凛々しい柔道着姿の野村が画面に登場。今夜は北京五輪への途を閉ざされた野村だ。

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33歳の野村。最終選考会の準決勝で浅野に敗れた。7時間後に取材に応じた。北京に行けないことの事実と向き合っていた。「夢に終わったということは辛いですよ。ただし、北京を目指したことに後悔は無い。苦しんだことが無駄かと言われれば無駄じゃないと言える。」

ブログで五輪4連覇の夢は終わったことを報告するが手が止まる。

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アトランタは21歳の若さで、怖いもの知らずで快進撃。次ぎのシドニーは全試合違う技で勝つと宣言し、見事なしとげてしまう。そしてアテネでは3連覇を達成。山下泰裕さんも「野村は天才だ。」と語る。

天才と言われることにどう思いますか?と言う質問に「はい。」と答えるという。

その天才たる所以は、技を掛けられても瞬時にかけ返す対応の早さ。

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取材は今年3月から開始されたが、練習場所の天理大学では、テーピングを怪我した足におこなうところから開始。野村の練習場所は暗黙に決まっていて、道場の片隅にある。柔道着を脱いだ姿はまるで骨格標本。ウェイトトレーニングをしない柔道だけでできた筋肉質の整った体だった。

練習後にロープ登り、足を使わずに手だけで上り下りする。他に誰もいない道場で黙々と続ける。

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3歳から町で知られた柔道一家に育ち家の道場で技を磨いた。父親は天理大学で教えていた。しかし体が小さくて、芽がでなかったが遅咲きの花は大輪だった。

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右ひざ前十字靭帯を切った大怪我。しかし手術をせずに、炎症で溜まった水を抜いて練習に励む。

家庭は葉子夫人と一粒種の男の子。妻葉子さんは合宿で怪我をして帰って来た時は、さすがに黙ったままで、3・4日後にボロボロ大泣きしたが、話し合ってとにかく頑張ろうということにしたと語る。

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東京での出稽古。実戦さながらの乱取りを繰り返すが、不意に受けた技に、膝を悪化させてしまい、それでも練習を続けたが、苛立ちを隠せない。

負った怪我は耐えるしかない。

4月の体重別選手権はフランス国際を制した平岡と実績に勝る野村の争いが注目され、決勝でまみえるものと誰もが予想していた、野村自身でさえも。

「勝てば北京」のプレッシャーの中、準決勝で浅野にほんの一瞬隙をつかれ背負いを喰らい、ポイントで敗れる。優勝は平岡。

代表決定の報告がある試合の翌日、野村は会場に向う車の中で取材に答える。ふがいなかった自分を責めつつも、一縷の望みを捨てていなかった。

しかし結果は落選。スポーツ紙も「引退」と書きたてた。

その日から1週間後、彼の気持ちを確認すべく取材。4月12日、家族を連れて奈良公園にいた。ふとした瞬間、野村の横顔は寂しげだった。

「試合が終わって、日にちがたってノンビリしているこの時間。やはりどっか物足りない。年齢とか、プレッシャーとか、大変だけど、もう1回戦ってみたいですね。」

4月25日に靭帯の手術をすること決めた。

そして4月14日に、試合後初めて柔道着に腕を通した。そして原点の道場で子供達を指導していた。「負けるな。」といいながら、再びオリンピックの舞台を目指すように。

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今夜の感想・・・野村は今回敗れたことによって、実は柔道家としてはまた一回り大きくなったのではないだろうか。「勝つ」だけではない「柔道」の極意に1歩近づいているのではないだろうか。手術して復帰した後の試合を楽しみにしていたい。