小選挙区制の問題と、比例制を求める声(フランスの話ですが) | PAGES D'ECRITURE

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フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。

47.7%の得票率で73%の議席獲得。日本の9・11(2005年9月11日)で実際に起こった悪夢です。その後の日本が特定勢力の好き放題にされ、さらには戦前体制への回帰を目論む安倍政権の誕生を招いたことは、今さら言うまでもありません。一部に比例代表制を併用しているとはいえ、小選挙区制・相対多数決制の悲劇と言うことができます。

完全小選挙区制・絶対多数決制を採用するフランスの国民議会(下院)議員選挙ですが、極右政党が排除される代わりに、特定の政党に圧倒的な議席が集まる恐れがあり、また、少数政党が排除される危険性は日本以上に強いと言えます。権力集中の危険をはらむ現大統領の場合、与党UMPに議席が集中することは、議会を単なる儀式の場にしてしまう可能性があり、比例制の導入が強く求められることになります。

『早く比例制を!』


La chronique de Claude Weill

Vivement la proportionnelle !

Il est urgent que le Parlement redevienne l’enceinte où se confrontent toutes les composantes de la société

議会が社会のあらゆる勢力の対決する場に戻ることは急を要する。



下院が内閣を任命し解任していた時代の遺物として、新政府承認の討議はラテン語によるミサと同じ位に周りから浮いた儀式になってしまった。議会政治の真似事だ。かくして慣例に従って、フランソワ・フィヨンは、大統領の代役として、自分が選ばなかった政府の名の下に、自らが生みの親ではない計画を発表するために議員の前に来たのだった。

 それを言うとしても、全く新しいことではない。1974年のジスカールと同様に1981年のミッテランは行政府の長であると同時に多数派のリーダーでもあった。全く変わっている、3つの違いについてはほぼ正しい。1)活動性の亢進した超干渉主義の大統領という、ニコラ・サルコジの気質。2)単一の多数派。ミッテランは共産党員と、ジスカールはゴーリストと折り合いを付けなければならなかった。サルコジはUMPにしか用がない。そしてUMP、それはサルコジだ。3)大統領の5年任期制と選挙日程の逆転によって創り出された制度的状況。以後、大統領選挙は全ての選挙の母体となる。国民議員議会選挙は大統領選の承認となる。そして信任投票、一つの手続きとなる。逆説的に、それによって国民議会の政府に対する権力が現れる指名手続きが、今日ではその影響力の退潮を刻印している。我々が移行している大統領強権制的第6共和国では、議員の役割は再検討されるべきだ。そして、結果を経て、選挙方法を。

 どの投票方法も完全には良くも悪くもない。それぞれにその性質の欠点がある。多数決による投票の効果は知られている。それは「不公平」で小政党を押し潰す。しかし、明白で安定的な多数派を明らかにすることが可能になり、政府に行動する手段が与えられる。比例制は、反対に、より公平だが、分裂を煽り、小さな組織に過剰な影響力を与え、しばしば口論や麻痺に至る。しかし今日我々はもはや議会体制にはなく、この不安が存在する理由はない。危険なのは分散ではなく、一枚岩の団結だ。それは「多数政党制」ではなく、単一政党制だ。不能ではなく、全能、あるいは絶対権力者の陶酔である。

 制度の枠組みで批判が理解されることができないとき、批判は街頭に繰り出す。過度に集中的な権力に対して、議会があるべき資質があるものになることは急務だ。議論、提案、さらに異議申し立ての場である。あらゆる政治的傾向、そして社会のあらゆる勢力(多数決が無慈悲に排除する、明らかな少数派を含む)が表現され対決する場である。政府の専制的行為によって委員会議長の職を恩恵的に与えられるだけでは不十分だ。必要なことは、システムの閂を外すことだ。それは適切な割合で比例制を導入することによってしか可能にならない。少なくとも、国民の代表が真に国民を代表することになる方法で。

C.W.



出典:

Claude Weill

Le nouvel Observateur No.2226 5-11 JUILLET 2007

URL: 

http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2226/articles/a349221.html




その良し悪しは別にして、また、得票率の差は少なかったとしても、サルコジ大統領は少なくともフランス国民によって「選ばれ」ました。その危険性に多くのフランス国民が気付いていなかったし、識者による警告も届かなかったようですが。その後に行われた国民議会議員選挙では、恐れられていたほどの圧倒的多数にはならなかったものの、大統領の与党が多数派になりました。しかも単一政党で。そして上の記事のような事態になるわけです。

特に3段落目の状況、どこかの国に似ていないでしょうか。大統領制と「議院内閣制」という違いはあっても、強行採決、議論の封殺が続出する国は、もはや「議会制」とは言えず、あたかも絶対権力者の万能感に陶酔したかのような首相がいる国です。少数意見を無慈悲に排除することもまた、そっくりです。


決選投票制を採り、少なくとも直接投票で過半数を獲得した候補者だけが当選する制度とも異なり、ただ1回の投票で相対的に得票の多かった候補が当選してしまう制度では、過半数が死票となる選挙区が続出します。これが、冒頭のような「47.7%の得票率で73%の議席獲得」という、制度的欠陥です。


比例代表並立制によって若干毒は薄められているとはいえ、小選挙区制の部分に関しては、フランスよりもさらに欠陥の多い制度だと考えます。まだしも、かつての中選挙区制の方がはるかに優れた制度だったと言えるでしょう。そして参議院選挙。比例区はいいとして、選挙区で言えば、一人区は小選挙区制の弊害を残しています。欠陥選挙制度にあって、まだしもマシな投票行動が取れるとすれば、少なくとも民主主義を憎悪し、権威主義的体制への逆行を目論む政党とそれに連立する政党には絶対に投票しない、対立する最も有力な政党の候補者に投票するということになります。たった1回の投票で全てが決まってしまうのですから。

不思議なのは、小選挙区制を言いながら、決選投票制を言わないことです。それは選挙にお金がかかるからでしょうか?だったら、自分の都合だけで投票日を延期したことで、何十億円もの無駄を地方に強いたたことが許されるのはどういう理由でしょうか。



「雑談日記」 のSOBAさんよりお借りしました


小泉の「自民党をぶっ壊す、「47.7%の得票率で、73%の議席獲得の「圧勝」自民。小選挙区制インチキ選挙。」、結果安倍で、やらせ・ごまかし・改悪やり放題、で、「日本の9・11絶対に忘れない」バナー




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