サルコジ大統領の「改革」で誰が得をし、誰が損するのか【6】大学 | PAGES D'ECRITURE

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フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。

サルコジ大統領の「改革」の影響に関する話題の続きです。今回は教育のうち、大学に関する「改革」です。

フランスの大学は、各地にセンターがありますが、実際には国家の「大学」というものが一つだけあるという建前になっていて、大学入学資格試験(バカロレア)に合格すれば、誰でもどこの大学でも登録できるという建前になっています。1986年に、当時のシラク内閣が提案した「各大学ごとに学位授与権を認める」という案を含む大学改革案は、凄まじい反発を招き、各地でのデモの結果、死者まで出したことは記憶に新しいところです(←どこが)。

そんなフランスで今、当時のシラク改革よりも根本的な「改革」が行われようとしていますが、どうなるのか。制度疲労を起こしかけているフランスの大学では、歓迎の声もあるようです。大幅な大学予算の増額を伴っているからでしょうか。『大学: 誰がわずかばかりの金を得るのか?』



Université

Qui aura les sous ?

C’est aujourd’hui une évidence pour tout le monde : l’enseignement supérieur doit se réformer. Reste à savoir quelles seront les filières privilégiées

それは今、誰にとってもわかりきったことだ、高等教育は自ら改革しなければならない。残るのは特権的な過程はどのようになるのかということだ



全体的に、大学教員には高等教育に関する「プログラム・サルコ」を見て楽観的になる理由がある。「選挙運動中に、大学についてこれほど語られたことは一度もなかった。ありがとう、上海!」大学ではそう認識されている。上海?何年も前から引き摺ってきた改革の計画を加速させる一撃を、それと知らずして与えたのは、上海交通大学の中国人研究者たちである。英国の大学が上位26位までに4校が名を連ねているのに対して、世界の上位200大学のうち、フランスの大学は3校(最優秀の2校は、パリ第6が46位とパリ第11が61位)しか見られない、3年連続の世界的格付けを出版して、彼ら中国人研究者はフランスの誇りに張り手を食らわせ、政治的動向を超越する奮起を引き起こした。今日、大学と研究の低予算を告発する全員一致の意見と、時代遅れの統治機構と我々の施設の信じがたいほどの分散による能力の低下を嘆くほぼ全員一致の意見がある。90の大学が10,000近い卒業証書を交付し、300近いグランドゼコール(そのうちのいくつかは年間100人に満たない卒業者を出している)と十数の研究機関(CNRS国立科学研究センター、Inserm国立衛星医学研究所、など)が、それぞれの隅で活動している。このシステムは最も優れた組織では引き立つ。これまで、就職口の準備よりは文化という言葉で自らを考えてきた大学にパフォーマンスという指標を適用したいと望まれることに苛立ったいくつかの組合が、大学の「商品化」を糾弾するとしても。

 財政的には、サルコジチームの約束は驚くべきものだった。予算は今から2012年までに50%増額されるべきとされ、100億ユーロの追加となる(研究に対して約束された50億ユーロを除いて)。他の重い取り組みを考慮に入れても実現されるだろうか、そして国の借金を返すと約束しただろうか?第一の問題。予算が解決したと想定して、問題は次の通り。誰がこの思いがけない贈り物から利益を得るのか?

 勝者は、中退率が社会的ドラマになっている第一過程(すなわち学士過程、バカロレアからバカロレア後3年まで)であるあるべきだ。一人の大学入学資格者を育成するのに、国民に対して100000ユーロかかっている。ところが90000人の大学入学資格者が毎年、何の学位も取れないで大学を去っていく。それは怪物的な浪費だ。現在、学士過程では本来800時間必要なのに対して、400から500時間しか割いていない。

 しかし大学は、外国と同様に、研究を主導することも望んでいる。そこから、自らの専門性を守るのに執着する、CNRSのような研究機関との摩擦が生じる。再編成を急がせるために、政府は言う、「再編成する大学はいくらかの予算を得られる。」 恐らく、この取り決めを拒否する側に、敗者がいるだろう。


PATRICK FAUCONNIER



出典:

PATRICK FAUCONNIER

Le nouvel Observateur No.2223 14-20 JUIN 2007

URL: 

http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2223/dossier/a347098-qui_aura_les_sous_.html




新自由主義的と言われるサルコジ大統領の「改革」の中で、左翼陣営からも比較的好意的に見られているのが、大学に関する改革かもしれません。何よりも、予算の増額、しかも5年間で50%の増額という、どこかの国から見れば羨ましい限りの計画です。ただし、「改革」に取り組んだ大学、つまりは「言うことを聞く」大学だけが予算の増額を得られるという、金で釣るという考えにもつながる可能性があります。

 しかし、少なくとも表向きには「言うことを聞かない大学の予算は減らす」などと言ってはいません。表向きは。もしかしたら、左翼の強い大学は密かに減額するとか、やりかねません。その前に、国家の一元的な組織である「大学」に、各大学ごとの「自治」を認めるという、前例のない改革に取り組まなければならないのでしょう。


どこかの国では、「最高権力者」が教育「再生」会議などという私物を勝手に作って、やたら教育に口出しするくせに、予算を増やすなどとは一言も言っていません。初等・中等教育では、一学級当たりの児童生徒数を適正な水準にするための教員増に必要な予算すら出そうとしないし、高等教育においては、建前上認められていた大学の自治すら蔑ろにして、全体の予算を増やすこと無しに、少ない予算を削ることだけに腐心しています。(文字通り心根が腐っていますが) 同じ「改革」でも、向いている方向は正反対とすら言えるでしょう、大学に関しては。


今回までが、サルコジ大統領の「新自由主義」的改革だとすれば、次回は「新保守主義」的改革の問題になります。司法です。長々と続いてきたサルコジ大統領の改革は、次回で一旦終了しますが、関連する記事がいくつか残っています。その都度、言及する予定です。





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