佐藤春夫『美しき町・西班牙犬の家 他六篇』 | 文学どうでしょう

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美しき町・西班牙犬の家 他六篇 (岩波文庫)/岩波書店

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佐藤春夫『美しき町・西班牙犬の家 他六篇』(岩波文庫)を読みました。

佐藤春夫と言えば、「西班牙犬の家」に代表されるような、幻想的な雰囲気を持つ作品が特に愛されていますが、この短編集は実は、かなりバラエティに富んだラインナップになっています。

幻想的な雰囲気を持つ作品がやはり多いのですが、「陳述」は犯罪小説を、「星」は歴史小説を思わせる骨太な作品ですし、「山妖海異」は妖怪などの怪異譚を集めた、民俗学的な作品なんです。

そういった感じなので、悪く言えばまとまりに欠ける短編集ではあるのですが、それぞれの短編の味わいがあまりにも違うのがかえって面白く、なんだかお得感のある一冊でした。

幻想的な雰囲気に魅力のある「西班牙犬の家」「美しき町」「月下の再会」「F・O・U」辺りがこの短編集の読み所ですが、内容をあまり紹介しすぎてしまうと、読む楽しみが失われてしまうでしょう。

なので、それらはあらすじの紹介でさっと触れることにして、ここでは「星」という短編を、詳しく取り上げてみたいと思います。

「星」は明末期の中国を舞台にした、歴史小説的な作品。明代の長編小説『平妖伝』(上下、ちくま文庫)の翻訳を手がけたほど、中国文学にも造詣が深い佐藤春夫ならではの短編と言えます。

自分の運命の星を見つけた陳三は、こんな願い事をしました。

「どうぞ私の星よ。私に世の中で一ばん美しい娘を私の妻として授けて下さい。また、その妻の腹に宿って出来る私の男の子を世の中で一番えらい人にならせて下さい。」(83ページ)


自分の出世は自分の努力次第で何とでもなりそうですが、美しい娘に好かれることと、世の中で一番えらくなる息子を持つことは、努力だけでは何ともしがたいものがあると陳三は思ったんですね。

はたして願い事は叶うのか、思わず気になってしまう物語。世の中で一番美しい娘とはどんな娘なのか、また本当に息子が生まれ、その息子はえらくなるのかどうなのか――。

わりと近い雰囲気の小説としては、明の後、清末期を舞台にした、浅田次郎の直木賞受賞作『蒼穹の昴』(全4巻)があります。

蒼穹の昴(1) (講談社文庫)/講談社

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こちらは、将来莫大な財産を手にすることの出来る星の下に生まれたという予言を受けて、宦官(宮中に入って仕えるために去勢した役人)になり、激動の時代を生きた少年を主人公にした大河歴史小説。

『蒼穹の昴』と同じように、「星」も歴史小説としての面白さもある作品なのですが、それ以上に重要なのは、中国の伝統である”才子佳人”の物語パターンが取り入れられていること。

「才子」は才智にすぐれた男子、「佳人」は絶世の美女のことですが、中国の小説では、ボーイ・ミーツ・ガール(男の子が女の子に出会う話)に、もうとびきりの美女が登場するんですね。

「星」にも甲乙つけがたい2人の美女が登場し、一体どちらが陳三の奥さんになるのか、目が離せない展開になっていきます。奥さんになった方が、すなわち世界一の美女ということになるわけですから。

ちなみに、日本文学史的に言うと戦後派になりますが、中国文学に造詣が深く、中国を舞台にした作品も多く残している作家がいます。

それが武田泰淳で、『蝮のすえ・「愛」のかたち』(講談社文芸文庫)にまさに「才子佳人」という短編が収録されているので、「星」が面白かったという方は、そちらもあわせて読んでみてください。

また、武田泰淳は清代の長編小説『児女英雄伝』などをモチーフにした、才色兼備、武芸の腕にも優れる十三妹の活躍を描いた『十三妹』(中公文庫)もおすすめです。そちらも機会があればぜひぜひ。

作品のあらすじ


『美しき町・西班牙犬の家 他六篇』には、「西班牙犬の家」「美しき町」「星」「陳述」「李鴻章」「月下の再会」「F・O・U」「山妖海異」8編が収録されています。

「西班牙犬の家」

〈私〉は犬のフラテと一緒に散歩していました。行く方向はすべてフラテにまかせっきりで、自分はぼんやりと空想しながら歩くのです。

時々、空を仰いで雲を見る。ひょいと道ばたの草の花が目につく。そこで私はその花を摘んで、自分の鼻の先で匂うて見る。何という花だか知らないがいい匂である。指で摘んでくるくるとまわしながら歩く。するとフラテは何かの拍子にそれを見つけて、ちょっと立とまって、首をかしげて、私の目のなかをのぞき込む。それを欲しいという顔つきである。そこでその花を投げてやる。犬は地面に落ちた花を、ちょっと嗅いで見て、何だ、ビスケットじゃなかったのかと言いたげである。そうしてまた急に駆け出す。こんな風にして私は二時間近くも歩いた。(6~7ページ)


そうして〈私〉とフラテがたまたまたどり着いたのは、町が見下ろせる見晴らしのいい場所。近くの林の中には、古く立派な石の階段、水のわき立つ水盤、西洋風の扉を持つ一軒の家がありました。

まるで「隠者か、魔法使いの家」(10ページ)のように見えるその家にいたのは、大きな西班牙(スペイン)犬。〈私〉はこの家の主人はどんな人物だろうと思いますが、その姿は見当たらず・・・。

「美しき町」

親しい友人のO君を通して知り合った画家のE氏から、〈私〉は不思議な話を聞きました。

〈私〉(E氏)が21、2歳の頃。テオドル・ブレンタノという謎の人物からの呼び出しを受けて出かけていくと、それは思いがけず、子供時代の友達、川崎だったのでした。

アメリカ人の実業家を父に持つ川崎はアメリカに帰化し、父の莫大な遺産を相続したというのです。お金の使い道を考えていた川崎は、いつしか「美しい町」を作ることを夢見るようになったと言います。

自分で決めた職を持ち、愛し合って結婚し、子供と犬のいる家族を集めた、汚れた俗世間とは違う”美しい”場所を作りたいのだと。

川崎のイメージにあわせて、募集をして雇った老建築技師Tが建物の設計をし、画家の〈私〉が家の周りの木々など、町全体のイメージを膨らませていきます。

3人は夢中になって作業に没頭し、飛ぶように数年が過ぎていきました。ところが、ようやく「美しい町」のイメージが固まり、計画の第一段階が終わった頃、思いがけないことが起こって・・・。

「星」

世の中で一番美しい娘を妻にし、その妻との間に生まれた子供が世の中で一番偉くなるよう、自分の運命の星に願った陳三。

やがて、世の中で一番美しいという評判の娘、黄五娘と出会った陳三は奴隷に身を落として、その家に仕えるようになったのでした。

五娘の小間使いの洪益春もまた、五娘に勝るとも劣らない美しさを持つ娘。みなしごながら、五娘と姉妹のように仲良しに育ち、五娘が嫁いだ先に第二夫人として嫁ぐという約束を交わしています。

五娘は金のなかに嵌めた紅玉のように、益春は銀のなかに嵌めた青玉のように美しい。五娘を妖艶というならば、益春はどうしても冷艶と言わなければなるまい。五娘の美しさには地上の豊かさがあり、益春の美しさには天上の静かさがあった。五娘の美しさのなかには人をそそり人を酔わせるものがあり、益春の美しさのなかには人を醒まさせ人をひき入れるものがあるように思えた。
(91ページ)


単なる奴隷の立ち振る舞いではない陳三は、やがて五娘の目に止まり、また益春からも思いを寄せられるようになったのですが・・・。

「陳述」

事件の被告となった〈私〉が、何故あのような事件を起こしてしまったのかを語っていきます。

4年前、学校を卒業して医局へ入った時から、〈私〉は赤沢婦長と馬が合いませんでした。元々の性質が合わない上に、ささいな誤解が積もり積もって、はっきり敵対する間柄になってしまったのです。

赤沢婦長はこまごまとしたことを決める、言わば医局のすべてを取り仕切る役割を果たしているので、赤沢婦長に睨まれると、診察や手術など、何事もうまく回っていかないんですね。

上の人にこびへつらう同僚たちを横目に、腕を磨いて早く一人前の立派な外科医になろうと〈私〉は一生懸命努力を続けたのですが、赤沢婦長の遠回しのいやがらせは執拗に続いていって・・・。

「李鴻章」

30年前、日清戦争のすぐ後。領事に任命され、漢口に行く途中の上海で、〈己〉は李鴻章と面会することが出来ました。

李鴻章は「立身をせられて父母がこの世にいられるとは、人としてこれほど幸福なことはない。定めし、御両親も、こういう賢息を持たれてさぞ御満足なことであろう」(188ページ)と言ってくれます。

やがて、〈己〉はニューヨーク通信で、李鴻章にまつわるニュースを読み、何気ないことではあるものの、そこに東洋と西洋の差が浮き彫りになっていると思い、色々と考えさせられたのでした。

そのニュースとは、あるアメリカの女性作家が李鴻章と面会をしたこと。李鴻章は〈己〉の時と同じように、その女性作家に年齢や仕事についてなど、当たり障りのない質問を投げかけたのですが・・・。

「月下の再会」

暖炉のある客間で、ある青年紳士が〈私〉に、自分が見た不思議な光景の話をしてくれました。数年前、冬支度のために出かけて帰って来た〈私〉(青年紳士)は、道で外国人の婦人を見かけます。

スーツケースを一つさげたその婦人は、〈私〉に英語が通じると大喜び。日本に来たばかりのようで、今日は一日中ずっと、ムカイ氏という外国人の住む場所を探していたというんですね。

知っている住所を尋ねても、ムカイ氏はおらず、日本人に尋ねても戸惑われるばかりで婦人は困惑していたのです。乗りかかった船だと、〈私〉はそのムカイ氏を一緒に探してやることにして・・・。

「F・O・U」

フランス。目のさめるようなロオルス・ロイスを見つけ、勝手に乗り回して警察に捕まってしまった石野牧雄は、知り合いの名前として、フロオランス・ド・タルマという貴婦人の名前をあげます。

やって来たフロオランスは、警察署長の前で、塵だらけのテーブルに「FOU」(狂人)という文字を書き、イシノ(石野牧雄)はそのまま精神病院に入れられてしまいました。

やがて精神病院を出たイシノは、モンパルナスでフロオランスと同棲を始め、日本にいるイシノの妻から産まれたばかりの娘、万理の写真が届くと、2人は万理を引き取ろうと相談し始め・・・。

「山妖海異」

湊治郎左衛門さまが馬に乗って川を渡っていた時のこと。どうも馬が重いと思ったら、カンカラボシ(河原小法師。カッパのこと)が尾にしがみついていたのです。

治郎左衛門さまは刀を抜くと、カンカラボシの腕を斬り落とし、腕を取りに来たカンカラボシに、子孫代々に至るまで、治郎左衛門の家の者に二度と悪さをしないと約束させたのでした。

山には山の妖怪がいます。ある男が山に入ると、「さとり」が現われました。「おや!」と思うと、「『おや!』 と思ったな」と言う「さとり」は、男が考えていることをすべて読んで・・・。

とまあそんな6編が収録されています。特に「F・O・U」は、そのよさを短いあらすじではうまく伝えられないのですが、「FOU」なのかそうでないかが、曖昧に書かれているのが魅力でしょう。

気品漂うイシノは、どことなくぼんやりしていて、やってはいけないことを平気でしてしまいます。周りから見たら確かに、常識的な人間ではないだろうと思います。確かに狂人なのかも知れません。

ただ、そんなイシノだからこそ出来ることというのがあって、それがとても印象に残る作品でした。イシノという人物の造型が光る短編。

ぼくが最も好きだったのが、やはり「美しき町」です。いいですね。

ストーリーに関わるので、あまり詳しくは書けませんが、何ごとにも理想と現実というものがあります。

欲しいものがあって、欲しいなあと思っている時と、実際にそれを買って手にした時。あるいは、あの素敵な人と付き合いたいなあと片思いしている時と、実際に恋人として付き合うようになった時。

憧れて、想像を膨らませている時と、憧れの物を実際に手にした時とでは、どちらがより幸せでしょうか。もしかしたら、現実は思ったよりも素晴らしくはなくて、理想の方が美しいかも知れませんね。

「美しき町」には、そうした理想的なイメージでの美しさが描かれている作品であって、それはある意味では、現実よりもはるかに美しいものなのです。喜びと切なさが胸に残る、素晴らしい作品でした。

それぞれに違う雰囲気を持つ短編を収録した、バラエティーに富んだ一冊。佐藤春夫に興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。

いよいよジブリ映画の『風立ちぬ』が公開になりますね。それにあわせて、明日からは6夜連続で堀辰雄特集をやろうと思っています。まずは、『風立ちぬ・美しい村』からスタート。