山手樹一郎『夢介千両みやげ』 | 文学どうでしょう

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山手樹一郎『夢介千両みやげ』(上下、講談社大衆文学館)を読みました。こちらは絶版ですが、今は廣済堂文庫で読むことが出来ます。

古典落語を聴いていると、時折、与太郎というキャラクターが出て来ます。もっさりした間抜けな人物で、他人と同じように振る舞おうと思って失敗したり、逆にその間抜けぶりで思わぬ成功したりします。

漫才のボケを想像してもらうと分かりやすいと思いますが、「普通だったらこうするだろうな」という当たり前の行動が与太郎はできないので、事態は思わぬ方向へと転がってゆき笑いに繋がるのでした。

与太郎の登場する落語を聴いてみたいという方におすすめなのが「牛ほめ」と「道具屋」で、どちらも、「こうすればうまくいく」と教えられた通りにしようとするも、とんちんかんな言動をしてしまう噺。

それから、与太郎がメインでなくサブの噺で言えば、裁判ものである「大工調べ」が面白いです。演者では古今亭志ん朝がおすすめです。

落語名人会(21) 古今亭志ん朝(13) 「黄金餅」「大工調べ」/古今亭志ん朝

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家賃を滞納しすぎた与太郎は仕事道具を大家さんにとられてしまったんですね。与太郎が仕事に来られるよう大工の棟梁が取り返そうとするも大家さんと揉めてしまい、奉行所に裁きをお願いするという噺。

何故揉めてしまったかというと、棟梁が言っていた大家さんの陰口を、与太郎がそのままそっくり大家さんに伝えてしまったから。初めて落語を聴くという方にもおすすめの噺なので、機会があればぜひ。

さて、そろそろ今回紹介する『夢介千両みやげ』の話に入っていかなければなりませんが、この物語の主人公夢介は、まさに落語の与太郎を思わせる人物なんです。もっさりしたどこからどう見ても田舎者。

それなのに何故か懐に大金を入れているので、次から次へと悪党に狙われてしまいます。江戸へ向かう夢介に早速目をつけたのが、おらんだお銀。うまいこと旅の道連れになり、色気で金を奪おうとします。

「にいさん、お国はどちらです?」
「おらかね。おらは小田原在の百姓のせがれで、入生田村の夢介というものさ」
「夢介さん、いい名まえだこと」
「なあに、人間はすこし寝ぼすけのほうだ」
「ホホホ、ご冗談ばかし、江戸へはご見物ですか」
「そんなのんきなことではねえ」
「では、なにかご商売?」
「修行に行くだ、道楽をみっちりやってみようと思って」
「お道楽? ――」
 こんちくしょう、田吾作のくせに人を小バカにする気かと、お銀はこしゃくにさわったが、
「うん、道楽修行だ。これでも男にとっちゃ命がけの修行だ」
 相手は、大まじめの様子である。どっちかといえば丸顔で、大きな口もとがキリリッとしまってはいるが、地蔵まゆげの、切れ長の目がほそく、そうだ、この顔はどこか鎌倉の大仏に似ている。が、この男のは、よくいえば鷹揚、悪くいえばのろま気に見えて、利口なんだかバカなんだか、ちょっと判断がつかない。
(上、13~14ページ)


喋り方から恰好まで田舎者丸出しの夢介はお金持ちの百姓の息子で、千両を使って江戸で道楽して来いと言われて出て来たのでした。裏表のない夢介が、次から次へと災難に巻き込まれてしまうという物語。

何より面白いのが、お銀が夢介に惚れてしまうこと。夢介のおかみさんになりたいと思うようになるのですが、そのためには悪の道から足を洗わなければなりません。前途多難な二人の恋物語でもあります。

お金が欲しいと願う物語ならよくありますが、なんとかして千両を道楽で使わなければならないという物語だから、とてもユーモラス。のんびり屋の夢介と鉄火肌のお銀の不思議な関係も非常に面白いです。

時代小説と呼ばれる作品より娯楽性の強い大衆文学は、今ではあまり好んで読まれないので、作者の山手樹一郎を知らないという方も多いでしょう。ただ、その作品は何かしらの形で必ず目にしているはず。

テレビドラマで有名な『遠山の金さん』や『桃太郎侍』を書いた人だから。『夢介千両みやげ』では誰も斬られないなど、わりとユーモアにこだわった作風の持ち主なので他の作家にはない魅力があります。

大衆文学が読まれなくなった原因として、人物設定や筋が面白い分、人物に深みがなかったり、いきあたりばったりの展開が指摘されたりします。『夢介千両みやげ』もその指摘があてはまる作品でしょう。

なので、物語構成としてそれほどうまくなかったり、解決されない伏線があったりはするのですが、読んでいる間とにかく楽しい作品。そしてその楽しさこそが、やはり大衆文学の醍醐味だろうと思います。

作品のあらすじ


東海道大磯の宿近く。23歳のおらんだお銀の前を24、5歳の田舎臭い若者が通りました。田舎者の割に懐は重そうで、お銀がにらんだところ、二十五両包み四つ、百両はあるようです。まさにいいカモ。

悪い人に尾けられていて怖いと男に助けを求め、女の一人旅は物騒だから、一緒の宿に泊めてくれないかと頼んだのでした。夢介と名乗ったその男を油断させるために、自分の二十五両包み二つを預けます。

こんなにお金を持っているなら自分のお金を盗まれることはないと思わせるのがお銀の策略でした。夢介がゴーッと高いいびきをかいて寝てしまったので、朝方、胴巻きに入った百両を持ってどろんします。

ところが、お銀の怪しい様子に目をつけていた斎藤新太郎という侍がいて、捕まってしまったのでした。新太郎は夢介にお金を返そうとしますが、夢介はお銀が手に入れたものだから祝儀にすると言います。

観念したかお銀は、二十五両包み四つを並べましたが、思いがけないことを言います。「おまえさんたちの目の前で、もう一度この百両、たしかにあたしが腕にかけていただきます」(上、24ページ)と。

もし手元が見えたら新太郎に斬られても構わないという一触即発の場面。誰も百両に手をつけないまま、時だけが過ぎていきます。新太郎は夢介から、道楽をするために江戸へ出ることにしたと聞きました。

やがてお銀はなにげなくお手洗いに立つふりをして、姿をくらましてしまいます。諦めて逃げたかのように見えましたが、実は、そもそも並べた百両は、鉛をくるんだ偽物だったのでした。百両丸儲けです。

そうして無事に逃げてみると夢介のことが気になります。目の前の百両に興味がない様子だったのも妙ですし、何と言っても自分が美貌と色気でせまっても動じずに高いびきをかかれたのが癪に障ったから。

奪うのではなく金をもらったのでは、おらんだお銀の沽券にかかわります。そこで、夢介を探し出してさっきの金はちゃんと持っているかと尋ねると夢介は包みを開けないで橋の上から投げ捨てたのでした。

鉛と金じゃ目方が違うからすぐに分かると夢介は言ったのですが、そうするとつまり、昨夜お銀が油断させるために渡した偽の五十両も、最初から偽物だと分かっていたということになるではありませんか。

利口なのか馬鹿なのか分からない夢介に興味を持ち、何より自分によろめかないに腹が立って、お銀は江戸滞在中自分が夢介の面倒を見てやると言い出したのでした。そうして夢介の道楽修行が始まります。

まずは食べ物。駒形のドジョウ、八百膳の料理、大和田のウナギ、上野のガンなべ、魚河岸のすしなどなど。人のいい夢介は、色んなところで揉め事に巻き込まれ、騙され続けますが、あまり気にしません。

二人はやがて新シ橋の北詰、通称向柳原といわれる神田佐久間町四丁目に一軒家を構えます。周りの人々はお銀の美貌に見惚れ、お銀の後をのそのそ歩く夢介は、用心棒をかねた下男だろうと思うのでした。

「あたしがどんなだんなを持とうと、大きなお世話じゃないか。ねえ、ばあや。人間の値うちなんか、なりふりできめられはしない」
 せめて、ばあやをつかまえて、うっぷんをもらしているのだった。
 が、不平といえば、お銀には人知れず、もっと根本的な大きなはんもんがあった。それは、毎晩ちゃんと奥の離れへ床を並べて寝て、ばあやでさえ夫婦として少しも疑わない仲なのだが、夢介はあいかわらずいっこう本当のおかみさんにしてくれないことである。せっかく一軒家を持っても、これでは全く意味がない。お銀は念入りに寝化粧を濃くして、友禅の長ジュバンにきかえ、ときにはなにげなく思い出したというふうに、その姿のまままくらもとへすわりこんで話しかけたりしてみるのだが、夢介の寝つきのいいのにはまた無類で、二つ三つ返事をしたかと思うと、たちまち大いびきをきかされてしまう。
「まるで、あたしは毎晩いびきの番をしてるみたい」
 あねごは心からため息が出た。昔のおらんだお銀なら、黙って色じかけに出る手くだも度胸も持っていたのだが、今はそんなあばずれたまねをして、もしあいそをつかされたらどうしよう、それが本気で心配になるか弱い女にされてしまった。(上、97ページ)


自分に興味を見せなかった夢介を、自分に夢中にさせてやろうと思っている内に、お銀の方が夢介に夢中になってしまったのでした。夢介との将来を夢見るようになったお銀は、まっとうになろうとします。

ところが、一つ目ごぜんの子分と揉めたお銀は目つぶし卵で暴れて、「あんなことをしてしまって、胸は少し晴れたけれど、あたしはもう夢さんのところへは帰れない」(上、181ページ)と思いました。

お銀が帰って来ないので心配して「帰ってきたら、はっきりといってやるべ。くにへかえるときは、きっと女房にしてつれていくから、安心していいおなごになれと――」(上、184ページ)と思う夢介。

知り合いになった浮浪児のちんぴらオオカミの三太のお陰で二人はまた一緒に暮らし始めます。意外と夢介がもてるのでお銀がやきもちを焼いたり、夢介の田舎からじいやが出て来て二人の仲をいさめたり。

体の関係はないものの日を追うごとに心の絆を深めていった夢介とお銀でしたが、お銀の昔の知り合いで、旋風のように相手の心臓を一突きするカマイタチの仙助が現れ、お銀を夢介から奪おうとして……。

はたして夢介とお銀の関係の行方は? 千両道楽の結末はいかに!?

とまあそんなお話です。これほど騙され続ける主人公も珍しいでしょう。しかも、わざわざ道楽のため、お金を使うために来ているので、美人局にあってお金を脅し取られても、まったく気にしないのです。

一方、お銀はかっとなったらすぐに仕返しをする性質ですから、夢介のようにのんびりおおらかでいることが出来ないんですね。かっとなる癖をなおそうとしますがそんなにすぐなおるものではありません。

ごろつきにからまれるなど事件に巻き込まれるも、なんだかんだお金の力で解決していく夢介とお銀。ユーモラスな展開が楽しい大衆文学です。夢介とお銀の二人の幸せを願いたくなる、そんな物語でした。

明日は、ケネス・グレーアム『たのしい川べ』を紹介する予定です。