車の中からスタート。ウチくる!みたいなしこうで漫画家の浦沢直樹のところに向かう。1億冊を売り上げる大人気漫画化だ。表現者としての太田vs浦沢の議論が楽しみ。
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現場はスタッフさんが6人くらい。フィギアも置かれた棚。20世紀少年の原稿が進んでいるところ。
爆笑は本棚のおびただしい本に注目。浦沢は他の漫画家のサインのコレクションなどを自慢。
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浦沢「下書きの線でミスが無い。マンガの神様が降りてきたようなときは、ものすごいスピードで描くため、翌日は具合が悪くなる。肩の脱臼をしたこともある。」
浦沢「得意なものはマンガだな。むちゃしてもできるものがわかってきている。」
ここで「20世紀少年」のあらすじが紹介される。
この作品をめぐって爆笑と議論。田中はバッチ欲しくて応募したという。
太田「「ともだち」のチャラにする感じはカルト教団の教祖に似ている。」
結末について浦沢「最初に思いついたことを生かした。考え直したけど、最初に思いついたことにいきついた。」
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1960年生まれ、23歳で漫画家デビュー。
浦沢「なりたい気持ちは無かった。理由は好きなマンガが売れていなかったから。なんとなく不幸になりそうな気がした。」「山上たつひこの「光る風」とか永島慎二の作品とかが好きだった。」
浦沢「手塚作品にはマイナス要素も内在している。」
浦沢「編集者になりたかった。」
浦沢「小学館に持ち込んだとき、少年誌じゃなくてビックコミックのほうがいいと言われた。」
浦沢「大友克洋が出てきてマンガ界が変わろうとしていた時代だったかも。」
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浦沢「手塚治虫の’火の鳥’を見て7時間も時間を忘れて読んだ。なんじゃこれはと思った。手塚さんの負けず嫌いはすごいと思う。」
太田「僕らはビートたけしに似てるね。といわれて嫌だったけど、その人にはなれないわけで。」
浦沢「僕も悩んだことがある。これは新しいな!と思っても手塚さんのここに描いてある!って気づく。」
浦沢「キース・リチャードが言った’単につないだ男と墓碑銘に書いてくれ’。これだ!と思った。」
太田「物足りなくなってこないのかね。このジャンルに。漫才でやれることにどこまでやれるかつきつめてもいないけど。」
浦沢「まだ物足りなくなっていないから。それはすごいね。」
浦沢「映像に乗り出すと出世魚みたいに言われる。マンガでいいじゃんと思ってる。」
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浦沢「ものを考えるときに、これ以上考えたら頭おかしくなると思ったこと無い?」
浦沢「ここは行かないでおこうと思ったときがある。」
浦沢「僕がお茶の間的に受けるのはそこでハンドルを切るからかも知れないね。」
田中「サザエさん的な安全運転のものと両方あるよね。」
浦沢「(マンガは)僕は藝術だと思うけど、世の中としては’たかがマンガ’と思っていて欲しい。藝術を作っているつもりだけど、祭り上げられたくない。ナンセンスやエログロも祭り上げられるのもおかしいし。」
浦沢「サブカルチャーがサブで無くなるのが繰り返し行なわれて、サブがメイン、サブがメインということになってきた。一番メインの太田がサブっぽいにも困るけど。」
浦沢「絶対に僕らはサブだ。」
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新たな「あしたのジョー」はどこに?
浦沢「僕らが読めねえや!というマンガが出てきたらそれが次のもの」
浦沢「手塚先生はコマワリを壊してくれないと!と言っていた。でも巻物は嫌だしね。」
・・・僕の得意技は漫画だ。・・・
ここでスタッフと雑談してオシマイ。