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ダニエル・キイス(小尾芙佐訳)『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス文庫)を読みました。
ここ最近、サッカーが盛り上がっていますね。ぼくもにわかサッカーファンになって、日本代表の試合などを、たまに観たりしています。
サッカーの試合時間というのは、長いようで短いもので、あの一瞬一瞬で結果を残すために、選手たちは、どれほどの努力を積み重ねてきたのだろうかと、そんなことをしみじみ考えさせられました。
日本代表の選手たちには、「サッカーの才能がある」と、そう言ってしまえば簡単ですけれど、多くのものを犠牲にして、それこそ血のにじむような努力を続けてこそ、才能は光るものです。
実は、なにかを求めることは、なにかを失うことでもあって、「サッカーがうまくなりたい」のならば、遊んだり、だらだらしたりはしていられません。自分の自由な時間を、ある程度は捨てていかなければ、先に進んでいけないわけです。
さて、今回紹介する『アルジャーノンに花束を』は、ある「天才」を描いた物語です。何ケ国語も理解できるずば抜けた知能を持ち、学術的に優れた業績を残したチャーリイ・ゴードンの話。
しかし、単に「天才」の話なのではありません。チャーリイは、元々は知的障害を抱えた青年だったんです。まともな仕事はできなかったですし、他人とちゃんとコミュニケーションを取ることすらできませんでした。
それでも賢くなりたいと願うチャーリイは、脳の手術を受けて「天才」に生まれ変わります。日に日にチャーリイの知能は上がっていきます。それは、もちろんいいことですよね。
ところが、ある女性から、こう言われてしまいます。「高いIQをもつよりもっと大事なことがあるのよ」(468ページ)と。はたして、「高いIQを持つよりもっと大事なこと」とは一体なんなのでしょうか。
なにかを求めることは、なにかを失うこと。チャーリイは誰もが驚く頭のよさを手に入れましたが、同時になにかを失ってしまいました。
手術前のチャーリイが見えていた世界と、手術後のチャーリイが見えている世界を、対照的に描き出すことによって、人間にとって大事なものとは一体何なのかを描いた物語です。
実を言うと、ぼくはこの『アルジャーノンに花束を』が大好きなんです。大好きというと少しあれですが、心が打ちのめされるような作品だと思います。
食べ物でもそうですが、本当においしいものを食べた時というのは、言葉を失ってしまうものです。『アルジャーノンに花束を』は、まさにそんな作品です。言葉にできないくらい、ただただ、いい小説です。
『アルジャーノンに花束を』のどこがどう面白いのか、分析的に語ることにはあまり意味がないだろうと思います。まだ読んだことのない方は、ぜひ読んでみてくださいと、ただそれだけを強くおすすめして、紹介にかえたいと思います。感動必至の作品ですよ。
作品のあらすじ
こんな書き出しで物語は始まります。
ストラウスはかせわぼくが考えたことや思いだしたことやこれからぼくのまわりでおこたことわぜんぶかいておきなさいといった。なぜだかわからないけれどもそれわ大せつなことでそれでぼくが使えるかどうかわかるのだそうです。ぼくを使てくれればいいとおもうなぜかというとキニアン先生があのひとたちわぼくのあたまをよくしてくれるかもしれないといたからです。ぼくわかしこくなりたい。(15ページ)
32歳の〈ぼく〉ことチャーリイ・ゴードンは、パン屋で働いています。生まれつき知的な障害があるので、掃除など簡単な仕事をしています。パン屋のみんなとは仲良しです。正確に言うと、〈ぼく〉は仲良しだと思っています。
たとえば誰かがミスをすると、「チャーリイゴードンそこのけやったぜ」(54ページ)と言ってミスをした人をからかったりするんですね。
つまり、「馬鹿なことをやらかしたな」の「馬鹿」にあたる部分が〈ぼく〉の名前に置き換えられているわけで、ミスした人をからかうのと同時に、〈ぼく〉の頭の悪さをあざ笑うような言い方なわけですね。
ところが〈ぼく〉は、それが分かりませんから、自分はそんなミスはしたことないのになあと不思議に思うだけです。無垢で悪意のない〈ぼく〉は、からかいがいがあるので、みんなはいつも〈ぼく〉のことをからかいます。それでも、みんなと仲良しだと思っている〈ぼく〉。
〈ぼく〉には大きなトラウマがあって、母親に厳しく育てられたんですね。母親にしてみれば、普通の子供であってほしいという願いが強いものですから、できないことが多い〈ぼく〉に厳しくあたったんです。
そして普通の子供である〈ぼく〉の妹が産まれると、捨てられるように〈ぼく〉は遠くの施設へやられてしまいました。それだけに、〈ぼく〉は普通になりたい、賢くなりたいと人一倍強く思っています。
〈ぼく〉はある実験の被験者になることが決まります。もしかしたら手術で〈ぼく〉の頭はよくなるかもしれないんです。〈ぼく〉と同じ手術を受けて、とても賢くなったネズミがアルジャーノンです。アルジャーノンで成果が出たので、〈ぼく〉も手術を受けました。
実験の経過報告として、この手記は書き始められたんですが、最初は字の間違いが多い、たどたどしい文章です。それが手術後に〈ぼく〉の知能があがっていくごとに、どんどん明晰な文章へと変わっていきます。
翻訳では途中で〈ぼく〉から〈私〉へと表記が変わりますが、〈私〉は様々な本を読み、知識を吸収していきます。しかしそれによって、今まで見えなかったものが見えるようになってしまいます。
パン屋のみんなは自分と仲良しだったのではなく、からかっていただけだったのだと。やがてその知能は、自分の手術をした博士をも追い抜いてしまい、学者たちがいかに狭い世界でものを考えているかが分かってしまいます。
〈私〉は想いを寄せる女性と、こんな激しいやり取りをします。
「口をはさまないで!」声にこめられた真剣な怒りが私をひるませた。「本気で言ってるのよ。以前のあなたには何かがあった。よくわからないけど・・・・・・温かさ、率直さ、思いやり、そのためにみんながあなたを好きになって、あなたをそばにおいておきたいという気になる、そんな何か。それが今は、あなたの知性と教養のおかげで、すっかり変わってーー」
私は黙って聞いてはいられなかった。「きみは何を期待しているんだ? しっぽを振って、自分を蹴とばす足をなめる従順な犬でいろというのか? たしかに手術はぼくを変えた、自分自身についての考え方を変えた。ぼくはもう、これまでずっと世間の人たちがお恵みくださってきたクソをがまんすることもなくなったんだ」(205ページ)
いつしか周りの人は、膨大な知識を持つ〈私〉のことを怖れるようになります。簡単に言えば、〈私〉が痛い所を突くからです。知識だけ膨れ上がり、情緒がそれについていっていない〈私〉は、他人への思いやりに欠け、時に攻撃的になってしまうんですね。
やがて、〈私〉はアルジャーノンを連れて、博士たちの元から飛び出して・・・。
とまあそんなお話です。〈私〉の見えている世界というのは、手術前と手術後で大きく変わります。1人の「天才」の喜びと悲しみを描いた、感動的な小説です。
この小説から教訓を読み取ることにあまり意味はなくて、むしろ、うまく教訓をまとめきれない所にこの小説の面白さがあるようにも思います。
なにが良い、あるいはなにが悪いではなく、どうすればよかったでもなく、ただただ打ちのめされる小説です。おすすめの1冊ですので、機会があればぜひぜひ。
おすすめの関連作品
リンクとして、映画を3本紹介します。まずは「天才」を描いた映画を2本ほど。
多少のセンスは問われるにせよ、文系における才能とは、知をいかに蓄積できるかでしょう。いかにその研究テーマについて深く知れるかが重要となります。
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ぼくはがちがちの文系なので、理系的閃きを持つ人に強く憧れます。さて、理系的な「天才」が登場する映画と言えば、なんと言っても『グッド・ウィル・ハンティング』でしょう。
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教授が学生たちに数学の問題を出すんですね。誰もそれを解くことができないんですが、その難問を解いた者が現れました。それはなんと、単なる清掃員の青年だったんです。
天才的な頭脳を持っていながら、他人を小馬鹿にし、周囲の人々を傷つけてしまう青年と、心の傷を抱えた教授との心の触れ合いを描いた、とても感動的な映画です。
そうそう、作中でジョークがいくつか出てくるんですが、飛行機のジョークがかなりいいですね。実際に使ったら、ドン引きされる可能性がありますけれど。
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トム・ハンクス演じる、突然大人になってしまった少年は、おもちゃ会社に入り、その独自の感性でおもちゃを開発していって・・・。この映画で、なんと言っても面白いのは、恋愛が描かれることなんです。
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明日は、松井今朝子『吉原手引草』を紹介する予定です。