日本では、政治は家族の問題である(ル・モンドの記事) | PAGES D'ECRITURE

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フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。

差別主義者にして極右の麻生太郎とかいう男が、ジミントー総裁選という内輪の選挙に当選しましたが、これがほぼ確実に日本の総理大臣になるのだから、国民もたまったものではありません。

『ル・モンド』のサイト、Lemonde.fr には東京特派員のPhilippe Pons氏が2本、日本関連の記事を書いていましたが、そのうち、興味深い記事を掲載します。Au Japon, la politique est une affaire de famille (日本では、政治は家族の問題である)という記事です。


Au Japon, la politique est une affaire de famille

LE MONDE | 22.09.08 | 08h54 • Mis à jour le 22.09.08 | 09h09

Tokyo, correspondant



日本では、人は天職として政治家になるが「相続」によってもなる。西洋型の民主主義体制では他国よりも、政治は家族の問題である。商人の息子が諸倍の資金を父親から継ぐのに少し似て、政治家の息子や娘は家族の選挙基盤で父親の跡を継ぐ。このような同族主義は2世代か3世代にわたる政治家の家系の始まりである。衆議院では、3分の1以上の議員が国会議員の相続人(息子、甥、従兄弟、未亡人)である。

党首、小沢一郎が元大臣の息子である野党の民主党もまたこの同族主義を免れないとしても、同じ現象は1955年からほとんど途切れなく権力の座にある「自由民主」党(PLD)では非常に顕著である。衆議院議員の半数がその議席を「相続」した。1996年から続く6人の総理大臣のうち5人にも当てはまる。

PLDの総裁に指名されたばかりで、党が占める過半数によって、国会における投票で驚きもなく総理大臣になるであろう麻生太郎(68歳)も、こうした政治家の家系に属する。

麻生の直近の3人の前任者もまた相続人だった。前首相福田康夫は元首相福田赳夫(1976年から1978年)の息子だったし、安倍晋三は父親が元外務大臣である。安倍はまた、1945年に戦争犯罪のためにアメリカ軍に逮捕され、後にニッポンの右翼再建を容易にするためにアメリカ軍により裁判なしで釈放され、1957年に首相になった岸信介の孫でもある(3年後、岸は弟の佐藤栄作に跡を継がせることになり、佐藤は8年間権力の座に留まることになる)。

ポピュリストの小泉純一郎(2001年から2006年)の場合、彼もまた宮殿の子供である。祖父は、当時のヤクザの象徴である、背中の派手な刺青をひけらかして横須賀港で港湾労働の手配師になった後に逓信大臣となった。その選挙基盤は純一郎の父を経て彼のものになった。

麻生太郎の場合、麻生セメント(福岡県)の所有者という、世襲貴族の家庭に生まれた。祖父として元首相吉田茂(1946年から1947年、1948年から1954年)を持ち、別の首相、鈴木善幸(1980年から1982年)の娘と結婚した。政治への野望に取り付かれた、当時麻生セメントの社長だった麻生太郎は、代議士職に立候補することを決めた。1871年に創設された系列企業の地盤で、現在はラファージュセメントに関連のある飯塚の選挙区で1979年に当選し、その後ほぼ順調に再選された。

鉱山の開発で財を成した麻生家は、戦争中の運営に関する論争の中心にある。1940年代初頭のヨシクマ炭鉱における強制労働問題である。およそ100人のオーストラリア、英国、オランダの捕虜とおよそ1万人の韓国人がそこで働いていた。麻生家は、強制労働に当たらないと反論している。

日本植民地時代(1910年から1945年)の強制動員に関する真実を明らかにするための韓国の委員会によると、麻生の鉱山は、しばしば非人道的な条件にあった強制労働に頼った企業の中で重要な位置を占めていた。当時、麻生の鉱山は太郎の父親で代議士でもあった太賀吉が経営していた。敗戦後、麻生家の財産は吉田茂の政治家としてのキャリアに出資することを可能にした。


LES "CLIQUES D'ALCÔVE"
(「閨閥」)


その「血統書」に麻生太郎は皇室との関係を加える。彼の妹は天皇の従兄弟、三笠宮と結婚したのである。1947年の憲法により、特権と貴族の称号が廃止され、貴族は民主的な社会に溶け込んだ。しかし皇室との多かれ少なかれ強固な関係に結びつく著名人という威光は、戦後の日本の政治経済の名士の錯綜が作りこまれる政略結婚という駆け引きにおいては依然として切り札である。

金とともに、「影響力という資本」、すなわち社会的地位は、政界でキャリアを積むための鍵となる要素である。「成り上がり」の田中角栄(1972年から1974)を含む何人かの総理大臣を例外として、その一族が1970年代初めまで政界に君臨していた吉田茂を始め、大部分は貴族との関係を維持してきた。吉田は改革派の武士の娘と結婚していた。

政界ではまた、細川護熙のように、元貴族の子孫も見られる。細川はPLDが一時的に権力を失ったときに短期間だけ首相となった(1993年から1994年)。細川は、1930年代の終わりと、1940年代の初めに殊勝だった近衛文麿公の孫である。

現在の民主党党首、小沢一郎の父が吉田茂の右腕の一人であったことから、吉田の血統が野党に至るまで政治家階級の背骨を成すとして、政治家のもう一つの大家系は鳩山家である。その血統は明治時代に遡る。その大人物は鳩山一郎、戦後の吉田茂のライバルである。

政治学者の伊藤真由美は、鳩山の家系に関する本の中で、血統の第二世代、一郎が自由主義的な人間だったが、1931年から1934年まで文部大臣であったためにアメリカ占領軍に「パージ」されたことを示している。1951年に解放された一郎は、民主党を結成し、民主党と自由党の合併に続く自由民主党の最初の内閣で首相となった。鳩山の第四世代の相続人、由紀夫と邦夫は、1993年にPLDを去った。続いて、由紀夫は民主党の創設者のひとりとなった一方で、邦夫は自民党に再加入した。

福田内閣での法相として、邦夫はその短い任期中に記録的な数の死刑囚を処刑させた。鳩山の家系は出資者として、一郎が創業者の娘と結婚したブリジストン・タイヤのグループを持つ。日本では、他の国以上に政治に金がかかり、「閨房の同盟」が政治家にとって背後を固め家系を築く手段であった。


Philippe Pons





麻生はジミントー総裁当選の最初の演説?で、9月22日が祖父の「吉田茂生誕130年」であることを持ち出したとか。安倍シンゾーは、ことあるごとに(母方の)祖父、岸信介を引き合いに出していました。
言ってみれば、親がかりどころか祖父がかりの情けない人物が、総選挙の洗礼も受けずに首相になってしまうような悲惨な状況です。
これ以上付け加えたくはありません。フランスだって、サルコジ大統領の息子がどこかの議員になったりしていますが、少なくともそのような傾向が大勢を占めているわけではありません。アメリカの、親子2代で大統領になったブッシュ以後は、当分このような事態は生じないでしょう。世襲議員が一大勢力を占めている日本は、「西洋型」民主主義を取っている国では極めて例外的ではないでしょうか。現与党は民主主義そのものを忌避しているようですが。