622.3 上田へ ★真田氏館跡★
記憶をたどって上田城と砥石城を紹介しましたが昌幸が上田城を築く前の幸隆・昌幸のルーツをたどり真田の庄へ向かいました。
(案内板は読みにくいですが、左下から右上に伸びる赤い道はR144鳥居峠を抜けて沼田へ、中央やや下から左上へ抜ける道は松代街道)
真田氏館跡付近はお屋敷公園として親しまれています。そのはずれにある歴史館に入ってみました。
入ってすぐ目についたのは・・・・
NHK大型時代劇「真田太平記」の面々が真田幸隆・昌幸の墓に手を合わせている写真。
おなつかしや。右から樋口角兵衛、真田昌幸、信行、小松姫、幸村(信繁)
(因みに墓の周囲は石柱で囲まれ一般人は中に入れません。)
最近の色紙 真田丸の「おこう」さん以外誰が誰だかわかりません。堺雅人さんの色紙もありました。
ジオラマで真田氏の山城を点灯させるとこんなにたくさんあった。
このジオラマと上記案内図はほぼ対応させています。即ち根小屋・尾引城の間を抜けて左上をたどるのが松代街道。真田氏本城・松尾城とたどり右上にいくと上州沼田へ続く。
前の記事で紹介した通り、砥石城だけで砥石・米山・枡形・本城とありましたが他にもこんなにあった。根小屋城は根古屋城とも、尾引城は横尾城とも呼ばれています。
砥石城もそうですが、多くはかつて村上義清配下の城でした。真田幸隆の調略で砥石城から村上氏を追い払ったのち、真田の支城となりました。
真田のもともとの城は松尾城と真田氏本城、天白城
歴史館の中には古文書や真田に関する遺物もありましたが、昌行、信行、幸村の甲冑や刀はNHKの「真田太平記」で使用されたものが展示されていました。
資料館というよりなんとなくドラマ「真田太平記」の記念館という印象が残りました。かたくり的には大変思い出深いドラマだったのでそれでいい。
御屋敷公園案内図(真田氏館跡・真田氏歴史館)
「幸村、塩田平に城が欲しいのう、山城ではいかん。」
「上杉が攻めてきても、家康が攻めてきても守りにくいではないか」
「千曲川をそのまま堀にして平城を築き、そこに街をつくるのじゃ」
真田昌幸は上田城を築いた後、館跡には真田の氏神を祭る神社にして屋敷の荒廃を防いだ。
今ではツツジの名所として市民に親しまれているお屋敷公園ですが、土塁が幾重にも築かれていて平時の備えが偲ばれました。
景色に見覚えがありませんか?
桜の木の下にベンチがありますが、ロケに使われたのはベンチの右側の白樺の倒木
甲斐から家族が命からがら故郷に逃げ帰ってきりに土産の櫛(ギリ)をあげたシーン。
本命の櫛を握りながら眼下におうめの姿を追っている・・・・・
2016年1月24日放映のワンシーンでした。→ http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/story/story03.html