北村薫『覆面作家は二人いる』 | 文学どうでしょう

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覆面作家は二人いる (角川文庫)/角川書店

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北村薫『覆面作家は二人いる』(角川文庫)を読みました。「覆面作家」シリーズ第一作です。

ミステリの中には、「日常の謎」と言われるものがあります。本格的なミステリではたとえば、孤島で連続殺人事件が起こったりしますが、そうしたものとは違って日常の不可解な出来事の謎を解くもの。

事件というか出来事自体は連続殺人事件に比べれば地味なので、本格的なミステリファンからすると物足りないかも知れませんが、その分ミステリを読み慣れない読者も気軽に楽しめるものになっています。

複雑な筋や難解なトリックというよりは、魅力的な登場人物に重点が置かれていることの多い「日常の謎」は、今でもかなり人気がありますが、その流行のきっかけを作ったのが北村薫だと言われています。

落語家と女子大生が、日常で起こった不可解な出来事の謎に挑む、デビュー作の『空飛ぶ馬』が、大きな話題になったんですね。その一連のシリーズに関しては、またいずれ、詳しく触れることとしまして。

空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)/東京創元社

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デビューしてからしばらくの間、”北村薫”はどんな人物か分からなかったんです。男性なのか女性なのか。やわらかい筆致と、語り手が女性なことから、女性作家ではないかという意見も多かったようです。

そう、いわゆる”覆面作家”だったわけですね。そんな”覆面作家”だった北村薫が”覆面作家”が登場し「日常の謎」に挑んでいくシリーズを書きました。それが今回紹介する「覆面作家」シリーズ全三作です。

ぼくは北村薫の作品で「覆面作家」シリーズが一番好きなんですよ。起こる事件自体はたわいないものばかりですが、個性の強い登場人物たちのかけあいがユーモラスで、読んでいて、とにかく楽しい作品。

なので、高校時代などに結構周りの色んな人にすすめたりしたんですが、心に響くというよりは全体的に軽い雰囲気の作品ではあるので、あんまりいい反応が返って来なくてがっかりした覚えがあります。

気軽に読める楽しいミステリを探している方には、自信を持っておすすめ出来るので、興味を持った方は、ぜひ手に取ってみてください。

さて、『覆面作家は二人いる』に登場する”覆面作家”は、大富豪のお嬢さまなんです。執事も運転手もいて欲しいものは何でも手に入りますが、自分でお金を稼いでみたいと、小説の執筆を始めたのでした。

そのお嬢さま、新妻千秋の担当になったのが、『推理世界』の編集者、岡部良介。良介には刑事をしている、顔がそっくりの双子の兄優介がいました。たまに優介から不思議な事件の話を聞いたりします。

その話をたまたま千秋さんにすると、千秋さんはなんと、話を聞いただけで、その事件のおおよその真相を突き止めてしまったのでした。

そんな千秋さんにはある秘密があります。それは屋敷の中と外とでは態度が大きく変わること。屋敷の中ではとても大人しく、おどおどしている感じですが、外へ出るとなんだか急に様子が変わって・・・。

千秋さんと良介のユーモラスなかけあいが楽しい、シリーズ第一作。

作品のあらすじ


『覆面作家は二人いる』には、「覆面作家のクリスマス」「眠る覆面作家」「覆面作家は二人いる」の3編が収録されています。

「覆面作家のクリスマス」

『推理世界』にすぐれた作品ながら、テレホンカードがなにか分かっていなかったり、「取って付けたような手順(!)のおかしなベッドシーンがあったりする」(12ページ)作品が、送られて来ました。

男か女か、若いか年寄りか、正体の全く分からないその作者、新妻千秋にともかく一度会って来なさいという左近先輩の命令で、若手編集者の岡部良介は出かけて行きましたが、現地に着いてみて驚きます。

新妻家の屋敷が巨大で千秋さんは若くて可愛らしい女性だったから。

 色白の顔がつやつやしているところは、子供の肌を思わせた。睫毛の長い瞳の大きな目は、真剣にカップに注がれる琥珀色の流れを見詰めている。神経を集中しようとしている様子が何とも可愛い。化粧っけのない顔だが、色白なので唇の輪郭がはっきりしている。ルージュなどいらない形のいい口元だ。着ているものの趣味より中身の方が若そうだ。二十歳前後だろう。
「あ、あの、お作を読ませていただきました」
 思わず知らずぼんやり見とれている自分に気が付き、急いで名刺を差し出しながらいうと、千秋さんはびくりと手を震わせた。
「……お羞ずかしいものを」(28ページ)


自分の身に起こった不思議な出来事を話すと、千秋さんがすぐさま謎を解いたのにびっくりして、良介は続いて、刑事をしている双子の兄優介が今取りかかっている、不可解な殺人事件の話をしてみました。

するとなにか閃いた様子の千秋さんは早速出かけると言い出します。仕方なく良介もついていくことにしますが、ジーパンをはき、デニム地の帽子をかぶった千秋さんの態度が、屋敷を出ると豹変しました。

屋敷の中にいた時はあれほど清楚でおしとやかだった千秋さんが「何してんだ、リョースケ。お前が来なくちゃ、どっち行っていいか分かんないだろう!」(44ページ)などと、叫ぶようになったのです。

良介は内弁慶の逆の外弁慶だと思いながら後をついていって・・・。

「眠る覆面作家」

千秋さんの作品が掲載されたので、良介は原稿料を渡しに行くことにします。臨海水族館で待ち合わせをすることにしたのですが、あまりの仕事の忙しさに、少し休憩しようとして寝過ごしてしまいました。

慌てて水族館に駆けつけましたが千秋さんの姿はなく、人が多すぎて探すことも出来ません。落ち込みながら良介が家へ帰ると、優介が臨海水族館で起こった、不思議な誘拐事件の話をしてくれたのでした。

小学二年生の夕子ちゃんが誘拐され、一千万円を要求されたのです。受け渡し場所は水族館の大水槽の前。警察がひそかに張り込みます。

すると、別の場所で待機していた優介の前にマスクで顔を隠した犯人らしき若い女が突然現れて、身代金の受け渡しを要求したのでした。

「いきなり、こっちの目の前に両手を広げて、指十本突き出した。そして時季外れのひぐらしみたいに《金、金、金、金》。はっとしながらも、踏みとどまって《何のことでしょう》と答えた。そうすると、子供が怒ったような眼になった」そこで、ほっと息をつきスモークチーズを齧ってから、「その眼で、こっちを睨みつけた。辺りをはばかるように声を落として、《とぼけるんじゃないよ、約束の金さ。持って来たんだろう。早いとこ出しちまいな》。そっと周りを見回したが、建物の中に警察関係者は俺一人だ。娘の仲間らしい奴もいない。一体一なら、こんな小娘一人、取り押さえるのは赤子の手をひねるより簡単――と思ったところに、こっちの油断があった」(99ページ)


侮った小娘に投げ飛ばされて腰を痛めたあげく、結局逃げられてしまった優介でしたが、ほどなく夕子ちゃんは無事に家に帰されました。

優介が出会った相手が誰なのかに気付いた良介は早速千秋さんに会いに行きます。やがて千秋さんは、誘拐事件の真相に気付いて・・・。

「覆面作家は二人いる」

『推理世界』編集部の左近雪絵先輩には月絵というお姉さんがいて、デパートの警備の仕事をしていました。その月絵さんは、最近あることで悩んでいます。それは、CD売り場で万引きが増えていること。

防止のための警報装置があり、会計をせずにCDを持って店を出ようとすると警報が鳴るようになっているのですが、ある時、警報が鳴ったので中学生の女の子を捕まえた所、CDが見つかりませんでした。

当然、機械の故障かなにかだと思っていたのですが、その出来事を境に、CD売り場での万引きがどんどん増えていったというんですね。

やがて、千秋さんと良介は万引きをめぐる出来事に巻き込まれていくこととなるのですが、同じ頃良介は優介から、屋敷の中と外とで豹変する千秋さんは、おそらく双子だろうという驚きの説を聞きました。

「えっ?」
「呆れた奴だなあ。家を出たか出ないかで、人間ががらりと変わるわけがないだろう」
「しかし――」
「いいか、これに対して、だ。双子というのが世の中に存在するということは、お前だってよーく知っているだろう」
「それはそうだ」
「そして、その二人の性格やら出来が、必ずしも同じではあり得ないというのも、よーく知っている筈だ。何しろ俺は、温厚篤実、公明正大、頭脳明晰、岡部優介だ」
「最後のは当たっている」
「となれば、どうだ」無視された。唯我独尊、というのを付け加えたらどうかと思う。「その《岡部さん》と《リョースケ》は別人だよ。こう考えるのが、一番合理的だろう」
「二人いる?」(192ページ)


それからというものの良介は、中と外とではあまりにも態度が違う千秋さんは、二人いるのではないかと思って見るようになって・・・。

とまあそんな3編が収録されています。起こる事件は、どれもそれほど大したものではありませんが、屋敷の中ではおとなしく引っ込み思案のお嬢さまが、外へ出ると急に腕白少年のように豹変する面白さ。

はたして、本当に千秋さんは、二人いるのでしょうか?

個性豊かな登場人物たちのユーモラスなかけあいが楽しい、気軽に読めるミステリなので、興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

明日も、北村薫の「覆面作家」シリーズで、『覆面作家の愛の歌』を紹介する予定です。