事故調査検証委員会の中間報告が発表された。

畑村洋太郎委員長「どの視点から見るかというと、10数万人の避難民の目線になる。現場に行ってみることが重要だと思っている。」

柳田邦男「幅が広いし、決定的な原因となった原子炉に近づくことができない。10倍も50倍も難しい。」

根元良弘デスク「どこまで迫れるか注目したが、これほど備えが無かったかに驚いている。」

①メルトダウンは何故防げなかったのか?

1号機は高温の核燃料が露出し、メルトダウンが発生。さらにメルトスルーが起きたとされる。報告書は習熟不足を指摘。特に、非常用復水器の取扱が不適切だったと指摘。

3号機でも、非常用バッテリーが動いていたが、運転員がこれを停止したことが報告書に記載。運転員は圧力を下げる電動弁を開けようとしたがバッテリーが不足した。炉心損傷が軽微になる可能性があったと記載されている。

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畑村「習熟不足は、直流電源が止まったような場合の想定は無く、みんなが思っていたこととは違っていて、考えている中身が違っていた。関係者は誰も気がつかなかった。1号機のバルブが開いているかどうかの認識が違っていた。」

柳田「システムの本質を理解していない。離れた位置で冷静に見られる本社側や原子力安全委員会はそれを指導することもできなかった。」

畑村「東京電力は、本来想定すべきことが出来ていなかった。想定をしないとヒトは行動も判断もできない。想定以外が起こったらというのを、起こる前に備えることは難しい。ひとつだけが使えなくなるということだけでなく全部使えなくなることも考えておくべきだった。」

柳田「全部がダメになることは考えていなかった。ひとつダメになれば他から持ってくれないいという具合で。」

畑村「準備がされていなければ防ぐことはできない。準備が出来ていれば防げたと思う。」

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②放射能汚染の情報は何故遅れたか?

SPEEDIシステムは地震発生直後から稼動した。では何故公表されなかったか?

安全委員会も公表しなかった。あくまでも内部資料ということだった。

総理大臣への報告も行われなかった。初めて公表されたのは10日後だった。

報告書は早く公表されたら、非難方向などの指示も出来たろうと報告されている。

文部科学省は浪江町の3月15日の被曝量を年間の被ばく線量範囲を超えていた。報告書は「住民の命と尊厳を守るという立場にたつことが希薄だった」としている。

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柳田「精度を問題にすることが’いたずらに混乱するから’としているが、十分に生かせば放射線の多いほうに逃げることは防げた。実効性のある訓練が出来ていればいいが何も無かった。形だけの避難訓練しか行われていなかった。避難するときの何を持っていけばいいかとか、どこに行けばいいのかとか、小さな地域でしか行われていなかった。」

畑村「実際に起こってみると、訓練とはまったく違う。自分がどうしたらいいか映像のように頭の中にできていないと役に立たない。」

柳田「SPPEDIにしてもモニタリングにしても、形は作ったけど魂が入っていない。」

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③事故対抗は何故混乱?

保安院のオフサイトセンターが機能しなかった。

事故が起きると福島のオフサイトセンターに担当者が一同に集まり、重要な意思決定を行うことになっていたが、報告書には’機能の妨げになった’としている。当時停電して翌日午前3時にようやく動きだしたが、放射線量が高くなり、使えなくなった。

首相官邸がオフサイトセンターを代替することになる。地下1階にセンターが設けられた。一方5階に首相は関係幹部を招集。5階と地下1階に十分な情報共有ができなかった。と報告されている。

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畑村「本来は現地にあるのがいいが、オフサイトセンターを設置した際には放射線量が高くて使えなくなることは想定されていない。条件が変わったときにどうするべきか考えられていない。それではなんにも出来ずに行動もできない。それではいけなくて、形を作っただけでは何も動けない。もっと大事なのは関わった人たちが自分に課された責務を全員考えていないといけない。」

柳田「現地対策本部というのは、どんなことが起きるか予想していないといけないが、近距離の事故を前提としていない。オフサイトセンターにしても壊れないということを前提としている。」

畑村「事実として何があったのか、それから何を学ぶのか。をやっていく、いずれは政治家の人にヒヤリングをしていく。」

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④巨大津波の備えは何故無かったのか?

報告書では見直す契機はあったとしている。

試算では10Mを超す津波を予想している。東電では防波堤工事に4年をついやするとしている。

しかしここで示されるような津波は来ないと結論している。

事故調査委員会は保安院にも問題ありとしている。保安院の審査官は津波対策の具体的な対策の指示はしていない。10Mを超す津波の予想報告がされていながら。

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柳田「システムズアナリストによると、津波対策は膨大な費用がかかる。一番大事な配電盤が水を被るということを防ぐことの対策はせいぜい10億円程度でできる。」」

畑村「人間は考えたくないことは考えなくなる。線を引いてその内側のことは考えるが、外側のことは考えなくなる。外側のことを考えることをこれからはしっかり考えていかないといけない。」

柳田「何故想定外のことを考えないかというと、費用とかかかることもあるが、いったん起きたら想像以上のことが起きる。そういう被害の大きさを考えたら、起こる確率だけの問題ではなく、1000年に一度のことでも、すまなくなる。被害のことも考えてシステムを作ること。」

畑村「10数万の避難している人たちの目線で、これから最終報告をまとめていく。」

柳田「根底にあるものを明らかにしていきたい。」

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最終報告は来年の夏に出る。

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僕の気持ち・・・後だしジャンケンならなんとでも言える。当時必死に自分が被曝することも覚悟しながら事態の収拾に当たった人たちに対するリスペクトが何も無いのは哀しい。事故調査委員会だから「何故事故になったか」を調べるので仕方ないが、根本的に「何故大きな津波が来ることが予測できなかったか?」の検証も是非してほしい。最も肝心なのはできれば自然災害を事前にある程度予測できることだと思うから。さらに踏み込めば何故「被爆国が原発を置いたのか。」もね。