリカの戦争映画であるかのように見ていると、私は考えます。そこでは登場人物がクールで、かっこよくて、勇敢で自己を確信しています。ジャングルにマリファナを吸いに行き、楽しみ、時に恐怖を経験し、しかし結局グループの精神のおかげで切り抜けるのです。私の映画では、そのようなものは全く見られません。連帯も、友愛も、勇気もありません。ただ単に、ある場所から別の場所へと歩かされ、何が起こっているかを少しも知らない人々のグループがいるだけです。そして知らないからこそ、彼らがそこに送られるのです。恐怖はいたるところにあり、主役たちは自分のいる環境について何も理解していません。彼らにとって全く未知の環境であり、彼らは全てから切り離されたと感じます。私の映画に普遍的なメッセージを与えていることです。

N.O. – あなたの映画は、ベトナムやイラクから帰還したアメリカの退役者あるいはアフガニスタンから帰還したロシア人によって作られることができたはずだと、あなたは言われました。しかしツァハルの軍人にとって、レバノンは非常に近い隣国です・・・
A. Folman. – そう、確かにそれは違います。あるアメリカ兵がオクラホマの自宅に帰るとき、イラクから戻るのに6日間かかります。私に関する限り、許可を得たとき、両親の住んでいたハイファに帰るのにヘリコプターでちょうど20分でした。私は20分で戦争から市民生活に移動していました。その移行は非常に難しいので、頭がおかしくなるかもしれません。軍のヘリコプターから降りたら、海岸には可愛い女の子がいて、レバノンの海岸にも似ています。同じ空、同じ海、同じ砂、それは恐るべきことです。マリファナを吸う人々に囲まれて、至る所で音楽が流れています。戦争とともにあることからの移行は非常に暴力的であり、心に傷を残します。

N.O. – 1948年以来、イスラエルはほとんど絶え間なく戦争状態にありました。それぞれの戦争にはその兵士の世代があります。レバノン戦争を経験した1982年のあなたの世代と比べて、この冬にガザで戦闘したイスラエルの若い兵士はどの点で異なっているのでしょうか?
A. Folman. – 私の世代は、第二次レバノン戦争の期間、2006年に戦った兵士が、我々と同じ村にいたという限りにおいて、より近いように感じていると思います。それは、屈強な敵、ヒズボラに対する闘いのある、本当の戦争でした。私にとって、ガザでは本当の戦争はありませんでした。軍が、抵抗がないのに動く者すべてに銃撃しながらガザに侵入するだけのように見えました。暴力的で破壊的な侵略であり、戦争ではありませんでした。なぜなら、どこにも敵が見えなかったからです。それぞれの世代が異なった仕方で戦争を経験します。しかし全ての戦争は愚かで、恐ろしく、意味を失っています。戦争は破壊し、堕落させます。なぜなら政治指導者には常に新たな紛争をでっち上げる必要があるからです。

N.O. – これから20年の間にガザで戦った若い兵士が『ガザとワルツを』を作ると考えますか?
A. Folman. – 恐らく、そうです。彼らがそこでしたことを私は知りませんが、彼らは敵からの発砲を全く受けなかったし、残酷な作戦だったと考えます。この作戦は、イスラエル国民の84%の支持を得て、次の選挙の強迫観念に取りつかれた政治家によって開始されました。アメリカ合衆国で起こっていることを見てください。4ヶ月前、アメリカにはまだ世界がこれまでに見たこともなかった愚かな大統領がいました。偏狭で、不寛容で、反知性的で、危険な。そして今、アメリカには真のビジョンと政治的確信を持った大統領がいます。そのことはあなたが理解できるしそう思うでしょう、これは我々の中の一人だと。彼は理性的で、知的であり、少なくとも事態を動かす可能性があります。全てはリーダーシップにあります。しかしイスラエルでもパレスチナ自治区でも、我々の現在のリーダーは人命を少しも気に留めないかのように無視しています。ハマスを御覧なさい、彼らが高齢者に配慮していると信じますか?彼らは高齢者を人間の盾として利用しています。私の考えでは、世界は二つの陣営に分かれます。非暴力を信じる陣営とそれ以外です。グレーゾーンはありません。あなたが非暴力を信じるとしたら、あなたには次の紛争を阻止する義務があります。今のところ、次の戦争を避けるために大きなことをしようと人々が試みるかどうか、私には確信が持てません。

N.O. – イスラエルの次期選挙の後に右翼への強硬化があることを心配しますか?
A. Folman. – タカ派の復活は私にとって非常に心配です。ネテニヤフは右翼であり、基本的に経済の範囲で思考し、特に金持ちが豊かになるように配慮しています。アメリカ流の新保守主義者です。他方のリーバーマンは、極右の人格障害者です。彼は思想の自由も表現の自由も認めません。精神病者であり、非常に危険です。

N.O. – あなたの映画はイスラエルで路線を動かしましたが?
A. Folman. – 私の映画は9本のコピーしかされませんでしたが、12万人の観客を集めました。これらの観客は、アニメーションによるドキュメンタリーという新奇さに興味を持ったのであって、政治的メッセージにはほとんど興味を示しませんでした。ご存知のように、イスラエルでは映画監督は大して重要に見られていません。我々は重きをなしていないのです。これはかなり皮肉なことでもあります。国中が耄碌しつつあります。なぜならゴールデングローブ賞受賞後、マスコミで、誰もが『バシールとワルツを』がオスカーの最優秀外国語映画賞の本命であると確信していたからです。私が子供たちとサッカーの試合を見に行ったとき、本当のファシストで完全に右翼であるファンが、スタジアムで私に叫びました、「我々にオスカー像を持って来い、国にトロフィーを持って来い」と。この映画が完全に反戦的であることに気づきもせずに。彼らが狂ったように無視していることです。

N.O. – アラブ人の観客はあなたの映画にどのように反応しましたか?
A. Folman. – サブラとシャティラSabra et Chatilaで海賊版の上映がありました。犠牲者の家族は私がしたことに敬意を払ってくれました。しかし映画はレバノンでは上映禁止になりました。ヒズボラもキリスト教徒も、それが見られることを望まなかったからです。ヨルダン川西岸地区、ラマラーでも上映されました。私の安全を保証できない、誰もこの責任を引き受けたがらないという限りにおいて、私は上映に招待されませんでした。パレスチナの観客は、先験的に好意的でした。私の映画を好みたがっていましたが、レバノンで起こったことにおけるイスラエルの責任を前面に出していなかったとして私を非難しました。私は記憶の問題に集中したのであり、私に期待されていることを言ったのではありません。例えば、「我々はこの国を出鱈目に放り出した、我々はキリスト教徒と恥ずべき同盟をした。」などと。彼らは、私が「我々」よりも「私」という言い方を選ぶこと、個人的な視点を優先することを理解しませんでした。それが彼らには気に入りませんでした。しかし最も容赦ない批判は、この映画を嫌う、イスラエルの極左から来ています。極左は映画の中でアラブ人がしゃべらず、単なる身体であることを認めません。そして私は彼らに、自分が偽善を拒否し、映画を決してアラブ人の視点に基づくものにはしない、なぜならアラブ人自身の映画を作るのはアラブ人だからだ、と応えます。私のようなイスラエル人、元兵士で侵略者であった人間が、パレスチナ人にインタビューしに行くこと、歴史のアラブ人による解釈を至る所で叫びに行くことは不可能です。それは恥ずべきことでしょう。そうするのは、そしてサブラとシャティラで起こったことの彼ら自身による解釈を与えて解放を達成するべきなのは、彼らアラブ人です。

N.O. – 最近の「ガザ戦争」の際に、「平和陣営」の知識人が行動した方法に対して、あなたはどう反応しますか? A. Folman. – 彼らは臆病だということを自ら示しました。私は大いに失望しました。イスラエルの多くの人々のように、知識人は安楽椅子に座ったまま何もしないままでした。私は真剣に非暴力の原則を信じています。彼らはこの道を守ろうとしていた人々を支援するためにそこにいませんでした。ガザで毎日起こっていたことを見る必要があります。子供たちが大規模に殺害されていました。彼らは感情を表に出しませんでした。したがって私は彼らに政治的信頼を寄せることはできません。彼らは何が起こっていたかを知りませんでした。しかしイスラエルという国は非常に右に偏向してしまったために何も見ないふりをしました。彼らは自分の役割を果たしませんでした。それは絶望的なことです。

Propos recueillis par GILLES ANQUETIIL et FRANÇOIS ARMANET


Le Nouvel Observateur 2313 5-11 MARS 2009

http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2313/articles/a395935-ladieu_aux_armes.html


フランスとイスラエルと、住んでいる国は違いますが、ユダヤ人の、しかも映画監督の登場する記事が連続することになりました。同じ雑誌の同じ号にたまたま掲載されていて、両方とも自分の興味を引く内容であったことは偶然です。


これで、今のところ訳し終えている記事は全て掲載したことになります。(途中のものはあります)

ということで、しばらく休載するかもしれません。