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伊坂幸太郎『マリアビートル』(角川書店)を読みました。
今回紹介する『マリアビートル』は、「自殺屋」や「押し屋」など、一風変わった殺し屋たちを描いた『グラスホッパー』の続編的な作品です。
「続編」という語をどう定義するかにもよりますけれど、『グラスホッパー』と『マリアビートル』は、出て来る登場人物も違いますし、それぞれが独立した話なので、同じキャラクターと設定がそのまま受け継がれる続編とは少し違います。
むしろ同じ世界観を持つ姉妹編といった感じですが、『マリアビートル』は『グラスホッパー』で描かれていた事件が、かなりストーリーに関わって来ます。
登場人物の会話で、『グラスホッパー』で起こった事件が語られたりしますし、なによりも『グラスホッパー』の登場人物がサブキャラ的に登場しますので、やはり『グラスホッパー』を読んでから、『マリアビートル』を読んだ方がより楽しめるので、おすすめです。
前作に引き続き、『マリアビートル』もまた一風変わった「殺し屋」たちが登場します。厳密に言うと、「殺し屋」というよりは「物騒な何でも屋さん」ですね。殺しだけではなく、物騒な裏の仕事を何でも請け負うプロフェッショナルです。
言い争いばかりしている、蜜柑と檸檬という2人組や、不幸の星の下に生まれて来たような、なにをやってもうまくいかない七尾など、独特の個性を放つキャラクターたちが、なにより魅力の作品です。
『マリアビートル』の特色について、2点触れておきたいと思います。
まず第一に、ほとんどすべてが新幹線の中だけで物語が進行すること。前作と同じように、複数の視点で物語は描かれていきますが、たまたまなのか、同じ新幹線に何人かの「物騒な何でも屋さん」が乗り合わせてしまいます。
新幹線の中という限定された空間の中で、1つのトランクをめぐって物語は展開していきます。
それぞれの登場人物の視点から見ると、トランクが消えたり、見つかったりするんですが、登場人物の「物騒な何でも屋さん」は、何故そんなことが起こるのか分からず、それぞれのキャラクターの思惑のずれや、複数の視点から見ることのできる読者だけがすべてを知っているという所に、この作品の面白味があります。
第二に、「悪意」を持つキャラクターが登場していること。王子慧という、外から見るとただの純粋な中学生が「悪意」の塊のような子供なんです。かわいらしい外見と、おぞましい中身とのギャップに、思わずぞっとさせられます。
人を殺すというのは、どう考えても悪いことなわけですが、「殺し屋」というのは本来、「悪意」とはかえって無縁なものなんです。
恨みや憎しみなど、感情的なもので殺すのではなく、依頼されたから殺すわけですから、ある意味においては、それは「善意」でも「悪意」でもない、機械的な作業に他なりません。
凄腕の「物騒な何でも屋さん」が新幹線の中で戦いを繰り広げる中、それをほくそ笑みながら見ている王子の「悪意」がとりわけ印象に残る小説です。
作品のあらすじ
物語はいくつかの視点の章に分かれています。ハンコのようなマークで区切られているんですが、「木村」「果物」「天道虫」「王子」など、いくつか視点の章がばらばらに描かれていき、やがてお互いに関わり合うようになっていきます。
話の流れとしては主に3つあります。(1)木村の復讐あるいは王子の逆襲(「木村」「王子」)、(2)蜜柑と檸檬のミッション(「果物」)、(3)七尾のミッション(「天道虫」)です。
(1)木村の復讐あるいは王子の逆襲
木村雄一は、東京駅から新幹線に乗り込みます。ひそかに隠し持った拳銃と、強い復讐心を抱えながら。木村の6歳になる子供が、ビルの屋上から突き落とされて、一命はとりとめたものの、意識がまったく戻らなくなってしまったんですね。息子を突き落とした犯人が、その新幹線に乗ることを突き止めた木村は、犯人を殺すためにやって来ました。ようやく見つけた、憎むべき犯人に近づいて行くと、木村の目の前で火花が散ります。犯人にスタンガンで攻撃されてしまったんです。
気がつくと、木村は手首足首を縛られて犯人の隣に座らせられていました。犯人はこう言います。
「おじさん、本当に馬鹿だね。こんなに予定通りに行動してくれるなんて、驚きだよ。パソコンのプログラムだって、ここまで思い通りには動かないのに。ここに来るのだって知っていたし、おじさんが昔、物騒な仕事をしていたのも知っていたし」とすぐ左側に座る少年が淡々と言った。二重瞼に鼻筋の通った顔立ちは女性的に見える。(7ページ)
そう、犯人はまだ少年なんです。王子慧という中学生です。かつて「物騒な仕事をしていた」ものの、現在はアル中の木村は、呆気なく王子に捕まってしまいました。王子はその純粋なまでの「悪意」で人間を操り、その人間が苦しむのを見るのを喜びとしています。
「人を殺してはどうしていけないの」(41ページ)と無垢な様子で、周りの大人に問いかける王子。はたして、王子が木村を捕まえた狙いとは・・・。
(2)蜜柑と檸檬のミッション
闇の権力者である峰岸良夫の息子が誘拐されてしまったのを、依頼を受けて助け出したのが蜜柑と檸檬です。峰岸の息子と身代金の入ったトランクを新幹線で無事に目的地まで運べば、今回の仕事は無事に終了です。まるで双子のように似ている蜜柑と檸檬ですが、蜜柑は文学が好きで本をよく読み、一方の檸檬は『機関車トーマス』に人生のすべてが詰まっていると思っているかのように、いつも『機関車トーマス』について語ります。こんな風に。
「おまえが口にする機関車の名前のほうがよほど覚えにくい。おまえも、俺が薦める小説を一冊くらい読んでみろ」
「子供の頃から本なんてまともに読んだことねえんだ。一冊読み終えるのに、どれだけ時間がかかると思ってんだよ。おまえこそ、俺の教えるトーマス君の仲間をな、まったく覚えようとしないじゃねえか。パーシーすら判別がつかねえんだ」
「パーシーは何だったか」
檸檬は、咳払いの後、「パーシーは『みどりいろのちいさなきかんしゃです。やんちゃでいたずらがだいすきですが、とてもいっしょうけんめいにしごとをします。よく、なかまにいたずらをしますが、ぎゃくにうそをおしえられて、だまされてしまうこともあります』」と述べた。
「いつも思うが、どうしてそれを暗記できているんだ」(50ページ)
このやり取りは、蜜柑と檸檬でよくくり返されるやり取りではあるんですが、前フリのような感じにもなっていて、物語の後半でこのやり取りに関連して、ぐっと来る場面があったりもします。
すべてが順調にいっていた蜜柑と檸檬ですが、いつの間にか身代金の入ったトランクが荷物棚から消えてしまいました。慌ててトランクを探していると、さらにまずいことが起こります。せっかく救い出した峰岸の息子が、いつの間にか殺されてしまっていて・・・。
(3)七尾のミッション
仲介役の真莉亜から、「誰かの旅行荷物を奪って、降りる。それだけ」(22ページ)の単純で簡単な仕事だと言われて、七尾は新幹線に乗り込みます。指示通り動き、トランクを見つけた七尾は、上野駅で降りようとします。ところが、何をやってもなんだかうまくいかないのが七尾の人生です。不運にも以前揉めて七尾に恨みを抱いている、同じ業界の狼と出会ってしまいました。「偶然に感謝だな。おまえにここで会えるとはねえ」(32ページ)と嬉しそうに言う狼。
思わぬトラブルに見舞われた七尾は、トランクをある場所に隠します。そして、しばらくしてそのトランクを取り出しに行くと、いつの間にかトランクはなくなってしまっていて・・・。
とまあ、この3つの話が、同じ新幹線の中で、同時に少しずつ進行していきます。トランクの行方を読者は分かっているわけですが、登場人物たちは一体なにが起こっているのか分からず、右往左往します。
新幹線の中には、他にもあやしげな人間が乗り込んでいて、話はどんどん思いも寄らぬ方向へと転がっていきます。新幹線という「限定された空間」の中で、消えたトランクの行方といくつかの死体の犯人を追いかけていく物語です。
それぞれのキャラクターが個性的で面白い小説です。蜜柑と檸檬のやり取りも楽しいですが、特に七尾が光ります。普段は単なるどじでまぬけなやつなんですが、窮地に陥ると変貌するような所があって、それがなんだかかっこいいです。
『グラスホッパー』よりも、それぞれの視点人物同士の関わりも強いですし、なにより「限定された空間」で同じものを探すという所に面白さがある作品です。興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。
おすすめの関連作品
リンクとして、映画を3本紹介します。
ばらばらの話が1つにまとまっていくこと、しかもそれがなにか1つのものを取り合い、登場人物たちがそうとは知らぬ間にお互いに影響を与え合うという点で、ガイ・リッチー監督の『ロック、ストック&トゥースモーキング・バレルズ』や『スナッチ』がすぐに思い浮かびますが、それではあまりに無難すぎるので、ちょっと違ったものを。
『マリアビートル』の特色として、新幹線という「限定された空間」ということがあります。この「限定された空間」という点に、ちょっと着目してみたいと思います。
映画というよりも舞台に近い感じのものになりますが、密室劇というか、限定された人物や空間で進行していく映画があります。そうした「限定された空間」においては、劇的なストーリー展開が描けないだけに、脚本が非常によく練られていて、思わず唸らされるほどの面白さを持つものが多いんですね。
では、まずは1本目。古典的名作としては、シドニー・ルメット監督の『十二人の怒れる男』がやはり印象に残ります。
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ある事件の陪審員が集まって、協議をするという、それだけの映画ですが、結論が二転三転していく面白さがあります。「限定された空間」をこれほどいかしきった映画はあまりないだろうと思います。
続きまして、2本目です。限定されたシチュエーションで物語を書かせたら右に出るものがいないのが、三谷幸喜でしょう。ぼくは最近の大掛かりな映画よりも、『ラヂオの時間』など、もうほんとに限定されたシチュエーションのものが好きですね。
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『ラヂオの時間』は、ラジオドラマを作るだけの物語ですが、次から次に思わぬ出来事が起こります。ちょっといい人も、ちょっと悪い人も、最後にはすべての登場人物がなんだかかっこよく見えてしまうという、日本映画屈指の傑作だと思います。おすすめです。
最後に3本目。これが今回最もおすすめしたい映画です。『キサラギ』です。
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『キサラギ』というのは、自殺してしまった売れないアイドルの一周忌に、ファンが5人、1つの部屋に集まるんですね。みんなでその売れないアイドルを懐かしもうとするわけです。ところが、アイドルとそれぞれの人物についての意外な関係性が浮上していって・・・というお話です。
1つの部屋という「限定された空間」で、次から次へと意外なことが起こる『キサラギ』は、舞台っぽい窮屈さはたしかにあるんですが、抜群の面白さがあります。機会があれば、ぜひ観てみてください。
明日は、エリック・マコーマック『パラダイス・モーテル』を紹介する予定です。