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レベッカ〈下〉 (新潮文庫)/ダフネ・デュ・モーリア
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ダフネ・デュ・モーリア(茅野美ど里訳)『レベッカ』(上下、新潮文庫)を読みました。
『レベッカ』は以前読んだことがあるんですが、なんだかC・ブロンテの『ジェイン・エア』とかヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』と似たような印象だけ残っていました。
イギリス文学のある種の特徴として、女性家庭教師(ガヴァネス)の登場があげられると思うんです。『ジェイン・エア』や『ねじの回転』もそうでしたね。
女性が主人公で、貴族の屋敷に家庭教師として雇われる、というのが基本的なストーリーラインになります。そこで恋愛やら色々あるわけですが、貴族の目線で屋敷が描写されるのではなく、わりと一般の、読者の目線に近いところから、その大きな屋敷の描写がされることになります。
『レベッカ』の主人公は家庭教師としてではなく、奥さんとしてマンダレーの大きな屋敷に行くわけですが、その立場というのは非常に弱く、家庭教師が大きな屋敷に行った時の戸惑いに近い部分があると思います。見るのも聞くのも初めてのものばかり。すごくおどおどするんです。
タイトルにもなっている『レベッカ』というのは、主人公の名前ではなく、主人公の夫の前妻の名前です。ヨットから転落するという不幸な事故で亡くなってしまったレベッカ。屋敷の雰囲気、家政婦や雇い人の態度から、レベッカの影響力が今なお色濃く感じられるわけです。
ぼくはラッキーなことに、完全にストーリーを忘れていて、その分かなり楽しめました。はらはら、わくわく、どきどきです。実は『レベッカ』はサスペンスなんです。それもかなり上質なサスペンス。
レベッカはヨットから落ちて亡くなって、死体も出てきています。ところが、物語の後半で船が座礁するんですが、そこで沈んでいるヨットが発見されます。
そしてヨットの中には死体が1つ。一体誰の死体なのか? もしかしたらレベッカの・・・?
ヒッチコック監督の手によって映画化されていることでも有名らしいです、『レベッカ』。残念ながら、ぼくはまだ観たことがないです。文庫本の解説によると、ラストや細部が微妙に違うらしいんですけども。その内、機会があったら観てみます。
作品のあらすじ
〈わたし〉がマンダレーの屋敷の夢を見るところから物語は始まります。するりと鉄扉を通り抜け、マンダレーの屋敷にむかう道を進んでいく。道にはいつしか木々が生い茂っている。やがて現れる静謐な屋敷。ツタが生い茂り、廃墟と化した屋敷。おどろおどろしい雰囲気で、こんな風に書かれています。
雲が、それまで姿を見せていなかった雲が月にかかって、顔の前に突きだされた暗い手のように、ほんの刹那、そこに留まった。その途端、幻が去り、窓の灯もかき消えた。目に映るのは荒れ果てた抜け殻、無言の冷たい壁面に過去の名残さえ留めず、亡霊がさまよい歩くこともない、いまや魂のこもらないただの形骸となった家だった。
この屋敷は墓所ーーわたしたちを脅かした不安や苦しみは廃墟に埋められ、二度と甦ることはない。(上、10ページ)
ゴシック小説とかゴシックロマンと呼ばれるジャンルがありまして、いわゆる怪奇譚のようなものです。幽霊や古い屋敷が出てくる物語。『レベッカ』はそんな空気漂う描写から始まるんです。一体マンダレーの屋敷で何が起こったのか?
〈わたし〉がマキシム・ド・ウィンターという貴族の男性と出会うところに物語は戻ります。モンテカルロで〈わたし〉はある夫人のお手伝いさんみたいなことをしているんです。話し相手ということでお金をもらっています。
その夫人がいわゆるミーハーな性格なので、同じ宿に泊まっていたマキシムと強引にきっかけを作って知り合いになります。それからその夫人は熱を出して寝込んでしまいます。
〈わたし〉とマキシムは一緒にドライブに行ったりして、少しずつ距離を縮めていきます。先妻を亡くしたマキシムにいつしか心惹かれる〈わたし〉。〈わたし〉は夫人と一緒にニューヨークに行くことになります。離ればなれになるのが辛い〈わたし〉に、マキシムは求婚します。そうして〈わたし〉はマンダレーの屋敷に行くことになるわけです。
マンダレーは素晴らしい場所なんですが、〈わたし〉はいつも気後れしてしまうんです。何をやってもレベッカと比べられてしまうから。美しく、誰からも好かれていて、完璧な女性だったレベッカ。パーティーはこんな風だった、レベッカ様はこういうやり方だった、などのしきたりが〈わたし〉を苦しめます。
会う人会う人が自分とレベッカと比べてがっかりしているんじゃないかと思う〈わたし〉。マキシムのお祖母さんに会いに行っても、まあ高齢だからということがあるんですが、「どうしてマキシムはレベッカを連れてこなかったの? レベッカが大好きなのに。わたしの大好きなレベッカはどこ?」(上、380ページ)と言われてしまいます。
中でも、家政婦にダンヴァーズ夫人という人物がいるんですが、このダンヴァーズ夫人はレベッカが結婚した時からいる、レベッカのことを敬愛していた人物なんです。なので、おどおどして何もできない〈わたし〉を目の敵にします。礼儀正しいけれど、冷たい態度で接するダンヴァーズ夫人。〈わたし〉はダンヴァーズ夫人を怖れるようになります。
そして実際にダンヴァーズ夫人が〈わたし〉を罠にかけるようなところもあります。今なお強い影響力を持つレベッカの影に怯え、やがては大切な夫であるマキシムとも距離が生まれてしまいます。前半はこうした新しい環境に順応できない不安が描かれています。それからダンヴァーズ夫人との対立も。
物語は後半に大きく動きます。沈んだヨットから、1つの死体が出てくるんです。その死体は一体誰のものなのか? 物語は意外な方向性に進んでいきます。はらはら、どきどきのサスペンスになっていくんです。あえてあまり触れませんけども。気になりませんか? 気になる方はぜひ読んでみてくださいね。
事件の真相は一体どういうものなのか。次第に明らかになっていく真実。〈わたし〉の目に見えていた世界が一変します。この人はこう思っているんだろう、という想像が実は全く違っていたということが分かるんです。愛するマキシムとの関係はどうなるのか? この辺りから〈わたし〉の性質が大きく変わります。おどおどした子供らしさが抜け、しっかりした女性になっていくんです。
ゴシックロマンとしての雰囲気、サスペンスとしての展開が抜群に面白い小説です。
信頼できない語り手の手法のように、〈わたし〉の見えていたものが、実は少し事実と違うというのも面白いです。それぞれのキャラクターの態度や行動の意味合いが、物語の前半と後半で違って見えてくるんです。おどおどして被害妄想ぎみの〈わたし〉に若干いらいらしたりもしましたけども、それだけにこうした技法が活きてきます。精神的な成長も読み取れますしね。
唯一引っかかったのが、〈わたし〉とマキシムの恋愛です。同じく貴族との恋愛を描いたC・ブロンテ『ジェイン・エア』やジェイン・オースティン『高慢と偏見』と比べてしまうからということもあるんでしょうが、もう全然物足りないです。この2人がくっつく理由がすっと納得できなかったんです。お互いどこがよかったの? と。でもまあそれは物語として重要ではないところなのかもしれません。
サスペンス好きの人にはたまらない小説だろうと思います。興味を持った方はぜひ読んでみてください。面白いです。はらはら、どきどきがあなたを待っていますよ。ぜひぜひ。