アフガニスタンで26年に渡って復興支援してきた医師がいる。中村さんだ。

アフガニスタンでは深刻な水不足があり、中村さんはまずは用水路の工事からはじめ、総延長25Kmの水路が完成した。

豊かな緑の作物が出来てきている。用水路の完成からまもなく、中村さんは新たなプロジェクトを開始。村を作ろうという。復興支援とは何かを問い続ける中村さんを追う。

----------------------------

今年8月、中村さんは一時帰国し、福岡県の柳川市を訪問。水路の治水施設を見て周り、300年も続いてきたこの水路のようにアフガニスタンの用水路を継続使用できるようにするにはどうしたら良いか考える。

用水路を作る前、ニングラハル州の田畑は荒地となっていた。雪解け水が無くなり水路が干上がってしまったためだ。地球規模の温暖化が原因と考えられるが、農民は土地を離れるしかなく、治安の悪化にもつながった。

中村さんは農村の再生がまず平和への道と考えて、水をたたえるクナール川から用水路を引くことを考えた。

土木の知識が無かった中村さんは独学で知識・技術を学んだ。

2003年3月、ついに水路建設が始まった。工事の噂を聞きつけて立場や民族を越えた人々が集まってきて作業にあたった。掘削機やクレーンなどの重機は無く、地元の人たちの手でやることに決めて、中村さんは日本の護岸作りなどの方法を取り入れた。江戸時代に既にあったジャ籠を使ったものだ。地元の人でもごく簡単に補修ができるのも利点だ。

作業員には日当が渡される。日本の基金がその源泉だ。

----------------------------

米軍の飛行航路にあたるためヘリから機銃攻撃を受けたこともあった。岩盤を砕く音が攻撃と間違われたからだ。そんな危険な状況もあったが、春にはクナール川からの水を引くことができた。しかし苦労した護岸が崩壊した。翌日住民達が出て補修を始めた。

2004年2月、用水路は最初の2kmが完成し、水路に水を通した。乾いた大地に水がしみこんでいく。

-----------------------------

2008年8月、恐れていたことが起きた。伊藤和也さんが武装集団に拉致されて殺害された。中村さんは日本人技術者を日本に戻した。現地には中村さん一人が残り陣頭指揮した。英語で住民に語りかける。「武器だけでは平和は訪れない。」

-----------------------------

2010年全長が完成した。ため池や堰板などの日本の技術も使われた。

完成を祝う知事と住民達の真ん中に中村さんがいた。

用水路の両脇には柳が植えられて、護岸をより強固にし、乾いた田畑には緑が戻り、麦が収穫された。

3500hに作物が作られて、食料が確保された。村を捨てた人々も戻り始め、とうもろこし、麦のみならず野菜も植えて現金収入を得る人も出てきた。

-----------------------------

帰国時に会いたかったという法政大学教授の田中優子先生と会う。江戸時代の文化に詳しい。江戸時代の農民はものすごい技術を持っていて、川の管理や年の水の管理もそうだが、暮らしのことは何でも自分たちで出来たという。中村さんはそれが今のアフガニスタンの人々に当てはまるという。「石を使う文化は素晴らしく、農民全体が石工だ」という。

日本の今はコンクリートを使い、生物には住みにくくなっているが、アフガンでもコンクリート信仰はあるものの、石を使った方法でなんとかやってみたいという。

田中「この木は切らないといった自然を残し生かす方法を取っていた。」

中村「人間は自然を全てコントロールはできない。取り分は欲張らないということでは江戸時代とアフガンでは共通するものがある。」

-----------------------------

用水路が完成した今、抱えている問題は「用水路は絶えず補修しなければならない」ということ。支援を一時的なものではなく恒久的なものにするためにはどうしたらいいのか。数十年単位で保全していかなければならないが今の政府では難しい。

そこで中村さんは’新しい村’を作ることにした。ガンベーリー砂漠に80家族1000人ほどの住民を定住させようというもの。中村さんは現地でひとりひとりに作りたい作物をアンケート。何が適するかわからないが、生活のためにここで育てられるものを作ろうという。

もうひとつの目的は、補修のリーダーを育成すること。治水技術を習得した農民をこの村に定住させて、用水路の管理を任せようというもの。

-----------------------------

田中「村を作ろうということを伺ったんですけど?」

中村「水路全体を管理できる特殊な使命を帯びた村になるんじゃないかと。」

中村「村には水稲や豆類も出来るようになってきている。少しずつ開墾地が広がるに連れて、人も増えてきくと思います。」

中村「一人では生きられない、ひとつの家族だけでも生きられない、コミュニティーが出来上がってこそだ。」

-----------------------------

オバマ大統領は来年7月までアフガニスタンを平定するために3万人の米軍を増強。この拡大によって米軍兵士も犠牲者が増えた。アフガン側も誤爆や自爆テロによって、この2年で1万人にも達する死者が出ている。

中村さんが帰国した目的は、このような事実を日本に伝えることもあり、全国を講演して回った。

中村「報道されるときには認識されるが、すぐに注目されずにわかりにくい国だが、ごく普通に子どもが誤爆で死ぬ。戦争では平和は訪れない。」

こういった中村さんをアフガンゲリラ寄りだと批判する人もいる。

日本は給油活動を休止し、民生用に50億ドルを拠出することが決定。中村さんはその使い道を考えるメンバーにも推挙された。アフガニスタン復興支援には農村復興だと訴える。しかしなかなかその方針が決まらないもどかしさがある。

-----------------------------

中村さんは解剖学者の養老さんと交流がある。昆虫の標本がたくさんならぶ部屋に案内されて、会談する。

中村「アフガニスタンの人だって普通に生活してるんですね。まずは命を補償してくれということ。日本に来て違和感を感じるのは、そういうことを言うとタリバンのかたを持っているとか、政治的な発言だといわれる。」

中村「アフガン人はアメリカに攻めていったわけじゃないし、テロリストを一部の人が匿ったというだけで。」

養老「まったくの中立の行為がそう捉えられない、政治って嫌いなんですよ。」

中村「戦争でどちらが勝つかなんて私には関心がない。いかに生活していくかが大事。」

養老「明日メシが無いというのが日本人には机上の空論になってしまっている。特に若い人が。」

中村「若い人も来ましたけど、最初は世界の水事情は!とか言っていたけど、シャベルという存在は知っていてもその使い方と実際に使ってみることは無かった。それが少し時間がたつと考え方も変わってきた。」

------------------------------

2010年10月、再びアフガニスタンに戻った中村さん。国土からみればわずかな用水路。この用水路がモデルとなって国中に広がれば、未来が見えると語る。

ピーマン、インゲン、コメなどが収穫され、来年はさらに多くの作物を植える予定だ。

アフガニスタン永久支援のために。