金庸『射雕英雄伝』 | 文学どうでしょう

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射雕英雄伝―金庸武侠小説集 (1) (徳間文庫)/徳間書店

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金庸(金海南訳)『射雕英雄伝』(全5巻、徳間文庫)を読みました。Amazonのリンクは1巻だけを貼っておきます。

この作品は、『射鵰英雄伝』『神雕剣侠』『倚天屠龍記』の3作からなる金庸の代表作「射雕三部作」の最初の作品になります。

『射雕英雄伝』は武侠小説作家、金庸の作品の中でも、とりわけ印象に残る作品です。

弱い主人公が修業を経てどんどん強くなっていく王道パターンのストーリーが面白いのは勿論、とにかくキャラクターに魅力がある小説なんです。

物語の主人公は、郭靖(かくせい)という青年。容姿は冴えないですし、物覚えが悪く、頭の回転もあまりよくありません。

すぐに返答しないといけない場面でも、ぼーっとしてしまうことがあります。

そんな愚鈍とも見える郭靖ですが、単調な修業にも粘り強く耐え、何よりも嘘をつかず、信義に厚いんですね。とてもまっすぐな人柄です。

そんな郭靖が友情を育むのが、黄蓉(こうよう)という乞食の少年。黄蓉がどんなわがままを言っても、言うことを聞いてくれる郭靖。

愛情に飢えていた黄蓉は、郭靖のことを心から慕うようになります。

そしてこれがこの小説の面白いところですが、黄蓉は実は少年ではなく、美少女が変身した姿だったんです。

しかも乞食は仮の姿で、黄薬師という武術の達人の娘でした。父娘は桃花島という島に住んでいるんですが、お父さんと喧嘩して島を飛び出したんです。

東邪の異名を取るほど、残酷なことも平気で行う黄薬師の娘ですから、黄蓉は人を罠にはめたりなど、平気で卑怯なこともしますし、頭の回転が早いものの、ちょっとずる賢い感じです。

頭はあまりよくないけれど、とにかく信義に厚い郭靖と、才気煥発だけれど、正しいことをしようという気のあまりない黄蓉とが、お互いに足りないものを補い合いながら、様々な困難に立ち向かっていく物語。

このカップルがとにかくいいんですよ。郭靖一人ではうまく世の中を渡っていけませんし、また、黄蓉一人でも今いち信頼されない部分があります。本当にいいパートナーなんです。

お互いに純真な愛を深めていく郭靖と黄蓉ですが、郭靖の師匠と黄蓉の父が揉めたり、実は郭靖には許嫁がいたりなど、なかなかうまく結ばれることが出来ず・・・。

物語の舞台となるのは、南宋の中頃です。女真族が作った金という国が北宋を滅ぼして勢力を拡大しつつあり、モンゴルの方からは、ジンギスカーンが虎視眈々と天下を狙っている、そういう時代。

南宋の伝説的な武将、岳飛がひそかに残した兵法書を見つけ、南宋をもう一度何とか盛り立てていこうというのが、物語の基本的な流れになります。

一方、武林(武術家たちの世界)では、奪われた武術の奥義書「九陰真経」をめぐって、様々な陰謀や争いがくり広げられています。

かつて20年ほど前に開かれた、武林第一を決める華山論剣で東邪、西毒、南帝、北乞、中神通の中から武林第一に選ばれたのは、中神通こと王重陽でした。

全真教(道教の一派)の教祖であり、武術は勿論、人柄にもすぐれた王重陽が、「九陰真経」を預かることになったんですね。

しかし、王重陽の死をきっかけにして、「九陰真経」は失われてしまうことになります。

上巻は内功について、下巻は技について書かれているのですが、下巻だけを手に入れた黒風双殺の異名を取る夫婦は、間違った修業の末に「九陰白骨爪(きゅういんはっこつそう)」を習得し、悪の限りを尽くすようになっていて・・・。

岳飛の兵法書をめぐる、南宋と金の人々の戦い、そして武林での「九陰真経」をめぐる様々な争いに、郭靖と黄蓉が巻き込まれていくという物語です。

まあ、そうした歴史的な背景などはあまり分からなくても大丈夫です。とにかく次から次へと郭靖と黄蓉がピンチに陥るので、息つく間もないほど、はらはらどきどきの展開が続きます。

郭靖は初めはそれほど強くありませんが、やがて乞食党の党主で、北乞こと洪七公に「降龍十八掌」を習い、めきめきと強くなっていきます。

華山論剣に参加した武術の大家で、どちらかと言えば悪に近いのが、東邪と西毒です。

東邪こと黄薬師は黄蓉のお父さんなのでともかく、最も怖ろしい敵が、西毒こと欧陽鋒になります。

武術に優れているのは勿論、西毒という異名の通り、毒を使うんですね。信義にもとる卑怯なことでも平気でするような狡猾な人物で、何としてでも「九陰真経」を手に入れようとします。

様々な強敵と戦いをくり広げながら、武術の腕をあげていく郭靖と、そんな郭靖を見守り、助け続ける黄蓉。そんな2人の愛と戦いを描いた武侠小説の傑作です。

全5巻と少し長いですが、一度読み始めると、もう止まらなくなってしまうはずですよ。

作品のあらすじ


物語が本格的に動き出すのは、郭靖が登場してからなので、第1巻の160ページほどまでは、いわゆるプロローグ的な感じです。

梁山泊の郭盛の子孫、郭嘯天には楊鉄心という義兄弟がいます。自分たちの国である宋が、女真族の国である金に追いやられていることに憤りを感じている二人。

二人とも妻が身ごもっていて、男の子と女の子だったら結婚させ、両方とも男の子だったら、自分たちと同じように義兄弟にさせようと約束を交わし、子供が生まれてくるのを楽しみにしています。

ところが、郭嘯天と楊鉄心は争いに巻き込まれてしまうんですね。必死で抵抗するものの、多勢に無勢なこともあり、二人とも亡くなってしまいました。

その争いのきっかけを作ってしまった全真教の丘処機は、せめて二人の奥さんだけでも助けようとするのですが、捜索の途中で、「江南七怪」の異名を持つ七人の武芸の達人と揉めてしまいます。

そこで、お互いに行方知れずとなった郭嘯天と楊鉄心の妻を捜し出し、その遺児たちに武芸を教えることにしました。

そして弟子同士を戦わせて、争いの決着をつけようというのです。

「十八年後、十八歳になった二人の子を連れて、ふたたび酔仙楼に会し、英雄好漢たちを招いて酒宴を催した後、二人の子供に勝負をさせる。貧道の弟子が勝つか、そちらの弟子が勝つか」(第1巻、128ページ)


「江南七怪」は郭嘯天の遺児を、丘処機は楊鉄心の遺児をそれぞれ探すこととなり・・・。

何年もの間、郭嘯天の遺児を探し続けていた「江南七怪」の面々は、蒙古の砂漠でついに郭嘯天の遺児、郭靖を見つけ出しました。

郭靖は蒙古の子供たちと一緒に育っていたのです。「江南七怪」は郭靖を見つけて大喜びしますが、同時に期待はしぼんでいきます。

郭靖は何を言ってもぼんやりしていて、どう見ても賢そうな子供ではなかったから。

「よいか、武術を習って父さんの仇を討ちたかったら、今晩あの山のてっぺんに一人で来い、必ず一人だぞ。このことはこの友だち以外にはだれにも言ってはいけない。わかったな、こわくないな」(第1巻、180ページ)と「江南七怪」は言いますが、相変わらず何も答えず、ぼんやりしている郭靖。

それでも郭靖は、七人の師匠について修行を続けていきます。聡明さはないですが、忍耐力だけは人一倍ある努力家なので、目覚しい進歩はないものの、着実に腕をあげていきます。

他にも謎めいた男から呼吸法を学び、自分でもそうとは知らぬ間に、素晴らしい内功(肉体の力である外功に対して、気のめぐらせ方などの力のこと)を身につけました。

ジンギス・カーンの元で手柄を立てた郭靖は、ジンギス・カーンの娘で、幼馴染のコジンを奥さんに貰えることになります。

相手に勝ちを譲ってしまいそうなので、まだ郭靖には内緒にしているのですが、「江南六怪」(戦いで一人亡くなりました)は十八年前の丘処機との約束通り、戦いの場まで郭靖を連れて行かなければなりません。

そこで、郭靖には父親の仇を討つためと言い含め、「江南六怪」と郭靖は蒙古を離れ、中国の本土へ向かったのでした。

旅の途中で揉め事があり、郭靖は一時師匠たちと別れ、自分だけ先に目的地へ向かうこととなります。その旅の途中で、郭靖は乞食の少年と出会いました。

どうやら饅頭を盗んで、お店の人と揉めているようです。郭靖は、「入ってこいよ、いっしょに食おう」(第1巻、313ページ)と少年にご飯をご馳走してやります。

話を聞くと、黄蓉というその少年は、お父さんと喧嘩して家を飛び出したようです。

「そうか、でもおまえの父さんも今ごろは心配してるだろう、母さんは?」
「とっくに死んだ、おいら一人ぼっちなんだ」
「そうか、でも遊びあきたら、家に帰れよ」
「でも父さんが要らないって……」
 黄蓉はとうとう泣き出した。
「そんなはずはないさ」
「じゃあなんで捜しに来ない?」
「きっと捜してるんだよ、でも見つからないんだ」
 郭靖は苦しまぎれにそう言うと、黄蓉は涙を拭いて笑顔を見せた。(第1巻、321ページ)


黄蓉はご飯を奢ってくれるし、服もくれる気前のいい郭靖が、困るところを見てやろうと思い、滅多にいない名馬である郭靖の馬を、欲しがってみました。

何と言って断るかを楽しみにしていると、郭靖はすぐに「そうか、じゃあおまえにやろう」(第1巻、322ページ)と言ったのです。

辛い目にばかりあって来た黄蓉はその言葉を聞いて、感極まって泣き出してしまいました。

黄蓉は後に、窮地に陥った郭靖を救い、その時に乞食の姿は、美少女が変装した姿だったことが分かります。そして、郭靖と黄蓉はいつしか惹かれ合うようになりました。

郭靖はやがて、父親の義兄弟である楊鉄心の息子、楊康と出会うこととなりますが、その息子はなんと、金の国の王子、完顔康として育っていたのです。

金の完顔江烈はかつて、半ば騙すような形で、楊鉄心の妻を自分の国に連れ帰り、自分の妻にしていたんですね。そして、生まれた子供は自分の息子として育てました。

自分の出自を知らず、贅沢な暮らしに慣れている完顔康の性格は、やや歪んでいます。

正統派である丘処機の教えを受けているはずですが、その技にはどこか邪悪なものが見え隠れしたりも。

完顔康の義父、完顔江烈は金をますます発展させるため、武芸者を集め、南宋の武将岳飛が残した兵法書の行方を追っています。

その争いに巻き込まれてしまった郭靖と黄蓉ですが、やがて黄蓉の父親が武芸の達人ながら「人を殺してもなんとも思わぬ大悪党」(第2巻、141ページ)の黄薬師だと知れると、郭靖は黄蓉との付き合いを師匠たちから猛反対されてしまいます。

「阿蓉は、とてもやさしく、よくしてくれます……、そのお父さんもそんなに悪い人ではないと思います」(第2巻、142ページ)と郭靖は言い、黄蓉はそんな郭靖を連れ出して、二人は旅に出てしまったのでした。

旅の途中で、郭靖と黄蓉は、みすぼらしい格好をした乞食と出会います。

その乞食が実は北乞こと洪七公という武芸の達人だと気付いた黄蓉は、自分の作った素晴らしい料理と、巧みなおだてで持ち上げ、郭靖に洪七公の「降龍十八掌」を伝授してもらえるように仕向けました。

洪七公は黄蓉の作る珍しい料理が食べたいが故に、一手、また一手と郭靖に技を教えていってしまうのです。

やがて、ともに腕を上げた郭靖と黄蓉は、失われた幻の奥義書「九陰真経」をめぐる武林の争いに巻き込まれていくこととなり・・・。

はたして、「九陰真経」を手にするのは一体誰なのか? そして、郭靖と黄蓉の恋の行方はいかに!?

とまあそんなお話です。完顔康は後に自分の出自について知り、楊康と名乗るようになります。

しかし、どうしても王子の身分を捨てきれないんですね。なので、南宋と金との間で揺れることとなります。

また、郭靖はいずれジンギス・カーンの婿になる身ですから、色々と複雑な問題があります。約束と自分の気持ちとの間で揺れたりもするのです。

なにしろ5巻もある武侠小説なので、さわりだけしか紹介出来ませんでしたが、とにかく面白い小説なので、ぜひ読んでみてください。南宋と金、蒙古との戦いを背景にした、「九陰真経」をめぐる物語です。

明日は、舞城王太郎『ジョージ・ジョースター』を紹介する予定です。