スーパーマーケットでロングセラー商品を探す、龍さんと小池。

ハウスバーモントカレー・森永ミルクキャラメル・明治チョコレートなどなど。

今夜は亀の子だわしをシンボルにロングセラーの秘密に迫る。

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大阪市西成区、日雇い労働者の多いこの街にある小さな会社。ここ数年売り上げが減少して苦しんでいた。しかしこの会社はどんな不況でも’これがある’オーバンドという輪ゴムのトップブランドを生産している。原料のゴムは絶対に品質を落とさない。

驚異のサバイバルを発揮するロングセラー商品。時代を超えたロングセラー商品に学ぶ。

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まずは亀田製菓の「柿の種」、田中社長がゲスト。

午前0時、人気の無い工場に灯りが煌々と灯る。24時間フル操業で生産しているのが「柿の種」、誕生後60年を経過。スーパーでも特等席に置いてあり、客が手を伸ばす。この商品、今でも年々売り上げが伸びているのだ。

山本さんの家を取材。柿の種の愛好者だ。柿の種ミートドリアなど、子供も好きな食事になり、柿の種のから揚げなどもおやつにしている。様々なレシピが今も投稿されている。

新潟で1940年代に、農家の集まりから創業。小泉さんが地元にあった柿の種を商品化し、分包化など次々とアイディアを投入しヒットした。

現在の田中社長。毎日他社製品をチェックする。そして「柿の種」は改善に改善を重ねてきた。今抱えている課題は’アベック’というくっつきを無くすこと。開発部隊・生産部隊が自主的に取り組んでいる。

形状などスタッフは1日3回、製品のチェックを行い。さらなる改善を続けている。

社長「お菓子は五感で楽しんでいただくもの。」

社長「出来立ては暖かくておいしい。」

創業者の小泉栄治の言葉が紹介される。昭和21年頃でありながら、今でも通用する言葉が語られている。

社長「小泉は小学校しか出ていないし、中国からの引揚者である。でも彼は哲学者だ。」

社長「ロングセラーは結果が全て」

2000年、亀田製菓は初の赤字になった。創業者亡き後に社長に抜擢されたのが田中だった。田中は日本長期信用銀行から入った変り種。「大企業病」を見てとり、すぐに改革に乗り出して、Ⅴ字回復を果たした。

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練馬区上石神井店。いなげやスーパーで、亀田製菓の販売促進が行なわれていた。

ハッビーターン、ぽたぽた焼きなどの「トップエイト」をさらに売り上げていこうというもの。会社ではトップエイトの入れ替えを促進している。「手塩や」が初めてトップエイトに入り会社から表彰された。

ハッピーターンもうかうかしていられない。担当の村井さんは、ある戦略でトップエイトを死守した。半田さん一家もこのターンの粉’ハッピーパウダー’にはまっている。

生地に多く付けると売れることがわかっており、改良が加えられてきた。表面に筋をいれてパウダーが多く付くようにして、売り上げを伸ばした。

ロングセラーも常に改良していっている。

田中社長「30年商品・50年商品を放置していたら今は無い。少しずつ変えてきたことがロングセラーの秘訣。」

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キューピーマヨネーズ

そごう横浜店。デパ地下の人気は相変わらずだ。特に人気なのがサラダの店。そのサラダ人気の基礎を築いたのがキューピーマヨネーズ。日本全国のマヨラーを魅了する秘密とは。

府中市の研究所。なにやら「味覚試験室」で、味覚調査が行なわれている。試作品と実際に売られているものを比べる。キューピーでは年間100種類ほど試作品を作って消費者ニーズに合わせようとしているのだ。

今回は酸味を抑える味。小学生が酸味を嫌うからだという。

もとは肉・魚料理のソースとして販売。中島は昭和30年代に、冷蔵庫の普及とともに広がりつつあった生野菜を食べる習慣を好機と捉えた。

中島はビンをチューブに変えて使いやすくし、卵の自動割り機などを取り入れて、安く提供できるようになった。

「創意工夫」が大事なことと中島は語った。

現在はサラダも主菜というコンセプトで、新たなサラダ文化に挑んでいる。

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ホンダ。

東京大田区、バイクに乗る若い女性。小畑さん。乗っているのは「ホンダカブ」、新聞配達の用途など毎年6万台売れるロングセラー。さらに自分流にアレンジする人も増えている。

ここまで人気があるのも燃費の良さ!新潟まで1500円で行ってきた人も居るという。

「スーパーカブを超える商品」がホンダの経営者の高い壁でもある。

カブは創業者本田宗一郎の手による。当時は二輪車は難しい乗り物だった。宗一郎は誰にでも乗れるバイクを目指した。ガソリンタンクの位置、エンジンの向きなどを改良していた。

今では160カ国で売るロングセラーとなっている。

本田宗一郎の語りがテープで紹介される。本田「人間に役立つものが我々は欲しいの。」

龍さん・・・宗一郎さんは誰のどんな役にたったかがわかる人が偉い人だという信念があった。

ロングセラー共通の悩みはいかに時代に合わせていくか!だ。新型カブ開発担当者の今田さんは複雑な心境だ。カブの様々な寸法が良く考えられた寸法だった。特に荷台の高さは、机の高さと同じで使いやすい。寸法関係は踏み込めないと今田さんは語る。

50年前に本田宗一郎が考えた寸法がいまや世界を席捲している。50ccで5馬力を出した当時の技術が本田技研の基礎になっている。

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スリランカで作られている、椰子のみの皮の繊維からから作られているのが亀の子だわし。

繊維が集められ、長くて丈夫なものを選択し、それを束ねて針金を通し、曲げると出来上がり!

ある百貨店のコーナーで、束子を売っていた。主婦も買うが、プロの料理人もうならせる。

明治末期に西尾正左衛門が創業。始めは靴用のマットを製造していた。彼は妻が靴ふきマットの返品されたものを使って妻がその部品をこすって洗い物をしているのにピンときた。

当時は、藁を束ねたものを使っていたが、この亀の子束子は大ヒットした。今は三代目の西尾社長が経営者。亀の置物がたくさんあり、社長も社員もネクタイの柄は亀だ。

社長が取り出したのは「特許証」、これが会社の肝だ。

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スタジオに西尾社長が登場。年間500万個売れる。

1世紀以上作り方が変わっていないのは?

社長「先と手元で材料の量が微妙に違う。このあたりも熟練の手作業が必要。」

3月3日の日用品見本市。毎年生まれては消える。その中でも亀の子束子は品質とブランド力で異彩を放つ。

こだわりは①原料の椰子のみの繊維が油落ちにいい。

②主婦の手にスッポリ収まるサイズ

③うまく表面の繊維を立てて汚れ落ちを良くする。

1907年に発売されたが、1908年に標章登録し、全国販売に乗り出し、知名度を上げていった。

しかし質の悪い模造品が出回る、そこで正左衛門は特許を申請し、裁判にもうってでたが、裁判費用が経営を圧迫した。特許に頼らないブランド力を高める方法を考える。それが個別包装。

これが当たって、亀の子束子はブランドを得ることに成功。

正左衛門さんは、裁判費用に利益の半分も費やしたという。ブランド化や、ダンボールの使用(日本初らしい)での全国発送などアイディアを出していった。包装紙は亀の子の透かしが入っている。

ブリジストン・パナソニックと並び評される創業者の「発明」だったが、今でも変わらずこれ1本でいっているのは亀の子束子のみ。

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編集後記・・・儲かることを考えるより、利他的な努力を行なった結果がロングセラーとなっている。