松井今朝子『吉原手引草』 | 文学どうでしょう

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吉原手引草 (幻冬舎文庫)/幻冬舎

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松井今朝子『吉原手引草』(幻冬社文庫)を読みました。直木賞受賞作です。

タイトルにある吉原というのは、江戸の遊廓のことです。遊廓は、男性に性を売る遊女がいる場所ですから、現在で言うとまあフーゾクみたいな感じでしょうか。

ただし吉原には、現代にある水商売では置き換えることのできない格式と、豪華絢爛さがあります。遊女の中でも、花魁(おいらん)という高い身分になると、客が遊女を選ぶのではなくて、遊女が客を選ぶような所さえあるんです。

遊廓は、単に女性が体を売る場所なのではないんですね。遊廓には独特のしきたりや一種の風格がありますから、現実とは少し離れた、めくるめく別世界という感じがします。

さて、今回紹介する『吉原手引草』は、遊廓で起こったある事件の謎に迫っていくという物語です。その事件はどうやら、葛城という花魁にまつわる事件らしいんです。

なぜ「らしい」なのかと言うとですね、それはこの小説が、独特のスタイルで書かれているからです。物語は16章+エピローグ的な1章で構成されていますが、16章はすべて誰かが語った話なんです。

たとえば、一番初めの章「引手茶屋 桔梗屋内儀 お延の弁」の書き出しは、こんな感じです。つまり、この小説の書き出しですね。

まあまあ、ようこそお越しあそばしました。おや? あなたは見慣れぬお顔じゃが・・・・・・おお、それはそれは。お初にお目もじをたまわりまして、桔梗屋の内儀お延と申しまする。して、ここへはお駕籠でおいでに?(9ページ)


こんな風に、誰かが「あなた」に語っているという形式です。そして章ごとに、語り手が次から次へと変わっていくんですが、「あなた」が一体何者なのかは分かりません。

しかし、どうやら遊廓に関わりあう人々から、葛城という花魁にまつわる事件について、聞き出そうとしているらしいんですね。

葛城の名を聞くと、露骨に話を逸らす人もいれば、ここだけの話ということで色々と話してくれる人もいます。

物語が少しずつ進んでいくに従って、事件の全貌と、事件について聞き出そうとしている「あなた」が一体何者なのか、明らかになっていくという物語です。

刑事ドラマなどで、刑事が聞き込み調査をすることがありますよね。「○月×日何時頃、なにか変わったことは起きませんでしたか?」と聞くと、聞かれた側が「ああ、そう言えば、○○さんがなにかを見たというようなことを言っていたと思います」とかなんとか答えます。

すると刑事は次にその○○さんの所に行くわけですね。そうして、小さな手がかりをこつこつ集めていって、事件に潜む謎を解き明かしていきます。

『吉原手引草』は、まさにそうした刑事ドラマの面白さに近いものがありまして、ミステリというほど大袈裟なものではありませんが、複数の人々の証言によって、事件の謎が少しずつ明らかになっていく面白さがあります。

そして、この小説がなにより面白いのは、すべての証言者が遊廓と関わる人だという点にあります。たとえば工場に社会科見学に行ったと思ってください。おそらく係の人が、その工場について色々説明してくれるはずです。

それとまったく同じことが『吉原手引草』でも行われます。つまり遊廓の仕組みについて、それぞれの立場の人が、色々と教えてくれる面白さがあるんですね。遊廓の裏側が知れるとともに、非常にいい入門にもなっています。

なので、吉原に興味のある方はもちろん、興味のない方も知識ゼロから楽しめる、そんな一冊です。

作品のあらすじ


「引手茶屋 桔梗屋内儀 お延の弁」では、お延が請われるままに、遊廓の仕組みについて語ります。ところが、何度も舞鶴屋の葛城の名前があがりますから、なんだか変だと思いはじめます。

いや、これはどうもおかしい。廓へ来たのは初めてだから、手を取って一から教えてくれといった口で、二度もその名が出てくるのは一体どういうこった・・・・・・お前さん、どうやらあのことをご存じなんだね・・・・・・。
 読めたっ。そうだ、お前さん、それでうちにおいでなすったんだ。最初っからあの一件の仔細を訊きだそうって魂胆だったんだ。(24ページ)


話の聞き手は、どうやら追い出されてしまったようです。それから、舞鶴屋の見世番、番頭、遣手、床廻しに話を聞いていきます。葛城のいた舞鶴屋以外にも、葛城のお客や、葛城と関わった人々の元も訪ねます。

誰かの話の中から手がかりを手に入れて、名前のあがった人物の元を訪れるという流れです。その中で、遊廓について色々なことが語られていきます。

遊廓とはどんな場所なのか、そのしきたりにはどんなものがあるのか、遊女とお客はどんな風に関係を築いていくのか、花魁になるにはどんな苦労があるのか、などなど。

話の流れの中で重要になるのは、一体誰が葛城を「水揚げ」したかです。「水揚げ」というのは、遊女が初めてお客をとることです。これもこの物語に潜む謎の一つになります。

女衒(ぜげん)といって、女を遊廓に売る仕事をしている人物は、葛城が何歳の時に遊廓に売られたかを語ります。葛城の修行時代、そして花魁になってからの様子が、様々な人の話から、少しずつ明らかになっていきます。

人々の話の中で、ぼくがとりわけ印象的だったのは、「舞鶴屋遣手 お辰の弁」と「指切り屋 お種の弁」です。ここでは、遊廓の生々しさのようなものが色濃く出ています。

遣手というのは、遊女たちの世話役のような仕事なんですが、遊女あがりの人が多いようです。この遣手のお辰が、鍋でなにかを煮ているんですね。

お辰は問われるままに、「布海苔にいろいろ混ぜたもんで。はい、たしかに透き通って、とろっとして、葛湯に似てますが、食べるもんじゃござんせん」(113ページ)と答えます。なにに使うものか分かりますか?

「フフフ、そもそも女子には情けの水とか、心の水とか申すものがござんすが、これはその代わりに。ねっ、これをあそこに塗って。あとはどうぞお察しのほどを・・・・・・」(113ページ)です。

ぬるぬるした液体を使うことは、今でもあると思いますが、鍋で煮て作るというのが、時代を感じさせて、なんとも面白いじゃないですか。

「指切り屋 お種の弁」で語られるエピソードも面白いです。指切り屋というのは、指を切るのではなくて、糝粉細工(しんこざいく)で切った指を作る仕事です。ちなみに、糝粉というのは、お米を粉にしたものです。

なぜ切った指が必要かというと、そうして遊女が自分がどれほど想っているかをお客に伝えるんですね。本当の指を切ったら、指が何本あっても足りませんから、やがてはそうした偽物が作られるようになったというわけです。

これは現在のキャバクラで言うところの、営業メールにあたると思いますが、粋な感じとどことなく重いというか、不気味さも感じられるようなエピソードですよね。

「女郎の誠と卵の四角はない」という言葉が作中に何度か出てきますが、この指にまつわる話からも、遊女の手練手管が垣間見れて、面白く感じました。

少しずつ明らかになっていく、葛城にまつわる事件。事件を追っているのは一体何者なのか? はたして、事件の真相とはいかに!?

とまあそんなお話です。この小説は、複数の人間の語りによって構成されていますから、どうしても断片的な話の集合体にならざるをえず、一気に読ませる力には欠けるかと思います。

ただ、複数の人間がすべて、遊廓に関連した様々な立場の人というのは、非常に面白いです。これほど遊廓を多角的に描いた小説は、他にはちょっと見当たらないのではないでしょうか。

斬新さも感じましたし、なにより遊廓の裏側を探索する楽しさがありました。

遊廓の仕組みの入門にもいい小説だと思いますので、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日は、島本理生『アンダスタンド・メイビー』を紹介する予定です。