言葉にユーモアとウィットがないために混乱してしまう小沢一郎の言動 | 独断と偏見の日記帳

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 もしかしたら、小沢一郎元幹事長は、昭和30年代の議員なのかもしれないと、このごろ思えて仕方がない。なぜなら、そのころの政治家は、テレビに対しては極端に拒否反応を示していた。その反面、新聞記者、雑誌記者などには比較的、よく会話をしていた。


 そもそも、民主党のこの混乱ぶりと国民目線から見たらたんなる内ゲバのような政争にしか見えない対立は、小沢一郎の話下手にあるのではないかと・・・・。


 あのブッスっとしたマスコミ向けの表情は観ていて不遜に見えて改めて、「本当にこいつは~」と言いたくなる。しかし、国会議員という立場から見れば、小沢の政治的プランや財政、外交に関しては一目、二目もある案を持ち合わせているとか。


 しかし、いかんせん、あの話下手なだけにいまいち、伝わってこない。


 まえ、特ダネ!、あるコメンテーターが「小沢さんの一部の言葉尻をとらえたものばかりを放送するのではなく、全部を見てみたい」と話していた。


 確かに、小沢元幹事長のニュースが流れるときは、前や後ろに何か言っているのではないかと思わせるような編集をしている。


 小泉元首相のように上手いフレーズで話すスタイルではない。

 まあ、あえて言えば、小泉型の演説をしていたのが、小沢の政治の師故田中角栄元首相ではないかと。


 小沢に少しでもあのウィットに富んだ角栄の演説・話し方を受け継いでいれば、もっと早く首相になっていたのではないかと思えるのだ。


 あの話下手で、不遜な表情をしている限り、反感を買うばかりではないかと。政治家にはある程度のいやらしさとユーモアさが必要だ。しかし、小沢にはある程度のいやらしさはあるが、ユーモアがない。ユーモアがない分、いやらしさばかりが非常によく目立つ。いらぬ誤解も生まれてくる。


 壊し屋、小沢の異名は、つまりは小沢自身の話下手から来ているのではないかと思えるのだが・・・・。