伊坂幸太郎『グラスホッパー』 | 文学どうでしょう

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グラスホッパー (角川文庫)/角川書店

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伊坂幸太郎『グラスホッパー』(角川文庫)を読みました。

みなさんは「殺し屋」と聞くと、どんなものを想像しますか? 人によって思い浮かべる像にぶれはあるにせよ、おそらく「プロフェッショナル」という点で、共通するものがあるのではないかと思います。

ぼくが真っ先に思い浮かべるのは、やはりビルの上からターゲットを狙うスナイパーですね。さいとう・たかをの『ゴルゴ13』のような感じです。つまり、特殊な訓練を積み、武術や武器の扱いに精通した人間です。

「殺し」というのは、極めて特殊な仕事ですから、依頼人と殺し屋を繋ぐしっかりとしたパイプがなければなりません。直接やり取りをするには、お互いに危険すぎるからです。

いい加減な依頼人ではないか見極める力を持ち、仕事をしっかりこなさない殺し屋に制裁を加えることのできる仲介業が必要不可欠なんです。

その仲介の役を果たすパイプ自体が、強い力を持つ巨大な組織として描かれることもよくあります。そうすると、『007』などのスパイものに近い物語構造になり、主か従かで言えば、パイプである組織の方が主、殺し屋が従になり、殺し屋が単なる駒のように描かれたりもします。

殺しのターゲットがどこかの国の大統領など、殺しにくい相手であればあるほど、そして、パイプとして描かれる組織が大きくなればなるほど、物語は国際的なスケールを持ってきますから、ぼくたちが生きる現実の世界とは異なる、全く違う次元の話になってしまいがちです。それはそれで面白いんですけれど。

今回紹介する『グラスホッパー』には、何人かの殺し屋が登場します。出てくる殺し屋はたしかにプロフェッショナルではあるんですが、みなさんの想像する殺し屋のイメージとは全く違うものだろうと思います。

殺し屋のターゲットが有力者で、どんな手段を使ってでも、とにかく殺せばいいというのであれば、話はまた別かもしれませんが、現実的に考えれば、殺しは殺しとばれない方がいいに決まってますよね。

自然死や自殺、あるいは交通事故など、日常生活に起こりうる死に方をすれば、誰も疑いませんし、依頼人も安心して殺しを依頼することができます。邪魔な存在を、極めて自然に近い方法で排除することができるわけですから。

『グラスホッパー』に出てくる殺し屋というのは、相手を精神的に追い込んで自殺させる「自殺屋」だったり、交差点や駅のホームで、ターゲットの背中を押して事故に見せかけて殺す「押し屋」だったりするんです。

自殺をさせる殺し屋、背中を押して交通事故に見せかける殺し屋なんて、面白がるのも変な話ですけど、なんだか面白いですよね。

スナイパーなど、ぼくらの想像するプロフェッショナルな殺し屋とは全くイメージが異なるだけに、よりぼくらの日常に近い所にあるというか、もしかしたら本当にそんな殺し屋が世の中には存在しているんじゃないかと思わされます。

作品のあらすじ


物語は3つの視点の章に分かれています。ハンコのようなマークで区切られているんですが、「鈴木」「鯨」「蝉」という3つの視点が、ばらばらに描かれていき、やがてお互いに関わり合うようになっていきます。

「鈴木」

20代後半の鈴木は、フロイライン(ドイツ語で《令嬢》)という会社で、契約社員として働いています。フロイラインは、街中で女性に声をかけて、商品を無理やり売りつけたりしている会社です。

その時点でちょっと危ない会社ですが、裏では薬物の売買など、もっと悪どいことをやっているようです。鈴木は元々教師をしていた真面目な人間ですが、女性に声をかけるという慣れない仕事を一生懸命こなしています。

しかし、上司である女性に「だいたい、中学生に数学を教えていた教師がさ、うちみたいな会社にわざわざ入って、でもって、若者を騙す仕事をやるなんて、ありえる?」(12ページ)と疑われてしまいます。

実は鈴木は復讐のためにフロイラインに入ったんです。鈴木の妻は交通事故で亡くなってしまったんですが、車で轢いたのが、フロイラインの社長寺原の息子、寺原長男だったんです。現場にはブレーキをかけた形跡はありませんでした。寺原長男は何でもやりたい放題のひどい男なんです。

鈴木が復讐者なのかどうなのか、捕まえている人間を指示通り殺せるかどうかで試されることになり、人殺しの現場が見たいという寺原長男がそこへやって来ることになっていました。スクランブル交差点の向こう側に、憎むべき寺原長男の姿があります。

すると、寺原長男はふらっと車道に飛び出して、黒のミニワゴンに跳ねられてしまったんです。現場から立ち去って行く怪しい人影がありました。ハイヒールを履いていて走れない女性上司の代わりに、鈴木は「押し屋」らしき男のあとを追いかけていって・・・。

「鯨」

身長190センチ、体重90キロの巨漢で、鯨という通り名の殺し屋は、「自殺屋」といって、ターゲットを自殺をさせるのが専門の殺し屋です。殺してから自殺に偽装するのではなく、相手を精神的に追い込んで、自殺をさせるんですね。

鯨はある政治家から仕事の依頼を受けて、その秘書を自殺させようとしています。鯨はこの仕事を15年やっていて、殺した人数は32人。しかし最近、殺した人間が幻影として現れて苦しめられるようになりました。

鯨は、その幻影を振り払うために、片っ端からすべてのことを精算しようと思い立ち・・・。

「蝉」

蝉は茶髪の若者です。仲介役の岩西と組み、殺し屋をしています。ナイフを使って一家をまるごと殺害しても、なんの良心も痛まない蝉。

「自殺屋」や「押し屋」と比べると、普通の殺し屋に近いですが、手口が荒っぽいというか、プロフェッショナルさに欠ける部分があります。

上司の岩西はいつも、ジャック・クリスピンというロックミュージシャンの言葉を引用します。「ジャック・クリスピンはな、音楽活動をやめる時に、雑誌の記者に、『引退したら、何をやりたいか』って質問されたんだ。で、何て、答えたか知ってるか?」(207ページ)と蝉に尋ねます。

「ピザを食いたい」
「は?」
「彼はそう答えたんだよ。引退したら、ピザを食いたいってな」岩西は笑いながらも、泣いているかのようで、蝉は少したじろいだ。
「引退しなくても食えるじゃねえか」
「だろ」岩西が噴き出した。「面白えだろ、さすがだろ」(207ページ)


この場面は単なる下らないやり取りではなく、実はとても印象深い場面なんですが、それはまあともかく、架空のロックミュージシャンのジャック・クリスピンのイニシャルは、おそらくJCで、宗教的なある人物を彷彿とさせます。そこに皮肉めいたおかしみがありますね。

岩西の指図のまま動く蝉は、自分を操り人形のようだと思うようになります。解き放たれて自由になりたいと考えるようになる蝉ですが、仕事上であるミスをしてしまい・・・。

本当にいるのか分からない「押し屋」を探して右往左往する人々を描き、それはやがて、ばらばらに行動している殺し屋同士の遭遇に繋がっていきます。

そして、復讐心を抱えていたものの、今はもうどうしていいか分からない鈴木は、思いも寄らぬ展開にどんどん巻き込まれていきます。はたして、鈴木が最後にたどり着いた心境とは!?

とまあそんなお話です。裏社会の人々の中、鈴木だけが一般人なんですね。この鈴木の持つ普通すぎる感覚というのは、ぼくら読者の目線とわりと重なっていて、殺し屋だらけの奇妙な世界のバランスをうまくとっています。

『グラスホッパー』はどうやら好みの分かれる作品のようですが、ぼくは結構好きですね。この小説の面白さというのは、ストーリーの盛り上がりや作品から受ける感動にあるのではなくて、無駄な設定にあると思うんですよ。

たとえば鯨の前に現れる自殺した人々の幻影とか、岩西のジャック・クリスピンの話とか、回想で描かれる鈴木の妻のユーモラスな発言とか、物語の本質とはあまり関係のない、そういったやり取りが、個人的にはすごく面白く感じる部分です。

殺し屋の小説とは言っても、どこか一風変わった殺し屋たちの小説ですから、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

明日は、伊坂幸太郎『マリアビートル』を紹介する予定です。『グラスホッパー』の続編的作品というか、姉妹編みたいな小説です。