司馬遼太郎『項羽と劉邦』 | 文学どうでしょう

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項羽と劉邦 (上) (新潮文庫)/新潮社

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司馬遼太郎『項羽と劉邦』(新潮文庫、上中下)を読みました。Amazonのリンクは上巻だけを貼っておきます。

少し前に、『三国志演義』を紹介した時にも触れましたが、項羽と劉邦の物語について知っておくと、「三国志」はより一層楽しめます。

「三国志」は基本的には、漢王朝を再興させようとする物語ですし、諸葛亮孔明の智謀が、劉邦に仕えた張良子房と重ね合わせて賞賛されるなど、深い繋がりがあるからです。

項羽と劉邦の物語の原典となるのは、司馬遷が記した歴史書『史記』です。

『史記』は、年月ごとに書かれる編年体(へんねんたい)ではなく、それぞれの人物の伝記が集められた紀伝体(きでんたい)という形式で書かれているのが特徴的。

ぼくも実はまだ部分部分しか読んだことはないのですが、物語のようになっているので、今読んでもかなり面白いですよ。

ぜひ読んでみたいという方は、ちくま学芸文庫の全8巻が、一番手に入りやすいので、おすすめです。

史記 全8巻セット (ちくま学芸文庫)/筑摩書房

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いきなり歴史書は、ちょっと難しそうだなあという方は、横山光輝のマンガ『項羽と劉邦』も、かなりおすすめですよ。

項羽と劉邦全12巻漫画文庫 (潮漫画文庫)/潮出版社

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横山光輝と言えば、『三国志』がとにかく有名ですが、『項羽と劉邦』は『三国志』に勝るとも劣らない傑作なので、『三国志』ファンの方は、ぜひ読んでみてください。

とにかく強いけれど冷酷で人望に欠ける項羽と、ほとんど無能だけれどとにかくみんなに好かれる劉邦という、対照的な二人が、天下統一を目指して戦うという時点で、もう面白いわけです。

項羽と劉邦の家臣たちも、それぞれに個性あふれる人物ばかり。マンガだけで比較したら、もしかしたら、ぼくは『三国志』よりも好きかもしれません。それくらいとにかく面白いです。

マンガではなく、小説で読みたいという方におすすめなのが、今回紹介する司馬遼太郎の『項羽と劉邦』です。項羽と劉邦の決定版と言ってよいだろうと思います。

『史記』をベースにしながらも、これは本当はこうだったんじゃないかという風に、作者の考えが書かれていくのも興味深い作品。

物語は、紀元前221年、秦の始皇帝が中国全土の統一を成し遂げた所から始まります。「皇帝」という言葉も、この時初めて作られました。

しかしやがて、始皇帝が亡くなると、宦官(かんがん。后たちもいる後宮に入るため、去勢して君主に仕えた人)の趙高が大きな権力を握り、秦の政治はどんどん腐敗していってしまうんですね。

耐えられなくなった人々によって、各地で秦に対する反乱が起こるようになったのですが、そうした混乱の時代に、めきめきと頭角を現した二人の英雄が、項羽と劉邦です。

項羽と劉邦、楚と漢の激しい対決を背景に、さまざまな英雄豪傑の活躍を描き出した、まさに血沸き肉躍る歴史小説です。

作品のあらすじ


秦の始皇帝亡き後、その息子の胡亥が皇帝になりましたが、政治の実権は趙高が握っています。

家臣の報告を皇帝につたえるのも趙高ですし、皇帝の言葉を家臣に伝えるのもまた趙高ですから、すべての物事を、趙高の思うままに進められるわけです。

やがて、国は少しずつ乱れ始め、ついに陳勝・呉広の乱が起こりました。

陳勝と呉広は、辺境の土木事業に刈り出された農民でしたが、大雨で到着が遅れてしまったんですね。遅れたら死刑になることが法律で決められています。

ただ殺されるのを待つよりはと、仲間たちと一緒に反乱を起こしたというわけです。こうした反乱はやがて、各地に広がっていきました。

反乱軍の中で、次第に頭角を現して来たのは、秦によって滅ぼされた楚の貴族の子孫である項梁と、その甥で、とにかく力が強い大男の項羽です。

項梁の軍に、范増(はんぞう)という70歳の老人が軍師として加わり、楚の王の末裔を探すことを進言します。

陳勝と呉広は自らが王になろうとして失敗してしまったので、その教訓を踏まえて、誰もが崇める旗頭を、上に据えるべきだというんですね。

そうして楚王の孫が見つけ出され、懐王として即位しました。懐王はみなにこう宣言します。

「諸将は大いに競進して秦と戦え。最初に関中に入った者を関中王とするであろう」
 と、約束した。(中略)懐王にすれば前面の秦の軍事力があまりにも大きく強く、諸将に死力をつくさせてこの猛火を掻いくぐらせるには、とほうもない褒賞を設定したほうがいいだろうと思ったからであろう。懐王は利口なようで、多分に子供のようなところがあった。(上巻、377~378ページ)


その諸将の中に、劉邦という男がいました。沛という所出身のごろつきですが、不思議と人望があって、誰からも慕われるのです。

陳勝と呉広と同じように、やむをえない状況で反乱を起こしたのですが、武力に優れた樊噲(はんかい)や、食糧の管理など事務的な事柄に優れた蕭何(しょうか)など、優れた人材が集まって来ました。

中でも飛び抜けた智謀を持っているのが、張良。秦に滅ぼされた韓という国の生まれで、かつては始皇帝の暗殺を試みたこともあるような人物です。

若い頃に張良は、不思議な老人と出会いました。老人はわざと靴を落として、拾って来いというのです。靴を拾って履かせてやると、今度は五日後の早朝に、またここへ来いと言います。

五日後の早朝にやって来ると、すでに老人はやって来ていました。待たせるとは何事だと、こっぴどく叱られた挙句、張良はまた五日後にやって来いと言われてしまいました。

張良が今度は夜中から待っていると、やって来た老人は、張良に『太公兵法』という兵法書を授けてくれたのです。

老人は張良の人柄を試していたんですね。「これを読めば、お前は王者の師になれるだろう」(中巻、30ページ)と言い残して、老人は去って行きました。

そうして優れた知恵を身につけた張良は、劉邦の軍師的存在となります。劉邦軍は苦戦を続けながらも、関中を目指して進んで行きました。

一方、秦にも名将章邯(しょうかん)がおり、項梁は戦で命を落としてしまいました。項梁亡き後、軍をまとげあげた項羽もまた、秦と激しい戦いをくり広げながら、関中を目指します。

先に関中にたどり着いたのは、劉邦でした。劉邦は家臣の進言を受けて、残虐なふるまいをしないように命じ、法律をとても簡単なものに変えます。

「法は、三章とする。すなわち人を殺す者は死刑、人を傷つける者、あるいは人の物を盗む者は、それぞれ適当な刑に処する。それだけじゃ」
 といった。掠奪の禁止と右の秦法の撤廃と法の簡素化ほど劉邦の関中における人気を高めたものはなかった。(中巻、98ページ)


ところが、わずか二ヶ月遅れて到着した項羽は面白くありません。強敵を倒し、誰よりも困難な道を通って来たと自負している項羽は、劉邦を関中王として認める気がないのです。

項羽は、劉邦軍をそのまま押し潰してしまうことにしましたが、張良はなんとか劉邦の命を救おうと策を立てました。

その甲斐あって、鴻門という場所で、項羽は劉邦の弁明を聞いてくれることになります。

宴の席で、へりくだり、情けない様子をしている劉邦を見ると、項羽は劉邦を殺す気を失いました。

ところが、劉邦をこのまま生かしておくと危ないと見ている項羽の軍師范増は、あらかじめ頼んでおいた武将に、劉邦暗殺の指示を出します。

指示を受けた武将は、「沛公の寿をことほぐために、ひとさし剣の舞を舞いましょう」(中巻、142ページ)と、剣を持って踊り始めました。隙を見て劉邦を殺そうというのです。

はたして、絶体絶命の劉邦の運命はいかに? 「鴻門の会」の結末は、ぜひ本編にて。

やがて、楚の項羽、漢の劉邦は天下を二分して、戦いをくり広げていくことになるのですが、その戦いで最も重要な役目を果たす人物が登場します。それは、韓信という男。

ぼろぼろの服を着、腰に長い剣をさした若かりし日の韓信は、誰からも馬鹿にされていました。こんなエピソードが残されています。

あるとき気のあらい肉屋が韓信をからかって、その長剣でおれを刺してみろ、刺さなきゃおれの股をくぐれ、と衆人の前でおどしあげた。このとき韓信はおとなしく這って股をくぐった。市中のひとびとは韓信を臆病者だといってさげすんだが、後年、韓信が名将の名をほしいままにしてから、ひとびとはこれをかれの大勇の証拠だというふうに美談にした。しかし韓信の痛いばかりの本質の一つにその臆病さがあったのではないか。(中巻、151~152ページ)


つまらないことで命を落とすのではなく、もっと先のことを見ている韓信の偉さを示すエピソードですが、そこに本質としての臆病さを読み取る、司馬遼太郎独特の解釈がつけくわえられていますね。

韓信は初めは楚の項羽の元に仕えますが、全く取り立ててもらえません。人材を気前よく登用するという、漢に仕えるようになってからも、やはり軽んじられてばかり。

嫌気がさして漢を離れようとしますが、蕭何や張良にその才能が認められ、家臣の意見に耳を傾ける劉邦によって、いきなり全軍を指揮する将軍に大抜擢されます。

背後に川を置くと逃げ道がなくなってしまうため、兵法では禁じられている「背水の陣」をあえて敷き、敵を撃破するなど、韓信はその類いまれなる指揮能力で、次々と敵を打ち破っていきました。

圧倒的な兵力を持つ項羽が有利な状況がずっと続きます。しかし、占領した都市の兵士を皆殺しにするなど、残虐な行いをする項羽からは、次第に人の心が離れていったのでした。

一方、戦っては負けをくり返していた劉邦は、張良、蕭何、韓信など、すぐれた人材を巧みに使って、どんどん勢力を拡大していって・・・。

はたして、楚の項羽と漢の劉邦の決戦の行方はいかに!?

とまあそんなお話です。項羽と劉邦の対照的なキャラクター性も非常にいいんですが、張良、蕭何、韓信もまた、実にいいキャラクター性を持っているんですね。

張良は外交的な手腕や策を立てる能力に優れ、蕭何は行政的な実務で才能を発揮し、韓信はすぐれた軍事能力を持っています。

ところが、どんなに才能に優れていても、人を動かし、人をまとめていくことは出来ないのです。

その点、劉邦は突出した能力は特に何もなくても、人を集め、人に慕われます。いわゆる人望があるわけですね。

それぞれ足りない部分があるからこそ、突出した才能が、よりきらめく部分があって、そうした登場人物たちの個性が光る歴史小説です。

この後、「虞美人草」の名前の由来にもなった、項羽が愛した虞姫(ぐき)も登場しますし、「四面楚歌」の元になったエピソードも出て来ますよ。

中国の歴史に興味がある方は勿論、そうした故事成語の元を知りたい方も、ぜひ読んでみてください。

明日は、宇野千代『色ざんげ』を紹介する予定です。