続・少子化-フランスの周辺【1】スペインとイタリアの場合 | PAGES D'ECRITURE

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フランス語の勉強のために、フランスの雑誌 Le Nouvel Observateur や新聞の記事を日本語に訳して掲載していました。たまには、フランス語の記事と関係ないことも書きます。

3月18日に、「次回予告」と書いておきながら、掲載が遅れてしまいました。(誰も覚えていないと思いますが)



週刊誌 Le nouvel Observateur の特集、『Vive les bébés!(赤ちゃん万歳!)』の最後の記事(但しフランス国内版では別の記事が続く)は、『空っぽの揺りかごのヨーロッパ』と題して、少子化に悩む、フランス以外の欧州諸国の問題です。前半は、スペインとイタリアです。


Espagne, Italie, Allemagne, Grande-Bretagne…

L’Europe des berceaux vides


我々の隣国では子供を受け入れるための施設が殆どか、全くない。だから出生率も低い。別の困難もある。住居だ。



VIVELESBEBES

(本文)

アルモドバル監督の最新作 « Volver »(邦題『ボルベール(帰郷)』の、ペネロペ・クルスが演じるヒロイン、ライムンダは今にも神経の発作を起こしそうだ。「私たちは貧しい、貧乏人のように生きていくんだわ!」とテレビの前に寝転がる失業中の夫に叫ぶ。夫がビールを飲んでいる間、ライムンダは家事をこなし、家を磨き上げる。彼女は娘を育て、年老いた叔母の世話をする。要するに、彼女は止められない。ライムンダは二人目の子供を作るだろうか?そういう質問をされることすらない。そもそも、彼女はどうすればいいのか?



Boulot, si ! Bébés, no !

仕事、イエス!赤ちゃん、ノー!

スペイン人の女性が皆勇敢な母というわけではないし、その夫が皆怠け者の男尊女卑者というわけでもない。そうはいっても、アルモドバルのヒロインはスペイン女性の例だ。彼女には一人しか子供がいない。長い間、ピレネーの向こう側では、出生数は、フランスが達成したばかりの人口維持に必要な水準である2.1を下回る、女性一人あたり1.3で低迷している。「その意味で、この映画は非常に典型的です」と、INEDの社会人口学者カトリーヌ・ボンヴァレは注目する。男性優位だけが原因ではない。スペインでは、25から29歳の63%と、30から35歳の30%がまだ両親のもとで暮らしている。責任はまず、住居の不足にある。「賃貸住宅の市場がない。また社会的住居もない」カトリーヌ・ボンヴァレは付け加える。そしてごく僅かの賃貸アパートの家賃は高過ぎる。もうひとつの原因は雇用市場にある。スペインの給与所得者の3人に1人は期限付き雇用契約の下で働いている。若い大卒の場合、毎月1000ユーロの月給が支払われ、自分たちを「milleuristas1000ユーロの人)と呼ぶ。家族の屋根の下に残り、「若いスペイン人は・・・雇用市場が彼らにとって有利でないため、このようにして貧困の圧力から逃がれる」、カタロニアの人口統計学者マグダ・メルダンデル=プラッツは説明する。「貧困は・・・若者が親と別居するときと自分の子供が生まれるときに、より脅威になる」と彼女は結論する。結局、赤ちゃんが1人ならうまくいき、2人か3人だと、「大損害よ、こんにちは!」ということになる。住居と給与の問題に、子供の世話の問題が加わる。カトリーヌ・ボンヴァレは認める。「世話する方法がない。若い親は結局、自分の親に子供の世話をしてもらうために、親の家に近い住居を見つけなければならない。」 今日はabuelas(祖母)の手が空いている。しかし明日、ベビーブーム世代の祖母が赤ちゃんの世話をすることは多分できないだろう、祖母も働いているだろうから。そこで、若い親を助けるため、サパテロ政権は一人目の子供からの税の大幅な控除を、そして昨年1月には、「男女の平等に関する法律」を可決させた。それ以来、給与のある母親はより良く保護されている。しかし、子供の世話と同様に住居に関しては、家族が当てにされている限り、何も変わることはないだろう。



Où sont les « bambini » ?

「子供たち」はどこにいる? 

出生率が女性一人あたり1.3人で頭打ちになっているイタリアでも同じ現実が見られる。マンマ mamma の顔は常にそこにある。しかし、もう子供 bambinoを作らない。「私には6歳の時からragazzo(フィアンセ)がいます。私たちは、3部屋あるアパートを他のカップルとシェアしています。それが生活するための唯一つの方法でした。でも、自分の家がないと子供を産むことができません」と、ローマの近くで契約看護師として働く、26歳のルドヴィカは語る。イタリア南東部のアブルッツェで働く、28歳の若い既婚者マッテオは、父親になる準備はできていると思っている。「僕は家庭を作りたいし、子供は3人欲しい、僕はカトリック(訳注:catholiqueには「まとも」という意味もある)だ。でも、僕には両親がいないし、妻の両親は病気だ。家族の助けがないと、僕たちは計画を先に延ばさないといけない」 高過ぎる住居、不安定な仕事、しかしまた不足する保育所と家庭への補助の貧弱さ、結局そのためにイタリアでの出生を妨げているのがお金の話である。世界銀行によると、家族向けのインフラストラクチャー(保育所など)に対するイタリアの国家支出は国内総生産に対して僅か0.3%、社会的補助は0.58%に過ぎない。それに対しフランスでは、それぞれ1.23%と1.46%である。社会学者のフランコ・フェラロッティは別の解釈を述べる。「イタリアは今、12年前からのベルルスコーニ政権以来、個人主義と快楽主義の方向性を見失って彷徨っている。それは今も続いている。」 経済学者のベアトリーチェ・マイノーニは、ムッソリーニ時代までさかのぼると言う。「独裁体制は常に出産奨励的でした。そのため、そのような体制を経験した国では、権威主義と出産奨励の宣伝が必然的に結びつくことになります。それがイタリアの場合で、スペインも同様、もちろんドイツでもそうです。」 程度は様々だが、これらの国では、民主主義体制での出産は個人の領域に属すると考えられている。3歳未満のイタリアとスペインの子供の6%、ドイツの幼児の10%が公的施設で保育されているが、対するフランスでは29%である(OECDによる)。

(つづく)

出典:

CLAIRE FLEURY

avec MARIE-HÉLÈNE MARTIN à Londres et MARCELLE PADOVANI à Rome

Le nouvel Observateur No2208 du 1er au 7 mars 2007

次回はドイツと英米のお話です。