アーシュラ・K.ル=グウィン『ドラゴンフライ』 | 文学どうでしょう

文学どうでしょう

立宮翔太の読書ブログです。
日々読んだ本を紹介しています。

ドラゴンフライ アースシーの五つの物語―ゲド戦記〈5〉 (岩波少年文庫)/岩波書店

¥966
Amazon.co.jp

アーシュラ・K.ル=グウィン(清水真砂子訳)『ドラゴンフライ アースシーの五つの物語』(岩波少年文庫)を読みました。

副題にある「アースシー(Earthsea)」は、「ゲド戦記」の世界を表す言葉です。多くの島と海からなっている世界なので土(Earth)と海(Sea)をイメージした名前が、つけられているのでしょう。

ちなみに第一作『影との戦い』の原題は、"A Wizard of Earthsea"で「ゲド戦記」というシリーズ名は日本独自のものです。

「アースシーの五つの物語」という副題からも分かるように、この『ドラゴンフライ』は、「ゲド戦記」シリーズで唯一の短編集。物語の前日譚や、物語と物語を繋ぐような短編が五つ収録されています。

元々単行本で出ていた時は『ゲド戦記外伝』というタイトルで、別巻の扱いだったんですね。なので、おまけ的な感じで、「ゲド戦記」の歴史や文化が詳しく解説された「アースシー解説」がついています。

「アースシー解説」は、かなり便利なので、アースシーの地理や歴史が分からなくなったら、その都度、参照するとよいかも知れません。

岩波少年文庫に収録される際に5巻として組み込まれた『ドラゴンフライ』。意外な人物の過去が語られたりもしているのでシリーズを読んでいないと楽しめませんが、これはかなりおすすめの一冊ですよ。

「ああ、過去にそんな出来事があったのか」という物語の前日譚を知ることの出来る魅力も勿論ありますが、ぼくが特に面白く感じたのは、本編とは全然関係ない「ダークローズとダイヤモンド」でした。

冒険をくり広げる「ゲド戦記」の主人公たちは、言わば、宿命を背負った人たちなんです。人よりもたくさん苦しんだ分、歌となって語り継がれるほどの、とんでもないことを成し遂げる人々なわけですね。

そうした物語も勿論面白いのですが、そうした宿命を背負った人々ではなく、ごく普通の魔法使いたちはアースシーでどんな風に生きていたのか、これは個人的には、なんだかとても気になる部分なんです。

「ダークローズとダイヤモンド」は、まさにその疑問に答えてくれたような作品で、非常に引き込まれました。物語の主人公のダイヤモンドは、裕福な商人の息子ですが、生まれつき魔法を使えるんですね。

その一方で、音楽を愛し、笛や竪琴を演奏するのが好きな少年でした。周りから距離を置かれがちな魔女の娘ダークローズと打ち解け、魔法を教え合い、いつしかお互いに愛しあうようになっていきます。

ダイヤモンドの目の前には、いくつかの選択肢がありました。父親の跡を継いで商人になるか、それとも修業を積んで魔法使いになるか。

しかし、なにかを選択することは、なにかを捨てなければならないことでもあります。魔法使いの道を選べば、ダークローズとは離れなければなりません。女性と生涯をともにすることは、許されないから。

自分の才能が活かせる魔法使いの道へ進むべきなのか、自分の好きな音楽の道を選ぶべきなのか、父親の跡を継ぐべきなのか、それとも、何もかも犠牲にしても、愛を選ぶべきなのか、迷うダイヤモンド。

「ねえ、どうしてなの?」母親の声に不意に熱がこもった。「愛するものをなにもかもあきらめなきゃならない理由なんて、ないんじゃないの?」
 ダイヤモンドは隣にすわる母親の手をとって、口づけした。
「物事は同時にいっしょに、というわけにはいかないんだよ。」彼は言った。「本当はそうあるべきだと思うけど、無理だ。そのことがわかったんだよ。魔法使いの家をとび出したとき、ぼくはなんにだってなれると思っていた。魔法を使い、音楽をやり、父さんの息子でいて、ローズを愛し、ってね。でも、そんなふうにはいかない。いろんなものを同時並行で、というのは無理だ。」
「そんなことない。そんなことないわよ。」トゥーリーは言った。「なんだってみんな、もつれ、からまって、つながってるんだもの!」
「そうかもしれない、女の人たちにとってはね。だけど、ぼくは、……ぼくは同時にいくつものことに心を配るなんて、できない。」(256~257ページ)


みなさんだったらどうしますか? 考えさせられる物語ですよね。才能、希望、義務、愛の間で揺れる少年がとても印象的な短編でした。

その他の短編も、ある場所の誕生秘話やある魔法使いの若かりし頃の物語だったりと「ゲド戦記」ファンにはたまらないものばかりです。

作品のあらすじ


『ドラゴンフライ アースシーの五つの物語』には、「カワウソ」「ダークローズとダイヤモンド」「地の骨」「湿原で」「ドラゴンフライ」の5編が収録されています。

「カワウソ」

ハブナー港の造船所で働く船大工の息子として生まれたカワウソには生まれつき魔法が使える能力がありました。魔法を使える人同士はお互いに分かるので何人かから、魔法を習ったりするようになります。

ある時、辺りを支配している海賊の船にちょっとした呪いをかけたところ、海賊が使っているまじない師に捕まってしまいました。採掘場で鉱脈を探るために、無理矢理に魔法を使わされる日々を送ります。

やがて、不思議な力を持つ奴隷の女アニエブと出会い、力をあわせて海賊の元から脱け出したカワウソは、長い旅の末、特別な力で守られたローク島へたどり着きました。そこで穏やかな日々を過ごします。

カワウソは「もしも魔法がもっともすぐれた人びとによってあやまって教えられ、強大な力を持つ者たちによって邪な目的に使われたら」(139ページ)と考え、魔法を教える学院を作ろうと思いました。

ローク島の人々と力をあわせながら、魔法学院を作る計画は進んでいったのですが、不思議な力を使って海賊の元から逃げ出したカワウソの行方を海賊の魔法使いたちは、ずっと追いかけ続けていて・・・。

「ダークローズとダイヤモンド」

ハブナー西部のグレイドという町にゴールデンという商人がいました。ゴールデンは息子をダイヤモンドと名付け、将来を楽しみにしていましたが、やがてダイヤモンドは魔法が使えることが分かります。

ダイヤモンドは石をぴょんぴょんはねさせたり、吹いてもないのに横笛を鳴らしたりできるのでした。成長したダイヤモンドは、魔法使いになる道を選び、ヘムロックという魔法使いの元へ修業に行きます。

「均衡、秩序、抑制」(232ページ)ばかりを口にするヘムロックの元で、物の名前をひたすら覚える魔法の修業にうんざりし始めたダイヤモンドは、一人の時間には必ず波止場に行くようになりました。

ダイヤモンドには故郷に愛する少女ダークローズがいたのですが、不思議なことにヘムロックの家を離れた時でしか思い出せないのです。波止場でローズのことを想う時間が、何より大切な時間なのでした。

やがてヘムロックから「真の力を持つ者はみんな独身を通す」(240ページ)と聞かされ魔法をかけられていたことを知ります。

さらなる修業のためにローク島へ行くことが決まったダイヤモンドは、師匠の家を飛び出して、ローズに会いに行ったのですが・・・。

「地の骨」

ル・アルビで暮らす魔法使いダルスの元に、魔法を教えてほしいと少年が訪ねて来ました。ダルスは、ローク島の魔法学院をすすめます。

「むこうには、もう、行ってまいりました。」
 このことばに、ダルスはあらためて少年に目をやった。マントもはおっていなければ、杖だって持っていないではないか。
「落第したのか? 放校になったのか? それとも逃げ出したのか?」
 少年はどの問いにも首を横に振った。少年は目を閉じた。口はとうに閉まっていた。彼は身を固くして、必死な面持ちで立っていた。やがて深呼吸をひとつすると、魔法使いの目をまっすぐ見つめて、口を開いた。「ここでしか、魔法に熟達することはかないません。」声は依然としてささやきの域は出てはいなかた。「わたしの師匠はへレスさまだけです。」
 少年のことばに、真の名をへレスというこの魔法使いは少年同様、身を固くし、食い入るように相手の目を見返した。少年はうつむいた。(277ページ)


ずば抜けた力を持ちながら、魔法学院を出て来たという少年。自分のことを語らない少年のことを認めたダルスはダンマリと呼ぶようになり、魔法を教え、一人前になったら杖を授けてやろうと思いました。

一人前の魔法使いとして認められるようになったダンマリと老ダルスは、やがて来る大地震を防ぐために立ち上がることとなって・・・。

「湿原で」

多島海(アーキペラゴ)にあり、火山灰地が広がるセメル島に、一人の男がやって来ました。夫をなくし、弟のペリーと暮らしているメグミは、村まではまだ遠いのでその男を家に泊めてやることにします。

村で流行している牛の伝染病を魔法で治しに来たそのイリオスという男は、初めこそうまくやっていましたが、やがて、思いがけない事態が起こってしまいました。村にはよく来るまじない師がいたのです。

たいした力もなく、それ故に嫉妬深いそのまじない師に、つい呪いをかけてしまったイリオスは、災いを呼ぶ者として恐れられ、イリオスを匿うメグミまでもが村のつまはじき者になってしまったのでした。

やがてタカと名乗る旅人がメグミの元を訪ねて来て、具合を悪くして眠り続けているイリオスの過去に関する不思議な話を始めて・・・。

「ドラゴンフライ」

相続争いがあって、大きな館こそ持っているものの長く続いた裁判で若さと財産を失ってしまった男に、ドラゴンフライという娘がいました。母親はどこの生まれか分からず、出産の時に亡くなっています。

父親から構われず育ったドラゴンフライは、13歳になると知り合いの魔女に真の名を授けてもらう儀式を行ってもらうことにしました。

 あたりはしんと静まり返っていた。
 魔女がささやいた。「女よ、名まえを授けよう。そなたの名まえはアイリアンだ。」
 ふたりは今しばらくじっとしていた。と、不意にふたりのむきだしの肩に当たった。ふたりはふるえながら水から上がって、できるだけていねいにからだをふくと、泥だらけのはだしのまま、刃物のように切れやすいアシの葉のなかを、からまる根っこに足をとられながら必死になって歩き、ようやく小道に出る道を見つけた。この時を待っていたように、ドラゴンフライが、「よくもあたしにあんな名まえを!」と怒気をふくんだ声でささやいた。
 魔女は黙っていた。(381ページ)


真の名が授けられれば、自分のことがよく分かるようになると思っていたドラゴンフライは、魔女が見つけた自分の真の名に納得しなかったんですね。それからも自分の真の名を探し続けることになります。

それから10年が経ち、ローク島の魔法学院出身のゾウゲと出会ったドラゴンフライはゾウゲの示唆を受けて、ローク島の魔法学院に行けば、自分が何者なのか分かるかも知れないと思うようになりました。

しかし、ローク島は女人禁制なので、男に化けて入り込まなければなりません。ゾウゲとともに作戦を練りますが、ゾウゲは実はドラゴンフライに惹かれ、その肉体を自分のものにしようとしていて・・・。

とまあそんな5編が収録されています。はずれのないまさに珠玉の短編集。最も「ゲド戦記」らしい面白さのあるのは「カワウソ」で、「ゲド戦記」を読む前にお試しで読んでみてもいいかも知れません。

「地の骨」は、”沈黙”と”大地震”というキーワードで、シリーズを読んでいる人は「あ、あの魔法使いのことだ」と分かる短編ですね。ダンマリよりもダルスがとても印象的で、胸に響くものがありました。

「湿原で」は、ゲドが大賢人だった時のエピソードで、「ドラゴンフライ」は、第四巻『帰還』と第六巻『アースシーの風』を繋ぐような作品になっています。興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

ファンタジー特集も次回でいよいよ最終回。明日はアーシュラ・K・ル=グウィン「ゲド戦記」最終巻『アースシーの風』を紹介します。