後藤明生『挟み撃ち』 | 文学どうでしょう

文学どうでしょう

立宮翔太の読書ブログです。
日々読んだ本を紹介しています。

挾み撃ち (講談社文芸文庫)/後藤 明生

¥1,029
Amazon.co.jp

後藤明生『挟み撃ち』(講談社文芸文庫)を読みました。

後藤明生は日本文学史の流れから言うと、1970年前後に現れた「内向の世代」の作家として位置づけられています。

「内向の世代」という言葉は、初めは否定的な意味合いを持って使われていました。つまり、社会全体の思想を描かず、〈自分〉という殻に閉じこもった、内向的で閉塞的な作家たちだと言われたんですね。

今では否定的な意味合いではなく、一つの特徴的な呼び名として定着しているように思いますが、実を言うと、ぼくは「内向の世代」の小説をほとんど読んでいないんです。

おそらく「内向の世代」で一番読まれているのは古井由吉で、さすがに古井由吉はぼくも何作品か読んでますが、それ以外の作家というのは、ほとんど読んだことがありません。今回、後藤明生も初めて読みました。

なにも読んだことがないというのを声を大にして言う必要もないんですが、もしかしたら、これはぼくだけに限らないのではないかと思うんです。

1980年を境に、日本文学には大きな断絶があるような気がするんですね。1980年前後に村上龍、村上春樹が登場し、1980年代の後半には山田詠美、よしもとばななが登場します。

ここで日本文学の流れは大きく変わるんです。より大きな読者層を持つようになり、それが純文学のポップ化/サブカルチャー化とも言われたりするわけですが、その少し前の「内向の世代」や性や暴力などを描き、特異な作風を持つ中上健次とは断絶があります。

文学の内容としての断絶もある程度指摘できそうですが、ここでの断絶の意味は、読者がいるかいないかという風にとらえてください。村上龍、村上春樹は読まれているけれど、では今なお「内向の世代」や中上健次は読まれているのか? ということです。

日本文学好きの人は、夏目漱石や森鷗外など明治の作家を読んでいって、川端康成や三島由紀夫まできて、もしかしたら遠藤周作など1950年前後の「第三の新人」辺りまでは読んでいくかも知れませんが、その後はぴょんと1980年以降に飛ぶのではないかと思うんですけど、どうでしょうか。

その理由は明確で、「内向の世代」の小説は物理的に本が手に入りづらいんですね。今回紹介する『挟み撃ち』のように、講談社文芸文庫に入ってたりもしますが、数少ない作品しか文庫で読むことはできません。

つまり「内向の世代」は、その当時はまだ新しかったからか、日本文学全集にはあまり収録されておらず、それにも関わらず入手可能な文庫本がほとんど出回っていないという状態なんです。

言わば、日本文学史のエアポケットに入ってしまっているのが「内向の世代」です。それに加えて、通俗小説というか、文学よりももう少しエンタメ度が高い小説が同時代に隣にあったわけで、今ではすっかり霞んでしまっている感じです。

長々とちょっと想定外のことを書いてきてしまったんですが、日本文学の断絶についてはどこかで触れておきたかったので、まあよしとしましょう。

要するにぼくが言いたいのは、そんな霞んでしまっている「内向の世代」をもう一度しっかり読んでみませんか? ということです。ぼくも日本文学史の中で一番弱い所なので、これから少しずつ読んでいきたいと思っています。

では、後藤明生の『挟み撃ち』の内容に入っていきますね。

前置きが長くなっていて申し訳ないんですが、あながち無駄ではなくて、読者を多く獲得している小説かどうかというのは、『挟み撃ち』を読む上で重要なことになります。

1980年代以降の小説に慣れている人は、『挟み撃ち』にはやや異質な感じを持つだろうと思うんですね。

『挟み撃ち』はかなり高く評価されることの多い小説なんですが、その賞賛の多くは物語としての面白さではなく、この小説の非物語性に向けられています。

『挟み撃ち』は、いつかどこかで失くしてしまった外套を探して、昔住んでいた所などを、ぐるぐるめぐるという、そういう小説です。

ストーリーとしての面白さというのはほとんどないんですが、回想と〈わたし〉の思考がやや独特の文体で綴られていき、そこに魅力のある作品です。

作品のあらすじ


こんな書き出しで始まります。

 ある日のことである。わたしはとつぜん一羽の鳥を思い出した。しかし、鳥とはいっても早起き鳥のことだ。ジ・アーリィ・バード・キャッチズ・ア・ウォーム。早起き鳥は虫をつかまえる。早起きは三文の得。わたしは、お茶の水の橋の上に立っていた。夕方だった。たぶん六時ちょっと前だろう。(7ページ)


この「早起き鳥は虫をつかまえる」という語に〈わたし〉は特別な思いを持っています。〈わたし〉は20年前に九州の筑前から大学受験のために上京したんですが、「早起き鳥は虫をつかまえる」の和訳を解答欄に書けなかったんですね。

その上京する時に来ていたのが、「カーキ色の旧陸軍歩兵用の外套」(22ページ)です。

外套(がいとう)というのはコートを思い浮かべてもらってよいと思いますが、現代のトレンチ・コートやスリー・シーズン・コートとは違うと書かれているので、外套ならではの独特の感じはあるのかもしれません。

〈わたし〉がなぜ夕方にお茶の水の橋の上に立っているのか、その日の朝の話に戻ります。

 あの外套はいったいどこに消え失せたのだろう? いったい、いつわたしの目の前から姿を消したのだろうか? このとつぜんの疑問が、その日わたしを早起きさせたのだった。(23ページ)


〈わたし〉は家を出て、20年前に住んでいた埼玉県蕨市に電車で向かいます。当時住んでいた大家さんの所を尋ね、その当時の友達のことなどを回想しますが、外套の行方は分かりません。その後で、近くにある中村質店を訪れます。

蕨市の回想とともに振り返られるのは、終戦前後のことです。〈わたし〉は北朝鮮で生まれ、そこで学校にも通っていたんですが、戦争が終わると、周囲の環境は大きく変わります。

〈わたし〉は中学校で防毒マスクや鉄兜が穴の中に捨てられているのを見て、それをシャレコウベだと思います。「いったい誰の墓場だろうか? わからなかった。わかったのはただ、何かが終ったことだけだ。わたしの知らないうちに、何かが終っていたのである!」(153~154ページ)と考える〈わたし〉。

やがて家に朝鮮人民保安隊員がやって来て、家から追い出されることになります。〈わたし〉と兄は穴を掘って、レコードや雑誌、指揮刀、軍帽を中に入れて燃やします。

それから〈わたし〉は九州の筑前に行くことになるんですが、その土地とうまく馴染めません。訛りの強い言葉も言葉もそうですが、なにより将棋のさし方を知らないことが問題となります。「わたしにとって将棋は、土着のシンボルだった。それをマスターすることなしに、土着との同化はあり得なかった」(199ページ)んです。

〈わたし〉が知っていたのは、朝鮮将棋と曽祖父から習った挟み将棋だけ。曽祖父と挟み将棋をさす場面は次のように描かれています。

「それ、挟んで、ちょい!」
 と曽祖父は、わたしを相手に挟み将棋をさした。
「それ、挟んで、ちょい!」
 と、わたしも曽祖父の口真似をした。
「あいた、あいた、あいた!」
 これは自分の駒が左右あるいは上下から挟み撃ちに合って、取られたときの声だった。
「それ、挟んで、ちょい!」
「あいた、あいた、あいた!」
「挟むつもりが、挟まれた!」(198ページ)


いくつかの回想が紡がれていく中で、〈わたし〉は外套をいつどこでなくしたのかを突き止めることができるのか!?

とまあそんなお話です。曽祖父との挟み将棋がこの小説をよく表していて、「挟むつもりが、挟まれた!」というのが、全編を通した一つのテーマになっているように思います。

戦争について、そして外套についてもそうですが、あるべきはずのものがなくなった時の、不安感のようなものが色濃く現れた作品です。不安感というのは、もちろん安定しないものですから、どこにも寄りかかれないような、そうしたぐらぐらした印象のある小説なんですね。

一点触れておいた方がよいと思うのは、作中にゴーゴリの『外套』の引用が結構あるということです。読んでいなくても筋的にはついていけますが、もしかしたら先に読んでいた方が、より楽しめるかもしれません。

今回は「内向の世代」の作家を紹介しました。なかなか読まれていない作家だと思うので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。物語性ではなく、非物語性が評価されている作家です。

明日は、谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のおんな』を紹介する予定です。