ウィリアム・フォークナー『アブサロム、アブサロム!』 | 文学どうでしょう

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アブサロム、アブサロム! (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-9)/河出書房新社

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ウィリアム・フォークナー(篠田一士訳)『アブサロム、アブサロム!』(河出書房新社)を読みました。池澤夏樹個人編集=世界文学全集の中の一冊です。

ミシシッピ州にある架空の土地「ヨクナパトーファ郡」を舞台にした作品を多く残しているフォークナー。今回紹介する『アブサロム、アブサロム!』はその「ヨクナパトーファ・サーガ」の6作目の小説。

複数の語り手からなる重層的な作品『響きと怒り』と並んで、代表作に数えられる『アブサロム、アブサロム!』は、簡単に言えば、人生に大きな目標を持っていたトマス・サトペンという男の一代記です。

しかしながら、サトペンが様々な出来事を経て成長していく様が描かれるというような、ごく普通の一代記の書かれ方はされていません。

物語は1909年9月から始まりますが、サトペン自身は40年も前に死んでおり、同じ町で暮らす青年クウェンティン・コンプソンが、かつてサトペン一家に起こった悲劇を知っていくこととなるのです。

サトペンの妻の妹ローズ・コールドフィールドやサトペンの友人だった祖父の話を父から聞いたクウェンティンはそれらのことについて大学のルームメイトのシュリーヴ・マッキャノンと語り合うのでした。

物語の構造をざっくり言うと、クウェンティンは前半は聞き役、後半は語り役になるわけです。前半では衝撃的な事件の結末だけが提示され、物語が進むにつれ、じわじわと真相が明らかになっていく形式。

読者はサトペン一家で起こった出来事について、初めから大体のことは知っているわけですが、”それが一体何故起こったのか?”は初めの内は分かりません。それが段々分かっていく感じは鳥肌ものでした。

ちなみにクウェンティンは『響きと怒り』の語り手の一人でもあり、なかなかに衝撃的なものでもありますが、テーマ的に重なる部分もあるので、関心のある方は、そちらもあわせて読むのがおすすめです。

『アブサロム、アブサロム!』は黒人奴隷の問題など南部の町が抱える様々な問題を取り込みながら、サトペン一家の悲劇を描き出し、一人の男の栄光と挫折、人生のすべてを詰め込んだような重厚な作品。

今までに読んだフォークナーの作品で、ぼくは『八月の光』が一番好きですが、『アブサロム、アブサロム!』は他の追随を許さないすさまじい迫力のある小説で、これはぜひ一度は読んでもらいたいです。

フォークナーから大きな影響を受けたラテンアメリカ文学の作家、ガルシア=マルケスの作品でも読んでいない限りは、間違いなく、みなさんが経験したことのない読書体験になること請け合いの一冊です。

ただ同時に『アブサロム、アブサロム!』はその難解さでも知られていて、途中で挫折してしまったという話もよく耳にします。文章自体の難しさもありますが、やはり複雑な物語構造がその要因でしょう。

実を言うとこの本の巻末には、フォークナーが作成した、年譜と系譜(登場人物表のようなもの)、町の地図が付けられているんですね。

年譜は、言わばばらばらの物語を時系列順に確認出来るツールになっていますし、系譜の説明を読めば、登場人物の関係性や何が起こったかが一発で分かるので、この物語のほとんどすべてが分かりますよ。

なので物語についていけないという人はネタバレ覚悟でここを見るという手もありますが、そうするとやはり、種を知ってからマジックショーを見るようなことになるわけで、驚きはなくなってしまいます。

一番おすすめなのはやはり、登場人物が分からなくなったり物語の筋が追えなくても、もう強引にぐいぐい最後まで読んでしまって、それから年譜と系図を確認しながら、ぱらぱら再読するという方法です。

そもそも巻頭ではなく巻末に付けられているのは、読み終わってから物語を確認するために使ってほしいということなのでしょうし。シンプルな構造ではないだけに、何度も読み返してみたくなる作品です。

作品のあらすじ


間もなくハーヴァード大学へ進学することが決まっているヨクナパトーファ郡ジェファソンの青年クウェンティン・コンプソンは、43年間喪服を着続けている、ミス・コールドフィールドに呼ばれました。

ミス・コールドフィールドは、将来クウェンティンがえらくなったら自分が話した出来事を、どこかにお書きになるといいと言うのです。

そうしてミス・コールドフィールドは、クウェンティンがおぼろげに知っていたこの土地の物語、トマス・サトペンという男が黒人を引き連れて突然やって来て、大きな農園を築いたことを語り始めました。

一体何故、ミス・コールドフィールドが自分にサトペン一家の破滅の話を語ったのか不思議に思うクウェンティンに、父はこう言います。

「うむ」とコンプソン氏はいった。「昔はね、南部ではわしら男性が女たちを淑女にしてやったもんだ。ところが戦争が始まってその淑女たちも亡霊になってしまった。だからわれら紳士たるものは亡霊となった淑女の話を聞いてやるしかあるまい?」それから氏は、「あの女がおまえを選んだほんとのわけを知りたいか?」といった。夕食後、ふたりはヴェランダの椅子に坐り、ミス・コールドフィールドがクウェンティンに来訪してくれるようにと指定しておいた時間のくるのを待っていた。「それはね、あのひとにはだれか味方になってくれる者が必要だからさ――だれか男が、それも紳士で、しかもまだ若くて彼女の望むことを彼女の思うとおりにやれるような者がな。おまえのお祖父さんはサトペンがこの郡で持った唯一の友人といってもいいような人だったから、そこでおまえに白羽の矢が立ったわけだ。(後略)」(11~12ページ)


黒人奴隷とフランス人の大工を従えてこの土地へやって来たサトペンは、インディアンから土地を巻き上げ、大きな屋敷を作りました。そして名士になるためエレン・コールドフィールドに求婚したのです。

1838年6月、サトペンがやって来てから5年後の日曜の朝、教会で2人の結婚式が行われましたが、あまりにも参加者の少ないみじめな式だったので、エレンは式の間中ずっと泣き続けていたのでした。

やがて、サトペンとエレンの間には、ヘンリーという男の子と、ジューディスという女の子が産まれます。その少し後の1845年には、エレンの妹のローザ(ミス・コールドフィールド)が産まれました。

ローザは、姉とも姉の一家ともあまり交流はなく育ちますが、20歳の時にエレンは病気で亡くなり、年上の甥や姪のことを頼まれます。

ミシシッピ大学に通うようになったヘンリーは年上のチャールズ・ボンと親しくなり、家に呼ぶようになりました。いつしかジューディスとボンは親しくなり、2人はやがて結婚するだろうと噂になります。

ところが衝撃的な事件が起こりました。何があったのかは分かりませんが、ヘンリーがボンを銃殺して行方をくらましてしまったのです。

父を亡くし、サトペンの屋敷で暮らすようになったローザはサトペンから、「すくなくともわしは、おまえにあれ以上悪い夫にはならないと約束できると思うが」(190ページ)とプロポーズされました。

ローザは結婚を受けることにしますが、何かがあってサトペンの屋敷を去ります。それからはずっと喪服を着て一人で暮らしたのでした。

ヘンリーは何故、恐ろしい銃殺事件を起こしたのでしょう? ローザはプロポーズを受けておきながら何故、結婚しなかったのでしょう?

1910年1月。クウェンティンがミス・コールドフィールド(ローザ)や父から、サトペン一家について聞かされた夏から数か月後、ミス・コールドフィールドの死を告げる手紙が、故郷から届きました。

ハーヴァード大学に通う同じ年のルームメイト、シュリーヴ・マッキャノンはカナダ出身で、南部の町がどんな風か関心を寄せています。

そこでクウェンティンは、時々、茶々を入れるシュリーヴに問われるままに、あの夏に起こった思いがけない出来事についてや、自分が知っているサトペンやヘンリー、そしてボンの話をしていくのでした。

サトペンが生まれたのは1808年、後のウェスト・ヴァージニアにあたる山奥。やがて幼いサトペンは、白人と黒人の間だけでなく、白人と白人の間にも大きな違いがあることを知ってしまったのでした。

お使いに出たサトペン少年は、大きな屋敷を守る黒人から表門に来てはいけない、裏口に回れと言われたのです。激しいショックを受けましたが、黒人を、割る気も起こらない風船玉のようだと思いました。

あのとき自分でもわからないうちに、彼のなかのなにかがぬけだして――彼はその目をとじることができなかった――その風船玉のなかに入りこみ、そこから外側を眺めていた。(中略)サトペン少年は自分の父親や兄姉たちを、あの金持の農園主がいつも彼らを見ていたような目で見つめたのだ――なんの当てもなくこの世に排泄されてきた、鈍重で醜悪な、家畜のような生き物を見るように、しかしこの家畜のような人間どもはそのかわり畜生のように醜くあきもせずにつぎつぎと子を生んで、二倍、三倍、幾層倍にも殖え、この地上にところ狭しと殖えてゆくだろうが、しかしこの種族はいつまでたってもうだつがあがらず、黒人どもなら自由に衣類をあてがわれるところ、白人なるがゆえに商店から高いつけで買わされた服を、つぎをあてたり仕立て直したりして着るしかなく、忘れられた名もない先祖が少年のころある家を訪ねて黒人めに裏口へ回れといわれたとき戸口からのぞいていたあの風船玉のにたにたした表情を唯一の遺産とするのだ(271ページ、本文では「つけ」に傍点)


黒人の目、そしてその黒人を使う白人の目で自らの境遇を見てみじめさを認識したサトペン少年は、自分の人生を変えるためそして自分の望む生き方をするために強い決意を持って故郷を飛び出して・・・。

はたして、人生の成功を夢見続けたサトペンに降りかかった、思いがけない悲劇とは一体!?

とまあそんなお話です。クウェンティンはミス・コールドフィールドから体験談や、サトペンの唯一の親しい友人で、直接話を聞いた祖父から父へ伝わった話を聞き、様々な人の手紙を読んでいるわけです。

話を聞くシュリーヴは客観的な立場なので、疑問点を素直に聞くことが出来ます。2人の対話が進む内に、サトペン一家が抱えるいくつかの秘密、そして恐ろしい事件の真相が明らかになっていくのでした。

物語の時系列はばらばらですし、語る人が変わると、登場人物の呼び名も変わる(たとえばミス・コールドフィールドだったり、ローザだったり)わけですから、なかなかに読みづらい小説だとは思います。

ただ、何故ヘンリーが銃殺事件を起こしたのかなど、予め結末が提示されている出来事の、思いがけない真相が明かされていく面白さがあって、最後の方ではもうページをめくる手が止まらなくなりました。

大体上に出てきた登場人物とあらすじさえおさえておけば、ある程度はなんとかなるだろうと思うので、興味を持った方は、ぜひ『アブサロム、アブサロム!』に挑んでみてください。衝撃的な一冊ですよ。

4回にわたってフォークナーを取りあげてきました。その凝りに凝った文体、物語構造は難解さもあり、今ではあまり読まれていません。

予想通りというか、反響はほとんどありませんでしたが、どうでしょうか、なんだか興味深い作家だと思ってもらえたなら、嬉しいです。

様々な技巧を凝らした実験小説だったり、文章やテーマ的に、ちょっと普通じゃない小説を探しているという方には、とにかくおすすめのすごい作家です。ぜひ何かしらの作品を手に取ってみてください。

また少し間をあけて、他の作品も取り上げられたらいいですね。

明日は、綿矢りさ『大地のゲーム』を紹介する予定です。