藤沢周平『蟬しぐれ』 | 文学どうでしょう

文学どうでしょう

立宮翔太の読書ブログです。
日々読んだ本を紹介しています。

蝉しぐれ (文春文庫)/文藝春秋

¥700
Amazon.co.jp

藤沢周平『蟬しぐれ』(文春文庫)を読みました。

何もかもが自分の思い通りになるわけではないのが人生というもので、誰もが多かれ少なかれ、悩みや苦しみを抱えながら生きていくものだろうと思います。理想と現実とが違うことはよくありますよね。

歴史小説が生まれる前から講釈師が物語を語る講談というものがありましたが、そこで語られる歴史というか伝説のヒーローたちはそうした人生の憂さを晴らしてくれるような存在だったのかも知れません。

講談で語られるヒーローに関心のある方は、明治時代に大流行したという講談の叢書「立川文庫」を読んでみてください。今では本自体が少し手に入りづらいのですが、角川文庫などから復刊されています。

猿飛佐助―立川文庫傑作選 (角川ソフィア文庫)/角川書店

¥600
Amazon.co.jp

「立川文庫」で特に有名なのが『猿飛佐助』で、真田幸村に仕えた真田十勇士の一人、猿飛佐助が主人公。天下の大泥棒石川五右衛門と忍術合戦を繰り広げるなど見所満載の作品で、今読んでも面白いです。

同じく講談のヒーローが宮本武蔵ですが、時代が下るに従って、超人的なヒーローというよりは、剣の道に邁進しながらも、どう生きていくべきか悩む等身大の人物として描かれるようになっていきました。

そうして宮本武蔵は講談のヒーローから、歴史小説の主人公になっていったわけですが、歴史上の偉人や史実を元にした歴史小説とはまた少し違う意味合いで使われる言葉に時代小説というものがあります。

時代小説は歴史小説と同じように過去の時代を舞台にした小説ですが、大きく違うのは主人公が歴史上の偉人ではないこと。たとえ剣の達人だったとしても後世に語り継がれるような人物ではないのです。

その時代小説を代表する作家が、今回紹介する藤沢周平で、作者の出身地である庄内藩がモデルだと考えられていますが、多くの作品は、海坂藩(うなさかはん)という、架空の藩を舞台に書かれています。

『蟬しぐれ』もやはり海坂藩の武士である牧文四郎の半生を描いた作品で、若き日の友との絆や剣の道の激しい修行、忘れられない恋心など人生のすべてが凝縮されていると言っても過言ではない名作です。

藤沢周平の代表作と言われることも多い作品ですが、それは同時に時代小説を代表する作品と言い換えることが出来るだろうと思います。

藤沢周平の小説には、たとえば『用心棒日月抄』のシリーズなど、わりとコミカルな雰囲気で読者を楽しませるものもあるんですね。ところが『蟬しぐれ』は、どことなく暗く、ずっしりとした印象の作品。

そうした重い作品が何故ここまで読者から愛されているかというと、それはひとえに読者が自分の人生を様々なジレンマに苦しめられ悔いを抱えて生きる牧文四郎の人生と重ねられるからだろうと思います。

秘剣村雨をおさめた文四郎も相当な剣の使い手ではありますが、難しい出来事を力ずくで解決してしまう講談のヒーローや歴史小説の偉人たちとは違って、人生の矛盾にそのままぶつかってしまうのでした。

講談や歴史小説と比べて、痛快さはありませんが、作品の重さがそのまま人生そのものの重さと言えるような、とても印象深い作品です。

ドラマや映画、演劇になっていますが一番観やすいのは2005年に市川染五郎が主演した映画版でしょう。そちらも機会があればぜひ。

蝉しぐれ プレミアム・エディション [DVD]/市川染五郎(七代目),木村佳乃,緒形拳

¥4,935
Amazon.co.jp

映画もかなりいい出来だったと思いますが、やはりどうしても子供時代と大人になってからでは役者を変えざるをえないわけで、そうした点は、小説の方が物語に入り込みやすい感じはあるかも知れません。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 海坂藩普請組の組屋敷には、ほかの組屋敷や足軽屋敷には見られない特色がひとつあった。組屋敷の裏を小川が流れていて、組の者がこの幅六尺に足りない流れを至極重宝にして使っていることである。(9ページ)


実父の妹の嫁ぎ先、牧家に養子へ来た身である15歳の文四郎は、川べりで隣家の娘ふくと会いました。12歳のふくは昔から物静かでしたが最近は特に文四郎にそっけない態度を取るようになっています。

親友の小和田逸平はふくは色気づいたのだと言いますが、それはまだ早いだろうと思う文四郎。ふくが悲鳴をあげました。指先を蛇に噛まれたのだと気付いた文四郎は傷口を吸って毒を吸いだしてやります。

文四郎には逸平の他にもう一人親友がいました。学問が出来る島崎与之助。文四郎、逸平、与之助は同じ剣術道場と学問の塾に通う間柄。三人はいつも一緒でしたが、与之助は江戸へ行くことになりました。

文四郎や逸平と違い跡取りでない与野助は学問で身を立てるため江戸の高名な朱子学者の塾に行くことになったのです。しかしそれをやっかむ者もおり、袋叩きにあったところを文四郎と逸平が助けました。

与之助は江戸へ行き一足先に跡を継いだ逸平は出仕が決まります。剣に打ち込みめきめきと腕をあげた文四郎ですが、やがて思いがけない出来事が牧家に降りかかりました。父助左衛門が捕えられたのです。

どちらの子をお世継ぎにするかで藩内に派閥が出来、派閥闘争に助左衛門は巻き込まれてしまったのでした。ようやく面会が許されます。

「変わりはないか」
 と助左衛門が言った。いつもと変わりない落ち着いた声だった。文四郎ははいと言った。ここまで来ても、父親との今生のわかれに何を言うべきかよくはわからず、文四郎が焦っていると、助左衛門が助け舟を出すように言った。
「今度のことではさぞびっくりしたろう。心配をかけた」
「父上、何事が起きたのかお聞かせください」
 と文四郎は言った。だが助左衛門はすぐには答えなかった。少し沈黙してから言った。
「それは、いずれわかる」
「……」
「しかし、わしは恥ずべきことをしたわけではない。私の欲ではなく、義のためにやったことだ。おそらくあとには反逆の汚名が残り、そなたたちが苦労することは目に見えているが、文四郎はわしを恥じてはならん。そのことは胸にしまっておけ」
「はい」
「矢田作之丞どのに話を聞いた。道場の若い者の中ではもっとも筋がいいそうだな。はげめ」
 助左衛門がそう言ったとき、一枚だけ襖をあけはなしてある部屋の入口に、さっきの武士が姿を現した。
「助左衛門、それまでだ」(108ページ)


助左衛門は切腹させられ、牧家は家禄を四分の三に減らされました。父の遺骸を引き取りに寺に行きましたが、罪人の死体だからと誰も手を貸してはくれません。そこへふくが現れ手伝ってくれたのでした。

出仕している逸平に聞いて派閥争いの詳しいことが分かります。殿には六人の子供がいますが正妻の子で19歳の亀三郎を押す派と、殿の寵愛深いお妾おふねの子で12歳の松之丞を押す派が出来たのだと。

文四郎の父助左衛門は亀三郎を押す派に与していたのですが、次席家老の里村、中老の稲垣ら松之丞を押す派に敗れてしまったのでした。

ある時道場から帰ると、母からふくが来ていたと知らされます。江戸屋敷で奉公することになったことを知らせに来たのだと。今帰ったというので探しに行きますが、結局ふくの姿は見つかりませんでした。

 ――ふくは多分、自分の考えで来たのだ。
 それも、おれに会いにと、文四郎はさっきから胸にしまっておいた考えを、そっと表に持ち出してみた。
 その推測には何の根拠もなかったが、動かしがたい真実味があった。ふくはおれがいなくて、力を落としてもどったのではなかろうか。そう思うと、文四郎はふくのその気持ちが自分にも移って、気分が沈んで来るのを感じた。ふくに会ったらどうだったろうかということまでは考えなかった。ただ会えなかったことが、かえすがえすも残念だった。
 振りむくと、文四郎が住む町が見えた。黒い刈り田の上にうすい霧のようなものがかかり、その霧は刈り田と町の家々がぶつかるところで少し濃くなっていた。そしてその奥にまたたく灯が見えた。(150ページ)


牧家は旧禄に戻され、文四郎は跡を継いで出仕を始めます。父を失いふくと離れ、なにかにとりつかれたようにひたすら剣の修行に励んだ文四郎はやがて秘剣村雨を伝授されるほどの腕前になったのでした。

江戸にいるふくに自分の現在を伝えてもらおうとふくの実家を訪ねた文四郎でしたが、かつて住んでいた所にふくの家族の姿はなく近所の人から驚きの事実を知らされます。ふくの家は出世していたのです。

何故急な出世を遂げたのか不思議に思っていると「ふくに、殿さまのお手がついたのだそうです」(180ページ)と言われたのでした。

文四郎もせつという娘と結婚し、しばらくは何事もなく日々が過ぎていきますが、亀三郎が隠居し、異母弟の松之丞が殿のお世継ぎになった裏で、殿の寵愛深い側妾お福が暇を出されたことが分かりました。

ただ暇を出されたならまだ分かりますが、国元のお上のお屋敷である欅御殿に匿われているというのは妙な話です。江戸にいた与之助はお福さまは殿のお子を身ごもっているという話を聞きつけて来ました。

松之丞の生母おふねのお福に対する憎しみは強く、その差し金でお福は流産させられたことがあるらしく、おふねから引き離されたのだろうと言うのです。しかし国元にいるのはおふねにつく者たちばかり。

やがて文四郎、逸平、与之助らはお福が産んだ子供をめぐって再び過熱する藩内の派閥争いに巻き込まれていってしまうこととなり……。

はたして、海坂藩の跡目をめぐる激しい派閥争いの結末はいかに!?

とまあそんなお話です。文四郎が出仕をするということは、すなわち父を切腹に追い込んだ仇の下で働くということ。そして、どんなに理不尽な命令をされても、その命令には従わなければならないのです。

文四郎はやがて理不尽な現実に直面し難しい選択を迫られることとなるのですが、そうした迷いや苦しみの描かれ方がとてもリアル。読者がそれぞれ人生で感じている矛盾とよく似ているだろうと思います。

講談や歴史小説のように、読んでいて痛快さを感じる物語もエンタメとして面白いものですが、思わず人生について考えさせられるような、こうしたしみじみとした時代小説もまたとても面白いものです。

460ページほどと少し長いですが、あまり時代小説を読まない方でも楽しめると思うので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

明日は、京極夏彦『姑獲鳥の夏』を紹介する予定です。