宮城県石巻市、震災から1ヶ月がたった5月3日。地元の人たちが集まってきた。水産加工の仕事をしていたが、今は仕事が無く、集まってから住宅地に向かい、ヘドロの除去の作業をした。5時間働き、あと3日は作業が続く。

彼らには時間給800円が支給される。貴重な現金収入なのだ。被災者が被災地の仕事をして収入を得る。このシステムはキャッシュ・フォー・ワーク(cash for work)という働き方。これは、災害地等において被災者を復興事業に雇用。賃金を支払うことで、被災地の円滑な経済復興と、被災者の自立支援につなげる、国際協力の手法だ。2004年のインドネシアでのスマトラ島沖地震津波等でも実施され、大災害における被災者支援と経済復興手法として多くの実績を上げた。東北地域の被災者から「働きたい」「仕事がほしい」という声に応えようと、このキャッシュフォーワークの取り組みが始まっている。
「仕事を無くされて困っている人たちの手助けになれば」と事務局の安達さん。

しかし6月末で資金がショートする予測。震災に負けずに働く希望をもつには。

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江口君・・・ある保育園を訪問。そこには被災地からやってきた保育士が働いていた。小久保さん、渡邊さん、吉川君の3人。被災地では保育所もまだまだ再開できていない。日本保育サービスでは東京での仕事を斡旋、採用された。働く場が大事。普通の仕事をすることで取り戻すことも多い。

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宮城県女川町。腐った魚の処分におわれていた。震災失業者は5万人以上にのぼる。経営者にとっても築き上げた会社が一瞬にして失われたのだ。

番組が4月12日に放送した、女川で唯一生き残ったかまぼこメーカー高政。

あげかまぼこを12万枚、毎日避難所などに配った。再び、高政を取材。高政の高橋社長。従業員を一人も解雇することなく、今後の事業展開を考えていた。いまは、女川町で被害を受けた取引先の水産加工会社たちに、工場の一角を提供。共に手を携えて、地元の復興を支えていこうと動き出した。

工場の生産ラインが整い、販売も少しずつ始まっていた。

入社式も1ヶ月遅れで5月2日に行われた。

震災前に入社が決まっていた、新入社員・斎藤夢実さん(18)。家は津波の被害を受け、祖母、母、兄の4人で避難生活を送っていた。「会社が海沿いだから絶対に駄目だと言われていたが、避難所にかまぼこが届き大丈夫だと知り、うれしかった」スーツ、バッグを用意し、社会人になることを楽しみにしている。「早く仕事をしてお金をためてちゃんとした暮らしをしたいです。」と語る、斉藤さん。地元に残って、社会人としての第一歩を歩み出した。

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石巻市の避難所。入社したばかりの斎藤さんはここで暮らしている。仮設住宅の申込もしているがなかなか当たらない。「床が固くて眠れなくなることもあるんですよ。」

内定が決まっていた「高政」は、連絡が取れなかったが、揚げかまぼこが届いたことで、「うわっ、あるんだ。」と思って安心したという。誰も解雇しなかった高政。通勤は母親は車で送っていく。

夢実さんは配送担当になり、包装紙でくるむが、うまくいかずに休憩時間も練習。昼休みは避難所で配られたパンを食べる。同期は家は流されなかったので、みんな弁当を持ってきている。ある日、会社の前で蹲っていた斎藤さん。どうしたのか?

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江口君・・・被災地離職数 約12万、求職者数 約5000人、需給ギャップは大きい。しかし全国での被災者の求職は4万ある。そういった動きを追う。

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仙台駅近くのホテル。クロスカンパニーの石川社長40歳が面接。

岡山の婦人服メーカー。全国36店舗となり、社長一代で急成長を遂げた。

全従業員が「正社員」。浮き沈みの激しいファッション業界で10年連続増収増益という会社がある。婦人服のクロスカンパニー。最近、都心のショッピングモールにも展開するファッションブランドだ。「森ガールファッションで、人気女優の宮崎あおいのアカペラCMで有名に」というと、巷では分かりやすい。このクロスカンパニーが中途採用枠150名分のうち、100名を被災者向けに振り向けた。しかも、住居費、引越し費用も負担するという。5月に福島・仙台で面接、選考をしたのち、神奈川・愛知・静岡などの店舗で販売員として勤務する。1年後には、希望すれば東北地方の店舗に転勤できる。企業による「雇用支援」。

面接は1グループ10人。石川社長は即決で採用・不採用を決める。

普通なら100人に一人くらいしか採用しないが、「面接じゃなくて支援だ。」と迷った末に採用を決めて100人中48人を採った。

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内定をもらったひとりの女性、マリエさんを取材。地元を離れて暮らすことになる娘に両親も期待と不安を持ちながらが勇気付ける。マリエさんは母校の中学を訪問し、バスケットボール部の伊藤先生に報告。伊藤先生「この子は勝ち運があると思う。」

マリエさんはボランティア活動を続けていた。親子で暮らし生活するのはあとわずか。6月6日に宮城県採用の女性たちと一緒に大型バスに乗り込んで東京に向かった。

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千葉県浦安市。薄井マリエさんの新居。引越し・住居費は会社負担。母親が食料や水を大量に送ってくれた。

マリエさんは舞浜のショッピングセンターで働く。いきなり店頭に立つ。

emaeイクスピリア店。全て実地で仕事を教わる。客に話しかけるタイミングがつかめずにオロオロ。すると仙台市から避難してきていた人が客に来て、話が出来て、カーディガンを買ってくれた。被災地の代表として負けられない!マリエさんはそれから接客も積極的にできるようになって声もかけるようになった。1日の売り上げが5万円を越えた。

社長の石川康晴さんは「いやらしいかもしれないけど、一番懸命に働いてくれるんじゃないかな。」

マリエさんは歓迎会に出て、ネックレスをプレゼントされて、「自分ひとりこんなに喜んでいいのか。」と複雑な心境ものぞかせる。

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高政の斎藤夢実さんは3ヶ月に及ぶ避難所生活で体調を崩してしまい、この日は早退し、会社の人に送ってもらった。避難所では祖母が心配して、元気になってねとねぎらう。

高政が石巻市役所の中で営業を開始した。斎藤さんはここで初めて店頭に立った。母親も様子を見に来た。「生きて働いていてほんとに良かった。」と涙ぐむ。

5月25日、斎藤さんはこの日初めて給料をもらった。11日間自ら働き稼いだオカネだ。数日後その初任給で家族にプレゼント。母には抱き枕、祖母にはエプロン。

避難所から次々と他の家族が出ていくなか、斎藤さん一家はまだメドが立たない。でも働くことで希望が見えてきた。