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ジョルジュ・サンド(宮崎嶺雄訳)『愛の妖精』(岩波文庫)を読みました。
ジョルジュ・サンドは小説家として有名というよりも、また違ったことで知られている人物かも知れません。たとえば、男性の名前のペンネームを使って活動し、社交界に現われる時には男装していたこと。
女性の権利を広げるために活動したフェミニストの先駆けと言われることも。そしてゴシップ的なことを言えば詩人アルフレッド・ミュッセや作曲家フレデリック・ショパンと浮名を流したことで有名です。
そんな風に、サンド自身が非常に目立つ人物であるが故に、かえってその作品はあまり読まれていない感じがあるのですが、今回紹介する『愛の妖精』はサンドの作品の中で、もっとも親しまれている一冊。
19世紀フランス、革命に揺れる激動の時代に生きた作家なだけにその作風は時期によって大きく変わるのですが、子供時代を過ごしたノアンをモデルにした「田園小説」と呼ばれる一連の作品があります。
『愛の妖精』はその「田園小説」の一冊で、強い絆で結ばれたバルボー家の双子の兄弟シルヴィネとランドリー、魔法使いの孫として村中から忌み嫌われていた醜い少女ファデットの交流を描いた物語。
簡単にラブストーリーと言ってもいいのですが、単にラブストーリーと呼ぶにはもったいない面白さのある作品で、作者の少女時代が重ねられているとも言われるファデットが偏見と戦う物語でもあります。
児童文学として愛されてきたことからも分かる通りストーリー的にはとてもシンプル。とにかく面白い小説を読みたいという方には、自信を持っておすすめ出来ます。自然描写もとても美しくていいですよ。
欠点を言えば長所こそが短所で、つまりよく出来過ぎている話なわけですが、まあそれがいいわけですよ。ぼくはこういう話大好きです。
さて、ここでこの作品の一風変わったヒロインを紹介しておきましょう。薬草を扱い占いをよく知っているファデー婆さんの孫娘で、少し魔法を使うという意味もこめてファデットと呼ばれている少女です。
誰でも知っていることだが、このファデーとかファルファデーとかいうのは、ほかのところでは鬼火の精という人もあるが、なかなか人なつっこいくせに、少し悪戯気のある小鬼だ。それからまた、ファードという妖精もあるが、この方はこの辺りではもうほとんど信じている人はない。しかし、それが小さい妖精という意味にしろ、女の小鬼という意味にしろ、誰でもこの娘を見るとあのフォレーを見るような気がしたというのは、この娘がまた、ちっぽけで、やせっぽちで、髪の毛を振り乱して、そのくせ人を人とも思わないようなところがあったからだった。とてもおしゃべりで憎まれ口をよくいう娘だったが、蝶々のようにお転婆で、駒鳥のようにせんさく好きで、こおろぎのように色が黒かった。
(79ページ、本文では「鬼火の精」に「フォレー」のルビ)
両親がいないこともあり身なりに構わず、まるで野性児のように育っているファデット。噂話を聞きつけては悪態ばかりついているので周りからは嫌われているというか、ちょっと不気味がられている少女。
まあこんな風にラブストーリーのヒロイン像とはかけ離れた少女なわけですよ。双子の弟ランドリーは、思わぬことがきっかけでこのファデットに借りを作ってしまい非常に困った立場に立たされるのです。
ランドリーにとっても、そして読者にとっても第一印象最悪なファデット。これほど変わったヒロインはラブストーリーで他にいないんじゃないでしょうか。その印象が変わっていくのが面白い傑作です。
作品のあらすじ
コッス村のバルボー家に、双子が生まれました。とりあげ婆あのサジェット婆さんは双子を育てる極意を教えてくれます。仲良くなりすぎないようなるべく一緒にいさせず、違う服装をさせた方がいいと。
初めはそれを心得ていたバルボー家の面々ですが、シルヴィネとランドリーと名付けられた双子があまりにも仲良しなので結局一緒に遊ばせていました。着るものも一緒で、好みのものもよく似ている二人。
しかし大きくなるといつまでも二人でいさせるわけにはいきません。天候に苦しめられたり、商売がうまくいかなかったりして財政的に厳しくなってきたこともあり、一人は奉公に出されることになります。
その頃になると二人に少し違いが出て来ていました。父から好まれたのは、体がしっかりしていて勇気があるランドリー。一方母から愛されたのは、体は少し弱いけれどとてもやさしい心を持つシルヴィネ。
ランドリーはシルヴィネにはきつい奉公はつとまらないと思い、自ら奉公に行くことを申し出ます。そうしてランドリーはプリッシュ村のカイヨーさんの所で牛の番として働き始めることになったのでした。
新しい環境に馴染み、知り合いも増え、充実した日々を過ごすランドリーに対し、実家にいるシルヴィネが考えるのはいつもランドリーのことばかり。ランドリーが自分以外といると、嫉妬してしまうほど。
日曜日になると仲間の誘いを断って実家に帰り、シルヴィネと会っていたランドリーでしたが、ある時すねたシルヴィネはどこかへ行ってしまっていたのでした。自殺したのではないかと大騒ぎになります。
必死でシルヴィネの行方を探すランドリーは、不思議な力を持つと噂されるファデー婆さんの所を訪ねましたが、双子のとりあげ婆さんとして選ばれなかったことを根に持っており、力を貸してくれません。
そこへ現れたのがファデー婆さんの孫で、見た目の悪さからこおろぎと呼ばれる少女ファデットでした。ファデットはランドリーにもし自分がシルヴィネの居場所を教えたら、どうしてくれるかと尋ねます。
「ほんとに、いやんなっちまうな。どうして、そういつまでもはっきりしないんだ。ファデット、いいかい、こっちの言うことはたった一つさ――もし兄さんの生命があぶなくて、それでお前が今すぐおれをそこへ連れてってくれりゃ、家にあるもんなら、雌鶏だろうが雛子だろうが、山羊だろうが仔山羊だろうが、うちのお父さんやお母さんが、お礼にお前にやらないなんていうものはありゃしないよ、そりゃもうきっとだよ」
「じゃいいわ、その時になりゃ、わかるから」と、そう言いながら、ファットはかさかさした小さい手をランドリーの方へ突き出して、約束のしるしに手を握り合おうとしたが、ランドリーはその手を握る時、思わず少しからだがふるえたというのは、その時、ファデットの眼は恐ろしくぎらぎら光っていて、まるで妖精の化身のように見えたのだった。(89~90ページ)
ファデットは何をもらうか思いついたらまたその時に言うと言い、河岸で茶色い仔羊を探すといいと予言じみたことを口にしたのでした。ファデットの言う通りにし嵐の前に無事シルヴィネを連れ帰ります。
ファデットが一体何を要求して来るかと、しばらく怯えていたランドリーでしたが、たまに顔をあわせても、ファデットはそっけない態度を取るばかりで何も言って来ずそのまま時だけが流れていきました。
やがて聖ヨハネのお祭が近付いて来ます。ランドリーは思いを寄せているカイヨーの姪マドレーヌとダンスをするのを楽しみにしていました。マドレーヌもランドリーのことを悪くは思っていない様子です。
ある夜、ランドリーは道に迷ってしまいました。鬼火が見え、怯えて身動きが取れなくなります。すっかり弱り切ったランドリーを助けてくれたのが、ファデットでした。助けられたのはこれで二度目です。
するとファデットはついに、あの時の約束を果たしてほしいと言ったのでした。お祭りで自分とブーレ踊りを七度踊ってほしいというのです。そして、その日一日は他の女の人と踊りを踊ってはいけないと。
約束は約束ですから果たさないわけにはいきません。しかしファデットを相手に選んだことでマドレーヌを怒らせてしまい、みすぼらしい格好をしたファデットは踊りの間中、悪口を浴びせられ散々でした。
自分自身、ファデットと踊ることを情けなくみじめに思っていたランドリーでしたが、マドレーヌの取り巻き連中が、ファデットの頭巾を取るなどいやがらせをして泣かせたのを見ると義侠心に目覚めます。
「さあ、ファデット、早く頭巾をかぶれよ。そうして、おれといっしょに踊るんだ。その帽子が取れるもんなら取りにきてみろ」
「もういいのよ」と、涙を拭きながらファデットは言った。「今日はもういいかげん踊ったんだもの。あとの約束はすんだことにしとくわ」
「駄目だ、駄目だ、もっと踊るんだ」とランドリーは言ったが、勇気と雄々しい心に燃えてもう無我夢中だった。「おれと踊ったらひどい目に会わされるなんて、誰にも言わせないようにするんだ」
ランドリーはそこでもう一度ファデットと踊ったが、今度は一言も口をはさむものもなく、変な目つきを浴びせるものもなかった。マドレーヌとその取り巻き連中はもうほかの方へ行って踊っていた。こうして踊りがすんでしまうと、ファデットは低い声でランドリーに言った――
「今度こそ、ほんとにもうたくさんだわ。もうあんたのこともこれで気がすんだから、あの約束はもういいのよ。あたしはうちへ帰るわ。晩は誰でも好きな人と踊ってちょうだい」
(153~154ページ)
悲しそうな様子で去っていったファデットを見て心を揺さぶられたランドリーはやがて、ファデットが村の人々からの偏見と戦って来たことを知って同情し、それはやがて好意へと変わっていったのでした。
ランドリーとファデットは密かに会うようになりましたが、恋心を燃やすランドリーとは対照的にファデットは冷静な態度を崩しません。ファデットがこっそり教えてくれた薬草の知識は仕事で役立ちます。
すべてうまくいっていたのですが、やがてランドリーとファデットの仲は村中の噂になってしまいました。バルボー家の面々は徹底的に反対。なによりシルヴィネがその話を聞いて体調を崩してしまい……。
はたして、自分に関する悪い噂が村に広がる中、ファデットが取った行動とは一体? ランドリーとファデットの恋の結末はいかに!?
とまあそんなお話です。いつも馬鹿にされて来たファデット、取り巻きに囲まれる高慢なマドレーヌ、どんな逆境にもめげず意志を貫こうとするランドリー、ランドリーのことだけを考えているシルヴィネ。
とにかく登場人物が個性的な物語です。初めはみなさんもファデットを不気味に思うはずですが、意外な一面が見えて気持ちが分かるときっとランドリーとファデットの恋を応援したくなってしまうはず。
こおろぎと呼ばれ、周りから馬鹿にされ続けて来た少女の恋が一体どんな結末を迎えるのか、興味を持った方はぜひ読んでみてください。
明日は、有川浩『図書館戦争』を紹介する予定です。