ショレム・アレイヘム『牛乳屋テヴィエ』 | 文学どうでしょう

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牛乳屋テヴィエ (岩波文庫)/岩波書店

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ショレム・アレイヘム(西成彦訳)『牛乳屋テヴィエ』(岩波文庫)を読みました。

この本は、去年の夏頃に出版されたんですが、本屋で見つけて思わず「おおっ」と言ってしまった本です。まさに、「待望の翻訳が、ついに!」という感じですね。

「えっ、『牛乳屋テヴィエ』? なにそれ全然聞いたことないけど・・・」という方が多いだろうと思いますが、これは実は、ある有名なミュージカルの原作小説なんです。

ミュージカルのタイトルを聞いたら、みなさんもきっとピンと来るはず。日本でも森繁久彌や西田敏行などが主演をつとめたことで、よく知られるようになりました。

そのミュージカルこそが、帝政ロシアに暮らすユダヤ人の一家に降りかかる、様々な出来事を描いた『屋根の上のバイオリン弾き』です。

内容は知らなくても、『屋根の上のバイオリン弾き』というタイトルは、みなさんご存知なのではないでしょうか。一度聞いたら忘れられない、とても印象的なタイトルですよね。

今年の3月からはまた、市村正親主演版が日生劇場で上演されるようなので、興味のある方は、ぜひ観に行ってみてはいかがでしょうか。

舞台はなんとなく敷居が高いなあという方は、1971年に公開された、ノーマン・ジュイソン監督の映画版もありますよ。

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3時間ほどある大作ですが、ユダヤ人が迫害されるという、わりとシリアスな物語を、ユーモラスさを交えて描く、ミュージカルならではの独特の魅力がある映画です。

そして何より、時に怒りっぽく、時にコミカルな主人公テヴィエを、ハイム・トポルがとても個性的に演じているので、こちらも機会があれば、ぜひ観てみてください。

ショレム・アレイヘムの原作小説は、1973年にハヤカワ文庫から、南川貞治訳で『屋根の上のバイオリン弾き』というタイトルで出てはいました。

ただ、そちらは重訳(英語に訳されたものからの翻訳)だったんですね。元々はイディッシュ語の作品なので、原語からの翻訳はなかなか難しかったのでしょう。

今回、ようやく原語からの翻訳版が出たというわけです。そろそろみなさんも共感してくださるのではないでしょうか。「待望の翻訳が、ついに!」ですよね。

イディッシュ語の「イディッシュ」は「ユダヤの」を指します。ドイツ語圏で暮らすユダヤ人の言葉に、旧約聖書や祈祷の言語であるヘブライ語が混ざり、独自の発展を遂げたもののようです。

物語の背景や、イディッシュ語について、そしてミュージカルとの関わりなど、訳者の解説がとても丁寧で充実しています。そういった所も、この本の大きな魅力です。

さてさて、ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』、そして原作の『牛乳屋テヴィエ』は、一体どういう物語なのでしょうか。

人種や宗教の問題を少し置いておいて、普遍的なテーマを取り出すと、旧時代と新時代の考えの対立を描いたドラマと言えます。

古い考えを持つ主人公のテヴィエにとって、結婚というのは結婚仲介人がいて、親が決めた相手とするのが当たり前のこと。

ところが新しい考えを持つ娘たちは、テヴィエが決めた相手を拒絶し、自分が好きになった相手と結婚したいと、父親に強く反発するんですね。

そうした反発だけでも驚くべきことなのに、娘の一人は、ユダヤ教徒ではない相手と結婚したいと言い出したのです。

娘の思いがけない行動は、ユダヤ教の律法(トーラ)に忠実であろうとするテヴィエをひどく悩ませて・・・。

ユダヤ人であるが故に村から追い出されてしまう、そうした人種や政治的な重いテーマを孕んだ物語であることも、勿論重要です。

しかし、ミュージカルになり、長年にわたってこれだけ多くの観客を魅了し続けて来たのは、物語のテーマが、必ずしもユダヤ人やユダヤ教に限定されていないからでしょう。

テヴィエと娘たちのような、古い考えと新しい考えのぶつかり合いというのは、どの国でも、また、どの世代でも起こって来たことです。

そして、これからも起こり続けるであろう、ある種永遠のテーマですよね。なので、いつ誰が観ても、心を打つ作品なんですね。

原作小説は、牛乳屋のテヴィエが、自分の身近で起こった出来事について、ショレム・アレイヘムにあてて手紙を描いたという形式の物語です。

言わば短編の連作という感じで、9編が収録されていますが、ミュージカルや映画では、「いまどきの子ら」「ホドル」「ハヴァ」「行きなさい」の4編がメインになって再構成されている感じですね。

祈りの言葉が多用される、テヴィエの独特の語り口調が、とても印象的な作品です。

作品のあらすじ


牛乳屋のテヴィエから、ショレム・アレイヘムに手紙が送られて来ました。

 大あたりというものは、ショレム・アレイヘム先生、いきなり、向こうからとびこんでくるものなんですよね。指揮者によって、ギティトに合わせて(「詩篇」八・一、「主よ、〔…〕あなたの御名は、いかに力強く全地に満ちていることでしょう」とつづく。「ギティト」は楽器の名)ではありませんが、じゃらじゃら向こうから。

(15ページ、本文では、「指揮者によって、ギティトに合わせて」に傍点、( )内は二段組みの訳注)


テヴィエこと〈あたし〉の最も大きな特徴は、こんな風に旧約聖書や祈祷の言葉をよく口にすること。そして、その言葉が意図的か意図的でないかは場面によって違いますが、よく間違っていること。

ある夏の夜のこと。丸太を荷馬車で運ぶ仕事をしていた〈あたし〉は、森で困っている老女と人妻を助けてやり、お礼に大金を手に入れました。

妻のゴルダと相談して、新しく商売を始めることにします。そこで、乳牛を買って牛乳屋を始めたのでした。牛乳だけでなく、チーズやバターも売るのです。

ついてることがあれば、ついてないこともありました。ある時、〈あたし〉はお金儲けの話を耳にするんですね。

「まずは百ルーブリを用意して、それでなんとかというものを十枚」(68ページ)買って、値上がりしたら、売って買い増すようどこだかに電報を打つ、それをくり返せば、お金はどんどん倍に膨らんでいくというのです。

こんなに素敵な話はないと大喜びした〈あたし〉だったのですが・・・。

またある時、〈あたし〉は、肉屋のレイゼル=ヴォルフと話し合いをすることになりました。

レイゼル=ヴォルフはどうやら〈あたし〉の牝牛を買いたがっているようなのですが、どうも話が噛みあいません。

途中で食い違いに気付いたレイゼル=ヴォルフは大笑いをします。「あんたの娘さんだよ。あたしは、ずっとあんたのところのツェイトルの話をしてきたつもりだ!」(98ページ)と。

奥さんを亡くしてから、ずっとやもめ暮らしをしていたレイゼル=ヴォルフは、牝牛ではなく、〈あたし〉の長女を嫁に欲しいと言っていたんですね。

レイゼル=ヴォルフはツェイトルと同じ年頃の娘がいる年齢ですが、お金持ちですから、いい縁だと思って縁談の約束を取り交わしました。

ところが、突然のその話を聞いたツェイトルは、喜ぶどころか悲しみのあまり泣き出してしまったのです。

「あたし、なにも贅沢は言わないから、どうかお願い、あたしの年恰好も考えて!」(114ページ)と。

ツェイトルはなんと、レイゼル=ヴォルフと結婚したくないと言い出したのです。思いがけない展開に、〈あたし〉はすっかり弱り切ってしまいました。

そんな〈あたし〉の元へやって来たのが、若い仕立屋です。仕立屋だけに、ツェイトルと”寸法通り”に釣り合いのつく縁談相手を紹介しにやって来たというんですね。

 ――勿体ぶらないで、相手の名前を聞かせてもらおうか?
 ――名前ですって? そう言いつつも、こっちは見ないで、あちらの方ばかり窺っていましてね。――それがその、お分かりいただきたいのですが、名前といっても、それはぼくなんで……
 それを聞いたとたん、あたしは腰を抜かすというより、火傷したみたいに跳びあがりました。そしたら、向こうもいっしょにぴょんと立ち上がって、あたしたちは顔と顔を見合わせました。まるで、鶏冠に血ののぼった雄鶏みたいでした。(122ページ)


なんと、仕立屋とツェイトルは、もう一年も前からお互いに将来を約束しあった仲だというのです。

結婚仲介人も立てないおかしなやり方に腹を立てた〈あたし〉ですが、ふとある考えが頭をよぎります。

どの道、自分自身も大した家柄ではないし、娘にはそれほど持参金をつけてあげられないと。

仕立屋は働き者の好青年ですし、いい夫、いい父親になりそうです。それ以上に望むことがあるだろうかと、〈あたし〉はそう思ったんですね。

若い二人の結婚を快く認めた〈あたし〉ですが、レイゼル=ヴォルフとの縁談にすっかり乗り気の妻ゴルダを、何と言って納得させたらいいのか分かりません。

〈あたし〉はとにかく気の強いゴルダに頭が上がらない所があるのです。〈あたし〉はゴルダを納得させるために、頭を捻ってある作戦を考え出して・・・。

長女のツェイトルに続いて、次女のホドルも勝手に結婚を決めてしまいました。

教養があり、家庭教師をしているペルチク(後に、イディッシュ風にフェフェルと呼ばれるように)と結婚することにしたというんですね。

〈あたし〉に報告を終えると、自分たちが主役の芝居でも演じているかのように、二人は抱き合い、キスをしていました。

〈あたし〉はそんな二人の様子に思わず呆れてしまいましたが、結婚するというなら仕方がありません。

 ――それそろキスは終わりにしようじゃないか、って、あたしは言いました。――まだ大事な話が残っているじゃないか。
 すると、――大事な話ってなんですか、だなんて、ほざくんです。
 ――持参金の話とか。衣装や経費や、それこそ小麦粉の話とかタマネギの話とかいろいろあるだろう。
 すると、――いいんです、ですって。二人で口をそろえて。――なにも要りません。小麦粉もタマネギも……
 ――じゃあ、なんなら必要なんだ?
 ――十分なんです、結婚式さえ挙げられれば……
 それって、あんまりだと思いませんか?…(160ページ)


やがて、国を変えようとする革命に身を投じていたフェフェルは、遠くの地で投獄されてしまい、それを知ったホドルは思いがけないことを言い出して・・・。

三女のハヴァは、芸術的な才能を持つ若者フフェトカと親しくなりましたが、〈あたし〉はユダヤ人ではないフフェトカとハヴァの交際を決して認めようとしませんでした。

ハヴァはフフェトカは、第二のゴーリキー(ロシアの作家。戯曲『どん底』など)であると賞賛しますが、〈あたし〉はこう聞きかえします。

 ――第二のゴーリキー? だったら一番目のゴーリキーって何者だ?(185ページ)


キリスト教の司祭の元で、フフェトカと結婚したハヴァを許さず、〈あたし〉は家族にハヴァは死んだと言い渡します。

「涙で喉がつまって、骨が喉につかえているような感じが」(200ページ)しながらも。

この後、ミュージカルにはありませんが、原作ではシュプリンツァ、ベイルカと娘の結婚話は続いていきます。

やがて、帝政ロシアにユダヤ人排斥の風が吹き荒れて、〈あたし〉の一家、そして仲間のユダヤ人たちは村から追い出されることになってしまって・・・。

とまあそんなお話です。思いがけない人生の荒波に揉まれ、迷い、苦しみながらも、いつだって明るい気持ちを忘れないテディエと、その家族の物語。

数秒前までは断固として駄目だと言っていたことが、すぐに、「まあいいか」という感じに変わってしまうテディエは、憎めない、味のあるキャラクターなんです。

引用した場面でも感じ取ってもらえたと思うのですが、特徴的な語りの文体で紡がれていく小説。設定はややつかみづらいですが、文章としてはわりと読みやすいですよ。

原作には、ミュージカルにはなっていない挿話があったりもしますが、ミュージカルでなにより重要なのは、ブロードウェイ、つまりアメリカで作られたものであること。

言わばアメリカナイズされたミュージカルでは、原作がうまくまとめられて、物語的にとても分かりやすくなっています。

ただ、さすがに愛と自由を愛する国アメリカなだけあって、ユダヤ教徒以外と結婚しようとする娘へのテヴィエの態度など、若干の違いがあったりもするので、興味のある方はぜひ原作を読んで、比べてみてください。

ちなみに、原作とはまったく違う「屋根の上のバイオリン弾き(Fiddler on the Roof)」というミュージカルのタイトルは、マルク・シャガールの絵からつけられています。

シャガールもまた、帝政ロシアで生まれたユダヤ人。バイオリン(フィドル)弾きのモチーフは、シャガールの絵の中で、くり返し描かれて来たものなのだそうです。

一歩間違えると墜落してしまいますから、屋根の上でバイオリンを弾くというのは、優雅そうに見えて、とても危ない行為ですよね。

ミュージカルでは、そのスリリングな状況と、ユダヤ人の苦しい状況とが重ね合わされているのです。そして、唯一体を支える屋根こそが、ユダヤ教の信仰なのだと。

人種や宗教の問題など、テーマ的に色々と考えさせられるだけでなく、短編の連作なので読みやすく、物語として面白い作品。

ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』の内容にわりと沿った形で、その原作の『牛乳屋テヴィエ』を紹介しました。なかなか興味深い作品だなあと思ってもらえたならうれしいです。

ぜひミュージカルを観に行ったり、映画を観たり、原作の小説を読んだりしてみてくださいね。

明日は、カレル・チャペック『長い長いお医者さんの話』を紹介する予定です。