フランシスコ・X・ストーク『マルセロ・イン・ザ・リアルワールド』 | 文学どうでしょう

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マルセロ・イン・ザ・リアルワールド (STAMP BOOKS)/岩波書店

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フランシスコ・X・ストーク(千葉茂樹訳)『マルセロ・イン・ザ・リアルワールド』(岩波書店)を読みました。「10代からの海外文学 STAMP BOOKS」の一冊です。

『マルセロ・イン・ザ・リアルワールド』は、タイトルの通りマルセロという17歳の少年が「リアルワールド」に行く物語。では「リアルワールド」はどこかというと父親が共同経営する法律事務所です。

マルセロは父親に法律事務所でひと夏のアルバイトをすることを命じられたのでした。それだけ聞くとなんてことない話だと思われるかもしれませんが、「リアルワールド」と呼ぶだけの難しさがあります。

実はマルセロには発達障害があって、学校も養護学校に通っているぐらいだから。自分の中の「内なる音楽」(インターナル・ミュージック)に夢中になり話しかけられても気付かないことがあるマルセロ。

本人曰く、「医学的な見地からいえば、ぼくの状態に一番近いのはアスペルガー症候群です。でも、アスペルガー症候群の人たちが持っている特徴は、ぼくにはそんなにたくさんありません」(69ページ)

本人は、アスペルガー症候群の人たちほどではないと認識していますが、マルセロもアスペルガー症候群の人たちのように物事に強いこだわりを持っており、他人とうまくコミュニケーションが取れません。

自分の知っているルール通りに物事が進まないと安心できず、他人の感情を読み取るのが苦手。会話に出て来るジョークやほのめかしはあまり理解出来ず、なんの意味もない世間話も、得意ではありません。

自分を理解してくれる環境にいたいと思うマルセロですが、父親の考えは違いました。父親は、マルセロには普通の学校に通って、普通の人と同じような人生を歩んでいってもらいたいと思っていたのです。

はたして、突然、本人にとっては無秩序であり、善悪の入り混じった混沌とした「リアルワールド」と接することになってしまったマルセロは、一体何を見て、どんなことを考えるようになるのでしょうか。

ところで、発達障害や知能指数が低い人物が登場する小説や映画の名作がいくつかあります。有名な所で言えば、知能指数の低い主人公が手術で天才になるダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』。

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マルセロも物語の中で「ガンプ」と呼ばれますが、トム・ハンクス主演の映画化で話題になったのが、ウィンストン・グルームの『フォレスト・ガンプ』。小説には続編があるので、映画が好きな方はぜひ。

ヤングアダルト小説ではマーク・ハッドンの『夜中に犬に起こった奇妙な事件』があります。折角なのでこちらも近々取り上げましょう。

映画では、なんといっても印象的なのが、トム・クルーズとダスティン・ホフマンが共演した1988年公開の映画『レインマン』です。

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気ままに生きるトム・クルーズ演じる青年と発達障害のためずっと施設で暮らしているダスティン・ホフマン演じる兄の交流を描く物語。青年は兄の存在を知らず初めは遺産目当てで近付いたのですが……。

関心のある方は、その辺りも色々読んだり観たりしてもらいたいと思いますが、今回紹介する『マルセロ・イン・ザ・リアルワールド』の持つ大きな特徴は単に発達障害の少年が描かれる物語ではないこと。

発達障害の少年の目を通して「リアルワールド」が語られることで、実は現実そのものをとらえなおしている作品なのでした。ストーリーに引き込まれるだけでなく色々考えさせられることの多い一冊です。

作品のあらすじ


障害を持つ子供たちが通うパターソン高校に通っている17歳の〈ぼく〉マルセロは、放課後によくポニーの世話をしていて、夏休みには生徒たちに人気がある厩務員の仕事をすることが決まっていました。

ところが父親アルトゥーロから、普通校のオークリッジ高校に通う話が持ち出されたので〈ぼく〉は戸惑います。父親はさらにこの夏は自分の法律事務所で郵便係りの手伝いをしてもらいたいと言いました。

「おまえにはなにも障害はないんだ。ただ、おなじ年頃の子と成長のスピードがちがっているだけだ」(29ページ)と父親は言い法律事務所で結果を出せばどの高校に通うか選んでいいと言ったのでした。

毎朝起きると、その日のスケジュールを完璧に作り上げるのが〈ぼく〉の日課です。しかしいざ法律事務所に通い始める日、何時に帰ってくるのか分からないために計画が立てられず、不安になりました。

電車の中でマルセロは父親から、宗教観を表に出さないこと、言葉の綾を真剣にとらえないこと、相手の言葉が正確でなくても正さないこと、仕事で競い合うことは憎み合うことではないなどを教わります。

〈ぼく〉は自分の仕事場であるメール・ルームへと案内されました。

 その人は、ふりむいたとたん、ぼくの頭のてっぺんから足の先、そして、足の先から頭のてっぺんへと、まるでコピー機がスキャンするようにじろじろ見た。
 なんとか勇気をふりしぼって、その人の目を見た瞬間、その深い青色に撃たれたようになった。「瑠璃色」ということばが頭に浮かんだ。やわらかそうな黒い髪がひと房、顔にかかっている。ぼくは握手の準備をしたけれど、その人はこちらへは歩いてこなかった。
 「この子がマルセロだ」アルトゥーロがいった。それから、ぼくの背中をぽんとたたいていった。
「こちらはジャスミン。夏休みのあいだ、ジャスミンがおまえのボスだ。いわれたことはなんでもすること。ただし、気をつけるんだぞ。ジャスミンは小さな男の子を朝ごはんに食べるからな」
 これも「ことばのあや」なんだろう。でも、なにをいいたいのかはわからない。(60ページ)


ジャスミンは〈ぼく〉がやって来たことを気に入りませんでした。雇うことを決めていた優秀なアシスタントとの約束を取り消さなければならなかったから。厳しいジャスミンの指導の元で、働き始めます。

〈ぼく〉の父親と法律事務所の共同経営をしているのが、〈ぼく〉を「ガンプ」と呼ぶスティーブン・ホームズ。スティーブンの息子ウェンデルはハーバード大学に通っていて事務所に手伝いに来ています。

ジャスミンに目をつけているウェンデルはジャスミンの魅力を〈ぼく〉に訴えますが、〈ぼく〉にはその気持ちがよく理解出来ません。

 ウェンデルはぼくのことばを無視して、自分のテーマに話をもどした。「つまり、おまえは、ジャスミンを見ても、おれを見てもぜんぜんおなじに見えるっていうのか?」
「あなたとジャスミンは、どっちもおなじ人間です」
「だけど、体がちがうだろう」
「どちらも人間で、基本的にはおなじです」
(中略)
「もしかしたら、おまえはこれまで一度も……」ウェンデルは声を低くしていった。「一度もそんな気分になったことがないのか? いってることはわかるだろ?」ウェンデルは人さし指と親指で輪を作り、反対の手の中指をその輪にくりかえし出入りさせた。
「そんな気分」
「そんな気分だよ」ウェンデルは今度は片腕をゆっくり持ち上げた。まるで象が鼻を上げるように。
 ウェンデルの指のジェスチャーが性交渉を示していることも、腕を上げるジェスチャーが勃起を意味することも知っている。性や、それに関する会話のルールはあいまいで、とてもややこしい。ウェンデルがジョークのつもりでいっているのか、まじめにこの話題について語り合いたいと思っているのか、ぼくにはわからない。結局、ウェンデルはジョークとして話していて、返事をしなくてもいいと判断した。ぼくは立ち上がっていった。「ジャスミンの手伝いをしにいきます」(90ページ)


多少変わっているものの、正確な〈ぼく〉の仕事ぶりに、ジャスミンの〈ぼく〉を見る目が少しずつ変わっていきます。やがて他の誰にも打ち明けていないことを〈ぼく〉に教えてくれたりもしたのでした。

一方ウェンデルは、親同士の絆や友情をちらつかせ、〈ぼく〉にジャスミンをヨットに誘うよう頼んで来ます。ジャスミンとウェンデルのどちらかの信頼を裏切らなければならず、困ってしまった〈ぼく〉。

どっちつかずの対応をしている内に衝撃を受ける写真を〈ぼく〉は仕事中見つけてしまいます。それは事務所の秘密と関わるもので……。

はたして、ジレンマに陥ってしまった〈ぼく〉が出した答えとは!?

とまあそんなお話です。〈ぼく〉がぶつかった最初のジレンマはジャスミンとウェンデルの、どちらを大切にすればいいのか、というものでした。ジャスミンを守れば、ウェンデルとの友情は損なわれます。

一方、ウェンデルのために行動すれば、ジャスミンが傷ついてしまうことになりかねません。どうしたらいいのか迷ってしまったわけです。そして物語の後半ではさらにこれ以上のジレンマが出て来ます。

すべての物事をきっちりと分類したい〈ぼく〉は、なにをもって善としてなにをもって悪とするかに悩まされるのでした。それは〈ぼく〉の特質ですが同時に「リアルワールド」の混沌さを表してもいます。

発達障害を持つ〈ぼく〉の目を通して「リアルワールド」の美しさと醜さが描かれた作品。様々な困難を〈ぼく〉がどう乗り越えるかに引き込まれジレンマを抱えた〈ぼく〉の決断に心打たれる物語でした。

他人とのコミュニケーションに悩みどう行動すべきか迷いながらも成長していくマルセロに興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

次回は、イェニー・ヤーゲルフェルト『わたしは倒れて血を流す』を紹介する予定です。