藤沢周平『凶刃 用心棒日月抄』 | 文学どうでしょう

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凶刃―用心棒日月抄 (新潮文庫)/新潮社

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藤沢周平『凶刃 用心棒日月抄』(新潮文庫)を読みました。

用心棒日月抄』の第4作目であり、シリーズ完結編です。

用心棒日月抄』のシリーズというのは、様々な事情から藩を離れ、江戸の町で暮らすことになる青江又八郎の活躍を描いたシリーズです。

安定した藩での暮らしとは違い、江戸では生活するためには、働かなければなりません。そこで、又八郎は止むを得ず用心棒をするようになるんですね。

依頼人の身を守る代わりに、お金を貰う仕事をするわけです。その依頼に潜む小さな謎を解き明かしたり、迫り来る敵を倒したりする話が、時にコミカル、時にシリアスに描かれるのが特徴的なシリーズです。

愛あり友情あり火花を散らす剣の戦いありの、とても面白いシリーズですが、今回紹介する『凶刃』は、前3作とはやや趣が違います。

まず形式の面から言うとですね、前3作は連作という短編がいくつか集まった形式ですが、『凶刃』は長編です。主人公の又八郎は浪人ではなく、藩の役目として江戸へ行き、藩の秘密に関わるごたごたの解決に動くこととなります。

『凶刃』は、前3作にあった生き生きとした躍動感あふれる感じや、コミカルさは影を潜め、全体的にどこか重々しい雰囲気の作品に仕上がっています。

それというのも、前3作では若者だった主人公の青江又八郎が、『凶刃』では40代半ばの中年のおじさんになってしまっているんです。「木刀さえ重く感じるほどに、近ごろ肩にも腹にも贅肉が盈ちている」(10ページ)んですね。

平和な安定した暮らしに慣れ、お腹はぽっこり出てしまったかつての用心棒。前3作で完結かと思われていたシリーズの完結編として、数年ぶりに発表されたこの『凶刃』は、作中ではなんと16年もの月日が流れているんです。

この設定は、前3作との雰囲気が変わったという点で、賛否は分かれるかと思いますが、ぼくは非常に面白いと思います。

若い頃の主人公をまた江戸へ飛ばして、用心棒として活躍させることも可能だったはずです。しかしそれをせずに、リアルすぎるほどリアルに年齢を重ねさせたこの小説は、一種独特とも言える風格のある作品になっています。

この小説がもしも『用心棒日月抄』のシリーズでなかったなら、それほど突出した小説ではないかも知れません。

しかし、この小説を『用心棒日月抄』シリーズの完結編として読む時、この作品すべてが長いエピローグというか、終わりに向けてのさみしさ、切なさを含んだもののように感じられます。

それは単にシリーズの終わりだからというだけではなくて、剣士としての盛りの終わり、人生の後半に差し掛かった青江又八郎の抱く、さみしさもそこには重なります。

『凶刃』を彩る登場人物の中で印象的なのは、訳あって用心棒稼業をしている美貌の武士、初村賛之丞や親友の息子であり江戸で学問に励む渋谷雄之助など、若い世代です。

雄之助は親に隠れて道場に通い、密かに剣術の修行をしているんですね。若いだけに根拠のない自信と無鉄砲さがあり、それはかつての又八郎を思わせる清々しさがあります。

 又八郎は雄之助に身体を向けた。
「おやじどのは、そなたがおとなしく学問専一にはげんでいるとばかり思っている様子だったぞ」
「もちろん学問にも精出しております。こちらは藩命ですから、怠けるわけには参りません」
「しかし道場のことは話しておらんのだな」
「はあ、言えばおやじはともかく、おふくろさまがうるさいでしょうから。おふくろは文武は両立せぬと思っておるのです」
「なるほど、それもひと理屈だ」(262~263ページ)


危なっかしいと心配しながら、雄之助を見守る又八郎。とにかくがむしゃらに行動していた若き日と違い、又八郎はすっかり親目線、あるいは師の目線で見るようになっているんですね。

『凶刃』には、前3作ほどの勢いはありませんが、人生そのものの重みや、年月を経たことによって移り変わった風景や人間模様が描かれた、なんとも不思議な印象の残る小説です。

作品のあらすじ


かつて剣の三羽烏と呼ばれた青江又八郎、渋谷甚之丞、牧与之助も年齢を重ねて、すっかり見る影もありません。又八郎と甚之丞は太りすぎ、与之助は病気で痩せすぎ、寝込んでしまっています。

お役目で江戸へ行くこととなった又八郎は、甚之丞から江戸の学塾で学ぶ息子雄之助へお金を届けてくれるように頼まれ、寺社奉行の榊原造酒からは密命を受けます。

「江戸に参ったら、ひそかに佐知どのに会い、組を解散し、そのあと目立たぬように帰すべき組の者は帰国させるよう説いてもらいたい。そこもとの申すことなら聞くはずだ。むろんわしの手紙も持参してもらうのだが、余人には頼めぬことだ。引き受けていただきたい」(28ページ)


ある事情があって、「嗅足組」という藩の影の組織を解散することになったんですね。「嗅足組」は裏で暗躍する、まあ忍者の組織のようなものだと思ってください。

かつて「嗅足組」は、佐知の父親が頭領だったんですが、亡くなってしまい、榊原造酒がその後を継ぎました。しかし、江戸の頭である佐知との関係があまりうまくいってはおらず、解散の命を告げても信用されない怖れがあるわけですね。

そこで、佐知と知り合いである又八郎が使者として選ばれたわけです。又八郎と佐知は初めは敵同士として出会い、やがては助け合って藩の危機を救ったこともある仲なので。

又八郎はその役目を引き受けますが、頼んだ榊原造酒が何者かに殺されてしまいます。そして、又八郎自身も襲われます。一体誰が、何のために? 藩内で何やら不穏なことが起こり始めている様子です。

江戸に着いた又八郎は、雄之助に金を届けてやります。やがて雄之助は遊びに来て、普段あまりいいものを食べていないらしく、ものすごい勢いでご飯を食べます。

又八郎は、「近況に耳かたむけて、もし悩みごとがあればはげまし、暮らしぶりに曲ったところが見えれば叱ってやろう」(51ページ)と親のような心持ちで、微笑ましげに雄之助を眺めます。

夜寝ていると、又八郎は何者かの気配を感じて、ふと目を覚まします。「不用意にお声を立てなさるな」(53ページ)と暗闇でしたのは佐知の声。又八郎と佐知は会う日取りと場所を決め、そこで話し合うことになりました。

又八郎は、佐知に「嗅足組」の解散の命を告げ、佐知はそれを受け入れます。ところが、帰国させた「嗅足組」の仲間が何者かに殺されてしまいます。

そして、又八郎を監視していたらしき野呂助作という足軽が殺されているのが発見されます。一体何が起こっているのか、又八郎と佐知は藩に潜む陰謀を追っていきます。

やがて、潰れてしまった呉服商の長戸屋と藩の江戸屋敷の秘密の繋がりを知ることとなり・・・。

又八郎と佐知がたどり着いた、恐るべきその秘密とは? そして、迫り来る最強の刺客の正体はいかに!?

とまあそんなお話です。又八郎は口入れ屋(仕事を斡旋する所)の相模屋に顔を出し、用心棒をしている美貌の武士、初村賛之丞と出会ったり、懐かしい人物と再会したりします。

時の流れというのは場合によっては非常に残酷なもので、いいことばかりではないんですね。『凶刃』はある意味においては、ハッピーエンド後の世界を覗いてしまうような怖ろしさのある小説でもあります。

たとえば、『シンデレラ』は王子様と結婚してハッピーエンドですが、その後で、色々大変なことがあるかも知れませんよね。幸せな余韻に満ちて終わった世界のその後が描かれた『凶刃』は、リアルすぎるくらいにリアルな物語なんです。

ただ楽しいだけでもない、かといって悲しいだけでもない、まさに悲喜こもごもな人生の重みそのものが、ずっしりと感じられる小説です。それだけに深い余韻が残ります。

興味を持った方は、ぜひシリーズ第1作から読んでみてください。読みやすく面白い、おすすめのシリーズですよ。

明日は、伊坂幸太郎『砂漠』を紹介する予定です。