アメリカのカーニバルで踊る中南米の人たちに混じって踊る男。栃迫篤昌さん。(栃は木ヘンに方)

日本の銀行を辞めてアメリカに渡り、送金システムを作って、安い賃金の出稼ぎ労働者に喜ばれた。

新たな融資も考えた。その日暮らしから抜け出せない人々を融資によって底上げしようというもの。

「誰かの生活にチャンスをあげられるのが金融」と語る栃迫さん。

---------------------------

今年2月、大雪に見舞われたアメリカ・ワシントン。雪かきで日銭を稼ごうとする出稼ぎ者たちが道路に出て仕事を待っていた。

そのワシントンに中南米から移民を主な顧客とする小さな金融機関がある。

栃迫さんは銀行をやめて「送金システム」を構築。送金は欠かせない手段であったが手数料が高かった。

エルサルバドルから来たリカルドさんがオカネを借りにきた。無担保だが、鍵になるのは家族への送金履歴だ。これが人物像を如実に語るのだ。

リカルドさんは2年前にローンで車を購入し、仕事の地域の幅を広げて、収入も大幅に増えたという。

エルサルバドルの家族のためにローンを借りた女性アルバさんもいる。国境を越えたローンで故郷の家族にオカネを貸すものだ。これも送金履歴を見てから貸す。母国の家族が営む牧場の経営資金に充てる。資金は牛を買い、乳や子牛を売る。牛乳の量も増えて収入も増加したという。

アルバさんの次の目標は。母国に家を建てること。夢ではなくなってきた。

---------------------------

ワシントン中心部に本部を構える栃迫さん。目標は世界の隅々までこの「小さな金融」を広げることだ。

追い風となっているのはマネー・ロンダリングなどを監視するため厳しくなった送金だ。栃迫さんのシステムはこの証跡となるため、世界から引き合いがきている。

---------------------------

30年前、東京銀行に入行し、メキシコの地方都市に転勤。そこで初めて貧困の現実を見る。

「モノが無いのは生きていけるが、精神的に希望が無いと生きていけない。」と栃迫さん。

その後、エクアドルやペルーに勤務。そこでも貧困を見るが、銀行が相手にするのは富裕層や国の政府関係。

そこで考えた。どうして貧しい人を助ける金融がないのか。

---------------------------

ワシントンでは移民が仕事にあぶれて、職を求める姿をたくさん目にした。

長引く不況は仕事にあぶれる人を増やし、栃迫さんの金融にも影響が出始めた。返済できない人が増えてきたのだ。返済が160日以上滞っているものを「不良債権」として処理したいと店舗マネージャーがやってきた。

結局13人分は回収不能としてサインした。しかしマネージャーには釘をさした。「お客には店に来て相談してほしいと伝えなさい。」と。

---------------------------

起業して7年、初めから簡単でないのはわかっていた。50歳で起業。会社の同僚からも「大丈夫か」と本気で心配された。しかし妻の真澄さんは夫の転勤にも付き合い、夫の決断に従った。「やれば」というのが答えだった。

出会った頃から穏やかだったが、やると決めたらやる人だったから。

夕食が終わると、すぐに仕事に戻り、金融という世の中の血液を行き渡らせたいと策を練る。

---------------------------

4月、中米のエルサルバドルに渡る。深刻な貧困を抱える国だ。国内の産業は内戦で打撃を受け、働き手は国外に出稼ぎにいく。

アメリカに行く人でごったがえす空港。出稼ぎが多いとますます国内のGDPは上がらなくなる。それをなんとかしようとやってきた。国際資金の滞留資金を利用して融資しようというもの。

地元の金融機関と提携して融資する。既に小口の100ドル融資で小さな店を出した未亡人は、今は生き生き働いている。

当初は返済に不安を抱いていた地元ローンの担当者も、今は栃迫さんのいろんなノウハウに感謝している。

この日はエルサルバドルの最も大きな金融機関を訪問し提携を申し入れる。しかし相手は時期尚早とけんもほろろ。しかし食い下がって粘る。海の越えるローンの新たなビジネスモデルを提案すると、興味を示した。今後提携の交渉を続けていくことになった。

---------------------------

この日仕事を終えた栃迫さんは地方の村を訪れた。

駆け出しの銀行員だった頃、思った「この人たちの必要とする金融をしたい。」

その思いは今も変わっていない。そして貧困も変わっていない。残りの人生を賭けて挑むつもりだ。

---------------------------

東京。栃迫は大手通信会社を訪問。これまで銀行が独占してきた送金事業に乗り込もうという。そうすると滞留資金も増えて融資も多く出来る。

4ヶ月に渡る交渉の末、契約に目処がたった。本社で誕生日を祝う社員からのケーキのプレゼントに、少し涙ぐむ。