横溝正史『悪魔が来りて笛を吹く』 | 文学どうでしょう

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悪魔が来たりて笛を吹く (角川文庫)/角川書店(角川グループパブリッシング)

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横溝正史『悪魔が来りて笛を吹く 金田一耕助ファイル4』(角川文庫)を読みました。

本格的なミステリファンの中では、トリックの斬新さ、面白さがある『獄門島』がずば抜けた人気を誇るようです。

今回紹介する『悪魔が来りて笛を吹く』は、ある意味では『獄門島』と極めて対照的な作品と言ってよいだろうと思います。ミステリ的にははっきり言って、全然大したことはありません。

ですが、ストーリーが抜群に面白い作品なんです。ぼくは『獄門島』よりも『悪魔が来りて笛を吹く』の方が好きでしたねえ。物語にぐいぐい引き込まれる作品です。

金田一耕助は名探偵にしては殺人を防ぐ率が著しく低いというのは、よく話題になることではありますが、この作品は特に金田一耕助の何もしてなさが目立つ作品でもあります。

犯人を指摘した後で、犯人がどのようにして犯行を行ったかを述べるという、一番盛り上がるはずの解決場面すらないのですから。

つまりこの作品は、金田一耕助がいかにして事件を推理するかというのは、初めからあまり重要ではないんですね。

何故連続事件は起こってしまったのか、その犯行動機そのものが、何よりも重要な作品なんです。

獄門島』やミステリ作品の多くが、いかにして(How)犯行を行ったかが重要なのに対し、『悪魔が来りて笛を吹く』は、なぜ(Why)犯行が行われたかが重要な作品と言えます。

それだけに、物語として非常に面白い作品になっているんです。いやあ、かなり夢中になって読まされてしまいました。このどろどろ具合がたまらなくいいですね。

さてさて、物語の舞台となるのは、昭和22年の、没落しつつある貴族の邸宅。

椿英輔という代々公卿の子爵がいるのですが、終戦と同時に勤めていた宮内省が廃止されてしまいました。

公卿の血を引く貴族ですから、フルートを吹くなど、文化・芸術的には優れた資質があるものの、生活の術をほとんど持たない人物。

そこで、財政的に助けられていたこともあって、妻秌子の兄で道楽者の新宮子爵一家と、伯父の玉虫伯爵一家が同居することになってしまったのです。

元々は武家の血筋で、商魂たくましい玉虫伯爵から見ると、椿子爵は「笛ばかり吹いている無能者」(19ページ)に見えていたようです。

なので、それだけでも随分肩身の狭い思いをしていただろうと思われるのですが、椿子爵を更なる不幸が襲います。

世間を騒がせた宝石強奪事件、「天銀堂事件」の容疑者にされてしまったのです。

警察の追及に耐えられなくなったのか、娘に遺書のような書置きを残して失踪し、やがては山中の林の中で自殺したらしき遺体で発見されました。

しかし、それから、死んだはずの椿子爵に似た人物が、何度か目撃されるようになったのです。

椿子爵の娘、美禰子が金田一耕助の元へ相談にやって来ました。「あたしの父は、ほんとうに亡くなったのでございましょうか」(26ページ)と。

やがて、椿子爵の邸宅では、恐るべき連続殺人事件が起こり始めて・・・。

没落しつつある貴族の邸宅に暮らす人々の、それぞれに歪んだ人物像を描き出した名作ミステリです。愛憎渦巻くどろどろした感じが癖になる一冊。

作品のあらすじ


昭和22年、1月15日。銀座で有名な宝石店「天銀堂」に、東京衛生局を名乗る男がやって来ました。

近くで伝染病が発生したからと言って、予防薬を持ってきたのです。しかしその薬は、実は青酸カリでした。薬を飲んだ店員たち13人はもがき苦しみ、10人が命を落としました。

この残虐非道な犯罪を行った犯人は、店員たちが苦しんでいる間に、宝石を盗んでいったのです。

3月5日、椿英輔という子爵の失踪が新聞に載り、4月14日に信州霧ヶ峰の林の中で遺体で発見されました。椿子爵は、青酸カリを飲んで自殺したようです。

友人の割烹旅館の離れに居候している金田一耕助は、ぽつぽつとやって来る依頼をこなしながら、のんびりと暮らしています。

9月28日。そんな金田一耕助の所へ、等々力警部の紹介を受けて、椿美禰子という若い女性がやって来ました。椿子爵の娘です。

椿子爵は失踪する前に、こんな書き置きを残していました。

 美禰子よ。
 父を責めないでくれ。父はこれ以上の屈辱、不名誉に耐えていくことは出来ないのだ。
 由緒ある椿の家名も、これが暴露されると、泥沼のなかへ落ちてしまう。ああ、悪魔が来りて笛を吹く。父はとてもその日まで生きていることは出来ない。
 美禰子よ。父を許せ。(32ページ)


美禰子は、父親が「天銀堂事件」の容疑者として、警察から取り調べを受けていたことを金田一耕助に告白しました。

犯人のモンタージュ写真が、父親に生き写しだったというのです。

そして椿子爵には、犯行当日のアリバイもありませんでした。旅行に行くと言って出かけていたのですが、その旅行先には訪れておらず、本当はどこへ行っていたのか口を開かなかったのです。

書き置きは父親の自筆に間違いないこと、そして、美禰子は実際に死体を確認していますから、どうやら「天銀堂事件」の容疑者とされてしまったことを、気に病んでの自殺に間違いはなさそうです。

ところが、美禰子の母の秌子を含めた何人かの人間が、死んだはずの椿子爵の姿を目撃したんですね。椿子爵は、死んでいるのか? それとも本当は生きているのか? 

金田一耕助は早速、椿子爵の邸宅を訪れます。そこでは邸宅で暮らすみなが集まって、椿子爵の生死を占いで解き明かそうとしている所でした。

妖艶な未亡人秌子は、不安そうに金田一耕助に話し掛けます。

「先生はどうお思いでございますか。主人はほんとうに死んだのでございましょうか。いいえ、いいえ、そんなこと嘘でございますわね。主人はきっとどこかに生きているんですわ。げんにわたしは、このあいだ、主人に遭ったのでございますもの。ねえ、先生」
 秌子はそこで子供のように身ぶるいをすると、
「あたし、怖くて怖くてたまりませんのよ。主人はきっと、あたしたちに復讐する機会をねらっているのでございますわ」
 秌子の恐怖は決して見せかけや誇張ではなかった。彼女はほんとうにそれを信じ、怯えているらしかった。
 しかし、そういう話をする秌子の、全身から発散するものは、一種名状することの出来ない強烈な色気であった。それはとてもふつうの常識では判断することの出来ぬ、いやらしい、おぞましいものだった。(60ページ)


ここで行おうとしている占いは、簡単に言えば、コックリさんのような占いです。

「五人の男女の微妙な指の震動が、中心の円盤につたわって、そこにぶらさがっている錐を動かす」(74ページ)ので、砂の上に模様が浮かび上がるという仕組みです。

やがて、電力不足のためにあらかじめ予定されていた、地区の停電が起こりました。そもそも占いは、この停電にあわせて行おうとしていたのです。

停電が終わると、砂の上には、雅楽に使用される火焔太鼓のような模様が浮かび上がっていました。

金田一耕助が不思議に思ったのは、みながこの模様を見て、異様な驚き方をしたこと。一体この模様に、どんな意味があるというのでしょう?

その時、どこからともなくフルートの音色が聴こえて来ました。

「しいんと静まりかえった家のなかに、嫋々として流れるそのメロディーには、なにかしら一種異様に戦慄的なところがあった」(78ページ)のです。

誰もが一瞬、椿子爵が吹いているのではないかと思いましたが、それは電気蓄音器によるレコードの音でした。

椿子爵が作曲し、音を吹き込んだ曲「悪魔が来りて笛を吹く」を、誰かが停電を見越して仕掛けていたようです。

金田一耕助は美禰子から、父親が愛用していた黄金のフルートが父親の失踪と同時になくなっていること、不気味な曲を母親が嫌い、家にあったレコードはすべて壊してしまっていたはずだということを聞きました。

そして、美禰子はあの、火焔太鼓のような模様を、前にも見たことがあるというんですね。

椿子爵の亡骸の、洋服のポケットに入っていた日記に、その模様が描かれ、その上に、「悪魔の紋章という文字」(89ページ)が書かれていたというのです。

その日の夜、美禰子からの電話で、金田一耕助はついに殺人事件が起こったことを知りました。占いに使った部屋で、仏像で撲殺された玉虫伯爵の死体が見つかったのです。

発見された時、部屋は密室状態であり、そして、円卓の上には血で描かれた「悪魔の紋章」がありました。

謎の模様「悪魔の紋章」は、一体何を意味するのか?

金田一耕助は、「天銀堂事件」当日の椿子爵の足取りを追って、須磨、明石へ向かいますが、やがて第二、第三と殺人は続いていき・・・。

はたして、恐るべき連続殺人事件の犯人は一体!?

とまあそんなお話です。没落しつつある貴族の姿を、邸宅内で起こった連続殺人事件を通して描いた物語。

ストーリー的に面白く、ぐいぐい引き込まれる作品なので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

明日は、ハワード・パイル『ロビン・フッドのゆかいな冒険』を紹介する予定です。