横浜市立立病院を退院した戸部三郎さん。娘のみち子さんが毎日通って面倒を見る。三郎さんはこの家で妻のはな子さんと暮らし、足腰の弱くなったはな子さんを介護していたが、昨年11月に入院。三郎さんは一人暮らしになった。

社会保険横浜病院、こちらに母のはな子さん84歳が入院している。

はな子さんは肺炎を患ったことから急激に体力が弱った。容態が安定すれば退院しなければならない。

医師も看護師もいない自宅でdこまでできるのか?みち子さんは戸惑っていた。「怖いです。」

病院では治療が終わった患者の早期退院を求めている。

介護保険施設や民間老人ホームが受け入れ先だが、狭き門で、病院は自宅を優先的に考える。

病院は退院を促すに当たって、介護が出来る人がいるかをまず調査。

病院側も、看取りまで病院でお世話するのは今の時代では難しいという。

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退院から2週間、みち子さんの不安が現実になった。三郎さんの元気が無くなった。気温が低く、寒かったのが原因と思われるが、ヘルパーさんの食事の状況報告を見ると、食べられる量がどんどん減っていた。

1日3回ヘルパーさんが通っている。30分の延長を求めた。延長分は自己負担となる。三郎さん、食事がなかなか飲み込めない。

意識がハッキリしていても食べることが出来ないもどかしさ。「液体だけでも飲み込むのが大変だ。生きているのは大変だと最近になってわかった。」と三郎さん。

食べられなくなると人工的に補給する必要が出てくる。

三郎さんの容態が安定した日、みち子さんと外出した。行きつけの床屋さんで散髪。

スッキリした表情の三郎さん。

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在宅医の沖田さん。24時間態勢で往診している。在宅医の役割は患者と家族を支えること。この日も開業医などと連絡を取りながら患者の自宅を往診。

近くで衰弱していく家族を看るのは辛いという家族も多いが、沖田医師はできるだけ看ていて欲しいという。

それから5日後、往診した勝島さんのおじいちゃんは呼吸が止まった。

すぐに沖田さんが駆けつけたが呼吸は無く、瞳孔の様子、心臓の様子も「死」を迎えた状態だった。食べられなくなって2日後のことだった。

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在宅で最期を迎える人が2025年には今の2倍の人がそうなるという。

入野喜代さん84歳は胃に穴をあけてチュウブを入れ命を繋いでいる。

自身で動くことができず、床ずれのために毎日、娘の光子さんがカラダを動かす。「日々、壊れていくのが看ていて辛い。」と光子さん。

この日は沖田将人医師が往診に訪れた。一瞬でも首を絞めたら楽になるかなと思ったと打ち明ける。

沖田医師は仲間の医師に相談する。医療行為を中止していいのかどうか。

ガイドラインは出たものの法的にオーサライズされたものではない。

「筋弛緩剤を投与するのが積極的な安楽死なら、このガイドラインは消極的な安楽死ではないか。」と沖田さん。

この日、入野さんの自宅に、医師や訪問看護師、ケアマネージャーなどが集まって、多種多様な意見を出し合う。もちろん入野光子さんも参加。光子さんは「何の楽しみがあって3年も4年も生かされているんだろう。」と素直に意見を述べる。

訪問看護師も今までずっと光子さんの自宅で支援してきたので賛意を示す。

医療中止を決めたものの、喜代さんは風邪をこじらせてお迎えが来た。

光子さんは今も医療中止を決めたことに「これで良かったのか」と自問自答する。

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三郎さんは徐々に衰弱が進んでいた。

みち子さんは最期のときが近づいていると感じていた。母のはな子さんも熱が出て退院が難しくなった。呼びかけても応答が無くなった。

懸命に介護を続けたみち子さん、二人への想いがこみ上げる。

みち子さんは少しでも長く父親の傍にいようと、家に寝泊りすることにした。

このまま自宅で看取ろうという意思を固めた。「何とかなると思う、何とかしたい。」

みち子さんは医師から痰がからむのを取る方法を教わる。また容態が急変した場合の対応方法を医師に聞く。

三郎さんははな子さんをずっと看病してきたので、みち子さんが気にしていた。三郎さんに聞くとやはりはな子を気にしていた。

数時間後、三郎さんの呼吸が急に弱くなった。みち子さんは救急車を呼ばずに家族だけで看取ることにした。

家族の見守る中、三郎さんは息を引き取った。最期の言葉は「ありがとう」だった。

それから1ヶ月、母親のはな子さんも病院で息を引き取った。

両親を続けて看取ることになった。

みち子さん「やりきった感はあるけど、本当にこれで良かったの?という想いもある。」

↓在宅医の沖田医師
生誕半世紀からの存在証明-沖田医師