藤沢周平『よろずや平四郎活人剣』 | 文学どうでしょう

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よろずや平四郎活人剣〈上〉 (文春文庫)/文藝春秋

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よろずや平四郎活人剣〈下〉 (文春文庫)/文藝春秋

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藤沢周平『よろずや平四郎活人剣』(上下、文春文庫)を読みました。

藤沢周平の人気シリーズに「用心棒日月抄」があります。『用心棒日月抄』『孤剣』『刺客』『凶刃』の四作からなり、訳あって脱藩し、江戸での暮らしを余儀なくされた青江又八郎の奮闘を描くシリーズ。

侍は主君から扶持をもらわなければ暮らしていけませんから、藩を離れると食べていくのはとても大変なんですね。そこで腕に覚えのある又八郎は、用心棒として様々な事件に首を突っ込んでいくのでした。

今回紹介する『よろずや平四郎活人剣』は、「用心棒日月抄」の流れをくむ作品と言ってよいでしょう。こちらの主人公神名平四郎もまた日々の暮らしのためにやむなく望まぬ仕事をすることになるのです。

武士は長男が家督を継ぎますから、次男三男となると部屋住みといって、いい婿の口が見つからない限りは、ずっと肩身の狭い居候の身なんですね。しかも、平四郎の母は下婢だったので、なおさらのこと。

そこで剣の腕が立つ平四郎は一念発起。仲間たちと剣術道場を立ち上げることにしたのでした。そうすれば、好きな剣で自由にのびのびと暮らしていくことが出来るわけです。こんなにいい話はありません。

ところがまだまだうぶな平四郎は、海千山千の浪人者に資金を持ったままどろんされてしまい、かといって今さらおめおめと家にも帰れず、裏店(裏通りの長屋)で暮らしながら仲裁屋を始めたのでした。

「何で食していると言ったぞ? よろず屋とか申したかえ?」
「義姉上、それは違う」
 平四郎は閉口した。
「よろず屋と申すのは、俗に言う便利屋のことでござろう。あちこちに物をとどけたり。いや、あれは違うかな。何の品でも売る小店のことですかな。ともかく、それがしの商売はそれとは違います」
「どう違うのじゃ」
「よろず揉めごと仲裁でござる。世の揉めごとを引きうけ、うまく仲裁して駄賃をいただく。これが商売でござる」
「奇妙ななりわいよの。なにやら雲をつかむような」
 嫂の里尾は頼りなげな眼で義弟を眺めた。
「そのようなことで口を養って行けるのかえ。心配でなりませぬ」
(上、88~89ページ)


兄嫁の心配通り食べていくだけの稼ぎを出すのは大変ですが、ともかくたわいない夫婦喧嘩の仲裁から商店の恐喝事件まで、時に失敗し、時に剣を抜き、平四郎は八面六臂の活躍をくり広げていくのでした。

独立した事件を解決していく連作形式ですが、背景に大きな流れがあるので長編小説のようにも読めます。そういう感じも「用心棒日月抄」と似ていて、ドラマ化される時はあわせて使われたりもします。

「用心棒日月抄」とどちらが面白いかと言うと、一つ一つの事件が用心棒の方が仲裁屋よりも物騒ですし、大きな陰謀に巻き込まれるのでスリリングさでは段違い。やはり、「用心棒日月抄」が上でしょう。

しかしながら、『よろずや平四郎活人剣』にはゆるやかさとコミカルさの魅力があって、これはこれでいいんですよ。男女の道にも詳しくなく、世間ずれしていないまだうぶな平四郎はなにかと失敗ばかり。

たとえば、間抜けなシャーロック・ホームズを想像してみてください。「事件の真相はこうだ!」と思って一生懸命行動し、無事に事件を解決したかと思ったら、真相はまるで全然別だったというような。

剣の腕は立つものの、まだまだ世間を知らないが故の平四郎の失敗に、思わずにやりとさせられてしまうこと請け合いの物語。上下巻とやや長いですが、事件ごとに少しずつ読み進めることも出来ますよ。

作品のあらすじ


雲弘流の高弟である神名平四郎は母親の身分が低かったこともあり、肩身の狭い暮らしをしてきました。そこで賓客待遇で道場にやって来ていた明石半太夫と北見十蔵と三人で道場を開くことにしたのです。

明石が二十両、北見が十両、平四郎が五両を出し、言いだしっぺの明石にほぼすべての準備を任せていたのですが、ある時道場を訪ねてみるとつけを残したまま、明石一家の姿は忽然と消えていたのでした。

元々、寺子屋の先生をしている北見は、蓄えをなくしたとはいえ食うには困りませんが、弱ったのが平四郎。道場を開くと言って勢いよく飛び出した手前、今さら、おめおめと家に帰るわけにもいきません。

そこで思いついたのが、世の中には自分たちのような目にあっても泣き寝入りしている人々がたくさんいるに違いないということ。わずかの手間賃で、揉めごとの仲裁をしてくる人がいたらどんなにいいか。

善は急げと平四郎は北見に「よろずもめごと仲裁つかまつり候」という看板を書いてもらいました。喧嘩五十文、口論二十文、取りもどし物百文、さがし物二百文など、細かい値段を細字で書いてあります。

ところが、全然お客はやって来ませんし、長屋の連中からは忍び笑いされる始末。これはもう頭をさげて家に帰るしかないと思うものの、案外平四郎は、のんびりした暮らしに魅力を感じてもいるのでした。

 ――それに……。
 かくも自由だと、平四郎は思うのだ。生家では、こんなふうに畳にひっくり返って鼻毛を抜いたりとしていることは思いもよらない。
 昼はむろん、夜も道場稽古でどんなに疲れていようと、甥や姪が挨拶に来るまでは、しかつめらしく書物ぐらいはひろげていなければならないし、それでいて喰い物は別、風呂はしまい湯である。そうして、なお婿の口はないかと、じっと生家に寄食しているのはやり切れなかった。
 生家を出て、まだひと月にも足りないが、平四郎はこの裏店が気に入っている。路地に出ると、いつもかすかに小便くさい臭いが漂っているのは難だが、ここではいつ起きようと、またはいつ寝ようと文句を言う者はいない。(上、28~29ページ)


目付(旗本・御家人の監視の役目)をしている兄監物の頼みで旗本の辻斬りの捜査にあたったことを皮切りに、ゆすりやたかりなどの揉めごとの仲裁に乗り出し、少しずつですがお客が入るようになります。

やがて消えた明石の手がかりをつかみますが、北見は妙に明石に同情的で「明石は妻子持ちだ。必死で世を渡っておる。妻子の前であの男に恥をかかせるのはやめとけ」(上、56ページ)と言うのでした。

怒りにまかせて明石を探しに出かけた平四郎は、ふと北見の過去についてあまり知らないことを思います。妻子への情愛が分かるところを見ると、北見は国元に妻子を置いて浪人しているのかも知れません。

まだ若い平四郎は妻について考えたこともありませんでしたが、心に残っている女性が一人いました。旗本だった塚原家の娘の早苗。かつては結婚が決まった間柄でしたが、塚原家は潰れてしまったのです。

十四歳の少女だった早苗はそのまま行方知れずとなり、五年の月日が経ちました。この間、嫂がたまたま早苗を見かけたという話を聞いて、平四郎はあれからどうしただろう今は幸せだろうかと考えます。

人妻の身なりだったというので気にしても仕方がないのですが、道場仲間の伊部金之助にどこに嫁いだのか調べてもらうことにして……。

町人の揉めごとを解決していく一方、平四郎は高野長英ら蘭学者が捕えられた「蛮社の獄」にまつわる武士の世界のごたごたにも巻き込まれていきました。長英が記した書をめぐって争いが起こったのです。

監物に連れられて老中堀田正篤の屋敷を訪ねた平四郎は何者かに尾けられていることに気付きました。路地に隠れて刀の鯉口を切ります。

 気配は消えたように見えた。だがしばらくして平四郎が息を解いたとき、路地の入口の前を黒い人影がゆっくりと通り過ぎた。夜目にも二本差しの姿に見えた。平四郎はふたたび息を殺した。
 すると一度通りすぎた黒い影がもどって来て、またゆっくり眼の前を通りすぎた。平四郎はずいと道に出た。平四郎が斬りかけるのと、相手が振りむくのが同時のように思えたが、平四郎の剣は強くはね返された。
 黒い影は音もなく走ると、橋を渡って対岸の闇に消えた。おどろくほどすばしこい相手だった。手にはね返されたときのしびれが残っている。平四郎は刀を鞘にもどすと、手を押し揉んだ。
 ――これは、これは。(上、82ページ)


走り去った男の正体は分かりませんが、老中水野忠邦にべったりとつき添っている目方、鳥居耀蔵の配下には手ごわい敵がいるようです。

本業である「よろずもめごと仲裁屋」ではたとえばこんな依頼がありました(「一匹狼」)。あづま屋という料理屋の女主人おこまから頼まれたのは、三年前に女房を亡くした吉次とその三人の子供のこと。

元々、吉次とおこまは幼馴染で、お互いに想い合っていましたが、両親を亡くしたおこまは妾奉公に行くことになってしまったのでした。

職人の修業を積んでいた吉次は荒れに荒れて道を誤り、今では貸金の取り立て人になってしまっています。旦那を亡くして自由の身になったおこまは、吉次と子供たちを引き取りたいと思っているのでした。

仲介に入った平四郎でしたが、うますぎる話だと初めは警戒し、おこまからの話だと分かると今度は依怙地になった吉次は「女の世話にゃならねえよ」(上、442ページ)と取り付く島のない様子で……。

またこんな依頼もありました(「浮草の女」)。雪駄屋の娘おなみが相談に来て、真面目だった父親が去年の暮からお金を持ち出して飲みに出かけるようになったと言います。どうやら女が出来たようです。

悪い女に捕まったのではというおなみの心配通り、父親の弥助がおもんという女に渡している金は、そっくりそのまま別の男に渡っているのでした。おもんの元に通うのは、もうやめるように言った平四郎。

ところが弥助は曖昧宿(売春婦を置く料理屋)で働くおもんは「誰にも言っていませんが、あたしの別れた女房なのです」(下、392ページ)と言ったのです。実は死んだとされていたおなみの母で……。

剣術道場の資金を持ち逃げした明石、行方知れずになっていた早苗、老中や目付の権力争いに結びついている高野長英の書物など、様々な問題を抱えながら、揉めごとを仲裁するために奔走を続ける平四郎。

はたして、成長を遂げた平四郎は自分の進む道を見出せるのか!?

とまあそんなお話です。小さな事件が積み重ねられた連作のスタイルですが、「蛮社の獄」や水野忠邦による改革「天保の改革」など、背景には大きな歴史の流れがあるので、長編小説のようにも読めます。

男女の機微にうとい平四郎の失敗に笑わされ、その剣の腕前に唸らされる物語。堅苦しくない時代小説なので、時代小説が苦手という方にもおすすめの一冊です。興味を持った方はぜひ読んでみてください。

明日は、山本周五郎『さぶ』を紹介する予定です。