米澤穂信『ボトルネック』 | 文学どうでしょう

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ボトルネック (新潮文庫)/米澤 穂信

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米澤穂信『ボトルネック』(新潮文庫)を読みました。

「ボトルネック」という言葉からは、ぼくはいつも『ザ・ゴール』を思い出します。

ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か/エリヤフ・ゴールドラット

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ちょっとだけ『ザ・ゴール』について触れましょうか。『ザ・ゴール』というのは、領域としてはビジネス書ですが、小説仕立てになっています。

まず「ボトルネック」について説明しますね。イメージの中で、水の入ったコップを逆さにしてみてください。水はばしゃばしゃ落ちますよね。では続いて水の入ったペットボトルを想像してみてください。

ペットボトルを逆さにすると、水は流れ落ちますが、もしペットボトルを真ん中辺りでぎゅっと握った状態で逆さにしたらどうでしょう。

水の流れはその握っているところで遅くなり、もし力を込めてペットボトルを握っていたなら、水の流れは止まってしまうはずです。

あなたが握っているその部分が「ボトルネック」です。

つまり、「ボトルネック」というのは、流れを阻害するなにか、のことです。本来ならうまく流れていくはずのものが、なにかしらの原因があって流れていかないわけです。

『ザ・ゴール』はそれを工場運営に当てはめているんです。潰れかけの工場が舞台になっています。理想上はうまくいくはずの工場のラインが、なにかしらの原因があってうまく回っていかない。

それを1つ1つ解決していくんです。「ボトルネック」を解消すると、また別の「ボトルネック」が表れるんですが、それをこつこつと解消していく。

「プラス思考」だとか「ポジティブに行こうよ!」という単なる精神論ではなく、いかに問題解決をするかという実例が書かれた本なので、分かりやすく、面白いです。仕事や経営に興味のある方はぜひ読んでみてください。

企業を描いた小説としてもなかなか面白い1冊です。色々シリーズもあります。

「ボトルネック」が分かったところで、米澤穂信の『ボトルネック』という小説に話を戻していきます。『ボトルネック』でも「ボトルネック」のイメージは同じです。

なにが「ボトルネック」になっているのか、それは解消されるのかどうか、にぜひ注目してください。

このブログ記事ではそれについてはもう触れませんけれど、パラレルな2つの世界の相違がなにによって起こっているかということです。それはラストシーンにも関わってきます。

作品のあらすじ


いきなり重い書き出しで始まります。

 兄が死んだと聞いたとき、ぼくは恋したひとを弔っていた。
 諏訪ノゾミは二年前に死んだ。ここ東尋坊で、崖から落ちて。せめて幸いなことに即死だったという。この二年、ぼくはノゾミの死んだ場所を訪れることができなかった。花だけでも手向けたいと、命日に近い今日を選んでようやく来ることができたというのに、兄のおかげでとんぼ返りしなくてはならない。死にざままで、まるで嫌がらせのようだ。(5ページ)


ここだけ読むと〈ぼく〉がなんだか冷たい人間のように見えますが、それは少し違うんです。家族関係にぎこちないところがあって、傷ついてしまっている〈ぼく〉なんです。

父親と母親はそれぞれ浮気しています。家族の気持ちはばらばら。純粋な兄のことを〈ぼく〉は嫌いというわけでもないんですが、どう接していいか分からないようなところがあったんです。

バイク事故にあってしまった兄。すぐ死ぬのではなく、時間が経ってから死んだので保険金も降りません。そんなもろもろの兄のタイミングの悪さ。これはバイク事故のことだけではなくて、兄そのものに対しての〈ぼく〉の感情です。空気を読めない兄。

諏訪ノゾミは、単純に言えば〈ぼく〉の恋人なんですが、少し違っているとも言えて、2人の間には恋愛感情というよりもシンパシー(同情や共感)があるんですね。

諏訪ノゾミは父親の借金のせいで、この土地に逃げてきたんです。そして母親はいなくなってしまいました。傷ついている〈ぼく〉と諏訪ノゾミは、寄り添うような関係なんです。そして諏訪ノゾミは死んでしまった。

〈ぼく〉が諏訪ノゾミが死んだ崖に立っていると、強い風が吹いてきます。その風で諏訪ノゾミは落ちてしまったんです。

すると不思議な声が聞こえ、「天地が逆転したように、平衡感覚が狂う」(10ページ)ように感じた〈ぼく〉は意識を失ってしまいます。落ちたと〈ぼく〉は思います。

気がつくと、東尋坊に行っていたはずなのに、金沢にいます。ポケットには帰りの切符がちゃんとあるのに。

とりあえず家に帰ると、見知らぬ女の子がいます。自分より少し年上の女の子。2人は言い合いになります。お互いがそこを自分の家だと言って。

家族構成や、他人には知りようのない事実をいくつか言いあった後で、その女の子はこう言います。

「想像してみるのよ、想像! あんたはアキオの息子で、ハジメの弟。で、あたしはアキオの娘で、ハジメの妹。でもお互いに面識はない。しかも二人とも、ここが自分の家だと思ってる。さて、二人とも嘘をついていないとすると、一体どんな解釈が可能になるでしょう?」
「どんな、って」
「まあ、無理だとは思うよ、キミには。想像力がないし」
 ・・・・・・足元を見て首を引っ込めていれば大抵の嵐はやり過ごせるというのに、想像力がなんだというのか。
 人差し指を軽く振ると、サキは指先をぼくに傾けた。笑いを含んだ目と声で、言う。
「決定的な解釈は、こう。・・・・・・二つの可能世界が交わっている。嵯峨野ツユが無事に生まれた世界と、生まれなかった世界が」
「・・・・・・」
「つまり、あたしはあんたの言うツユ。どうよ、これ」(33ページ)


〈ぼく〉の世界では、ツユと名付けられるはずだった女の子がいたんです。でもツユが生まれなかったから、その後に〈ぼく〉が生まれました。

一方、サキの世界では女の子が生まれてサキと名付けられ、〈ぼく〉は生まれなかったとそういうわけです。

同じ両親の元に生まれ、いわば姉弟のようなサキと〈ぼく〉。やがて、2つの可能世界ではささいな違いがあることに気がつきます。〈ぼく〉の世界で割れてしまったお皿があったり、〈ぼく〉の世界にあるイチョウがなかったり。

そして〈ぼく〉の世界ではもういない人がいて・・・。

この2つの世界は、片方に〈ある〉ものがもう片方には〈ない〉ように見えます。ところがバタフライ・エフェクトと言うんですが、あるささいなきっかけで、物事が大きく変わっていったのだということが段々と分かってきます。

そのきっかけとは一体なんだったのか。そして〈ぼく〉は元の世界に戻れるのか?

とまあそんなお話です。2つのパラレルな世界が描かれた作品です。より正確に言うと、〈ぼく〉が〈ぼく〉が生まれなかった世界に行く物語です。ちょっとだけミステリっぽいところもあります。

この小説はオープンエンドになっていて、分かりやすい結末ではないと思います。言わば決断して一歩を踏み出す前で終わっているような感じです。

これをプラスととるか、マイナスととるかで作品全体の感想が変わってくるんですが、その辺りの解釈はみなさんの自由でよいと思います。

可能世界が書かれた小説。ちょっと〈ぼく〉が暗いですが、物語の設定として面白いので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

おすすめの関連作品


リンクとして本を1冊紹介します。

可能世界というのはSFっぽい感じですが、SF的な設定でミステリを書いている作家に西澤保彦がいます。たとえば、『瞬間移動死体』はどうでしょう。

瞬間移動死体 (講談社文庫)/西澤 保彦

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瞬間移動ができる男が主人公です。自分の超能力を使って殺人を犯そうとするんです。結果あんなことやこんなことがあってうまくいかず、探偵役になるんですけどね。

その瞬間移動にはルールがあるので、ミステリ的にもちゃんと面白いです。西澤保彦は読みやすく、発想がSF的でぼくは結構好きな作家です。機会があればぜひぜひ。