資本主義の最大の敵は資本家(ル・モンドの記事) | PAGES D'ECRITURE

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フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。

日刊紙『ル・モンド』の論説委員の中で、Frédéric Lemaître 氏の記事を比較的よく引用していますが、今回もまた、同氏の記事です。タイトルに皮肉が利いていて興味がもてました。


『資本主義を資本家から救い出そう!フレデリック・ルメートル』

Analyse

Sauvons le capitalisme des capitalistes !, par Frédéric Lemaître

LE MONDE | 24.10.08 | 14h00 • Mis à jour le 24.10.08 | 14h00



これは有名な逆説だ。共産主義の消滅以来、資本家は資本主義の最大の敵となってしまった。世論に耐えられない報酬を勝手に分捕って、ゴールデン・パラシュートを増やして、企業の経営陣は、オランダ、ドイツあるいはフランスのようなほとんど革命的でない政府に、自らの悪行を終わらせるための法律を定めることを強制するという快挙に成功した。

フランスでCAC40の経営者は2007年に平均400万ユーロの収入を得ていたことを思い出そう。これは給料の中央値のおよそ2世紀分に相当する。そして、比較という口実で、JPモルガン銀行の創設者、アメリカ人銀行家ジョン・P・モルガンは、20世紀初頭に、トップ経営者は平均給与の20倍を超える給料(配当を除く)を受け取ってはならないと断言していた。

長い間、他国ほど不平等でなかったフランスは、その遅れを取り戻す。1998年から2006年までのフランスにおける所得の変化に関する研究で、研究者のカミーユ・ランデが2007年に示したように、「平均給与の停滞は、所得分配における変化の深い格差を隠している」。従業員の90%の給料がこの8年間で4%しか増加しなかったのに、上位1パーセンタイル(最も所得の高い1%)の平均給与は14%、上位1パーミルは29%、上位1万分の1(およそ2500人)は51%増加した。

この気前の良い増加をどう説明するのか?ジョルジュ・ポンピドゥー(元大統領)の元顧問で、後に銀行家になったベルナール・エザンベールBernard Esambertは、ブログでこう説明している。「この現象は非常に単純なことに由来している。一人の新社長が大グループのトップに指名される。報酬委員会(または代理人)は、同業者と同じように、CAC40の責任者の報酬表を持つ役員会(5人か6人いる)に照会する。本質的に有望な新社長は、表の下の方に入ることはできない。上から「最初の3分の1」に位置づけられるだろう。こうして、表全体を上にずらすことになる・・・これが、他の経営陣の報酬の、次回の年次調査の際に、給料の全体的な増加につながる、新参者が自分の番として報酬表の上昇を生む瞬間まで」。

今まで、この状況を正当化するために二つの論拠が持ち出されていた。第一に、富裕層は、さらに豊かになることで、少しずつ社会全体を進歩させていた。フランス的な異文は、高い給料とISF(Impôt de solidarité sur la fortune 連帯富裕税)がないことに惹かれて、最も優秀な人々が外国に行ってしまえば、凡庸な人々だけが残り、国の衰退は加速する、というものである。一方で不平等の増大が、他方で英国や米国を脅かす景気後退が、現実はもう少し複雑であることを証明している・・・

二つ目の論拠は、報酬が業績に結びついているというものである。ここでもなお、ついていない。ゴールデンパラシュートの原理そのものが、この断定と反対のことを言っているだけでなく、雇用者が全ての議席を占める機関、国際労働機関事務局も、金融の世界化に関連した不平等に関して出版したばかりの研究で逆のことを証明している。経営陣の報酬体系は「企業業績に対して非常に控えめか全く存在しない効果しか生み出さなかった(・・・)。この傾向に対する一つだけ可能な説明は、経営陣が株主との交渉において力のある立場を占めているということである」と、金融のグローバル化が、労働に比較して資本を有利にすることで不平等を増大させているということも証明するこの報告書は、説明する。


DES RÉMUNÉRATIONS SOCIALEMENT INJUSTES
(社会的に不当な報酬)


金融界では、経営者の報酬は経済の他の領域よりもさらになお狂っている。フィナンシャル・タイムズ(ダニエル・コアンが10月18日のル・モンド2で引用した)によれば、国際的な大銀行の経営陣は最近3年間でおよそ950億ドルの報酬を得ていた・・・彼らの過ちによって生じた損失は、国際通貨基金によって1兆ドルを超えると評価されているにも関わらず。現在の金融危機が新しい要素をもたらしたのは、ここである。非常に高い報酬は社会的に不当でそして経済的に無駄であるだけでなく、有害でもある。今再び注目されているルーズベルト大統領は1937年、そのことを指摘していたが、誰もが忘れていた。「冷淡な利己主義が道徳的に間違っていることを我々は常に知っていた。今我々は、それが経済的にも間違っていることを知っている。」

銀行の従業員のボーナスが、借り手の返済能力がどうであれ自らが貸し付けたローンの額によって決まるとき、事業銀行の銀行家が合併の結果生じた会社の時価総額の1%を受け取るとき、その会社が破綻に陥るとき(アルカテル・ルーセントを見よ)、あるいは投資銀行が他社にもたらしたリスクによって報酬を得るとき、報酬体系は強い酒である。金融資本家の所得が、自らの知的優位性を証明するために、したがって、莫大な報酬額を正当化するために、追加のリスクを取る、というより取らせるように常に誘惑されているようなものであるだけに、なおさらそうなるのである。

行うべき基本的な改革は、報酬の固定されていない部分を、当てにされた結果ではなく、現実の結果に基づかせることを企業に強制することであろう。しかしさらに先に行かなければならない。経営陣の利害は企業の利害と矛盾するものになることがある。ドイツはそのような場合の驚くべき例を提供している。ドイツ政府が、その救済策を受けようとしている銀行の経営者の報酬を500000ユーロ(約6000万円)に制限しようと試みているときに、銀行家たちは自らの留保を隠そうとしない。ドイチェ・バンク社長、ヨゼフ・アッカーマンは、「最も巧妙な者は・・・他国に仕事を探しに行くだろう」と断言して、この基準を批判した。アッカーマン氏が1年でおよそ1000万ユーロを稼いでいることをはっきりさせておこう。

経営者と金融のプロの報酬が経済効率と社会的結合に有害であることがはっきりしたときから、立法府の介入は正当になる。資本主義の敵であるどころか、最も高い所得に枠をはめることは逆に、資本主義の将来を保証する最も確実な手段となるだろう。


Frédéric Lemaître (Editorialiste)

Article paru dans l'édition du 25.10.08





経営者やトレーダーの報酬が高すぎる(た)ことが企業の利害に反し、社会はおろか経済にも有害であるということは、既に明らかになっています。

日本で未だに新自由主義を推進しようとしている勢力の中で、例えばキャノンの便所のような人物や、竹中のようなのは、アメリカで経営者やうまいこと立ち回った経済学者が、それこそ普通のサラリーマンの年収の何世紀(!)分かを1年で得ているのを見て、とても羨ましく思ったのでしょう。日本でも同様のことをするためには、経済のパイは限られているので、一般従業員の取り分を減らす、さらに不安定雇用化により、正規の従業員を減らす、さらには仕事も奪う、という方策しか思いつかなかったのでしょう。

しかし、経営者が一般従業員の何世紀分もの年収を一年で分捕れる時代は、既に欧米でも終わりに近付いています。便所や竹中は、それでも日本を新自由主義の最後の砦として、しがみつきたいのでしょうか。そうすると連中は、自分らが忌み嫌っていたはずの「共産主義」同様に、資本主義の最大の敵となることでしょう。