2.日経ビジネス2014年2月3日号「異説異論」リレー連載より

中国が尖閣にこだわるワケも知っておいた方がいい
宋 文洲

2013年末に安倍晋三首相が靖国神社を参拝したことで、日中関係がさらに悪化した。
私の立場上、このテーマを避ける訳にはいかないと思う。
 
今の日中関係の難局は言うまでもなく、尖閣問題が発端だ。領土問題は極めて解決が難しいテーマだが、放置していては現状のままなのも事実。そこで私は、日本の方々に1つ提案したい。それは、日本側も、なぜ中国が尖閣を自国領と主張するのか、その理由を知っておいた方が今後、この問題を考えていくうえで役立つ、ということだ。
 
尖閣が中国領だと主張する中国人は次のように考えている。
 
明と清の時代において、現在の沖縄である琉球は中国の冊封国だった。
「冊」とは「認定書」のことで、「封」は「土地の寸法」を意味する。
中国との境界線を定めていないと冊封は成り立たないため、当時は、明確な国境があったことになる。
 
その時代は、明と清の冊封使節団は福建省を出発し琉球に向かった。
その途中にある釣魚島(中国での尖閣諸島の名称)を必ず通るため、明と清の外交文書や公文書に「釣魚島は中国領」との記述が存在する。
 
その後、アヘン戦争などで清が弱体化すると、当時の日本政府は独自の調査を通じて釣魚島を「無主島」と決め、国標を建てようとした。しかし、清が島名を付けていたため、「機会を待つべき」と国標の設立を見送った。これは日本の外交文書に記述がある。
 
そしてその「機会」は、日清戦争に日本が勝利した時に訪れ、1895年に日本は釣魚島を領土編入した。「尖閣諸島」という名称は1900年にイギリス海軍が付けた「Pinnacle Islands」を直訳した名称であり、日本で歴史的に使われてきたのではない──。
 
こうした考え方と、尖閣は日本領とする方の考え方の最大のギャップは、歴史を振り返る時間軸の違いだ。
 
尖閣問題においては、日本側が1895年を起点とした領土編入後の証拠を使って固有の領土だと主張しているのに対し、中国側はそれ以前の明・清時代の琉球との外交関係を使って固有の領土と主張している。出発点が異なる結果、中国側は日本による領土編入が一方的で非合法だと言っているわけだ。
 
1978年にトウ小平氏が、福田赳夫氏との共同会見で、尖閣問題の棚上げと、「次世代が賢くなって解決してくれる」との期待を表明した。福田氏は異を唱えなかったのでこれに同意した、と受け止められている。
 
私個人としては、このとき、日中の首脳がこの問題を先送りしたからこそ、今の難局があると考えている。
 
企業経営では、先代の経営者が残した課題は、後世の経営者が処理をしなければならない。それは政治の世界でも同様で、今の日中はまさに歴史的な懸案の処理を迫られている。
 
どんな困難があっても、結局、日中両国は平和共存するのがお互いにとって最適な道だと私は思う。そして、感情をぶつけ合っているだけでは、その道を探ることはできないのも間違いない。経営課題と同じく、
まずは懸案が生まれたプロセスを冷静に共有する。それが事態を動かす第一歩になるのではないか。
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