日銀総裁の品格ってなあに | むしとの日々

むしとの日々

タイトルの意味は子供時代への郷愁と自分の次の世代がまったく虫に興味を持たないことの悲しみ。
子供孫の時代になって昭和は遠くになりけり。
それでも嫌いさらに反発を覚えるのが左翼的いや利権的自然保護です。
自然保護など語るべきでない。

 日銀総裁の欽チャンファンド問題はしばらく非難擁護の論争が続くとして、

非難側の代表的な言明は 『李下の冠』 恥を知れ であり、 擁護側は財務、総務担当大臣による 『余人を以って代え難し』 である。

日銀総裁の座に限らず長であるとはいえ独断専行で政策決定できるものでない、 むしろ内部意見の集約関係官庁との根回しに費やされ、余人を以って代え難しと言うのは世界情勢経済を読むことでなく 関係者間の人事コネである。


能ある鷹は、形式的な組織の長より真の自由裁量で決定できる一投資家として思う存分振舞える完全自己責任の世界が生き易い。 欽ちゃんファンドのオッサンも自己責任を避け組織インサイダーコネクションのッ世界の人間で投資家としてはニセモノであった。


70歳になり老醜をさらす、残りの人生で使い切れぬ資産があると推定されるが高給の地位を手放さない福ならぬ貧乏神になりつつあるオッサン。


 政界財界から実力を惜しまれる通貨の番人が、公的職務を捨てて悠々自適の完全投資家生活に切り替えたら大成功するはずであるが、地位に恋々とするのは所詮インサイダー抜きでは世渡りできない人種の一人なんだろうか。