三島由紀夫『金閣寺』 | 文学どうでしょう

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金閣寺 (新潮文庫)/三島 由紀夫

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三島由紀夫『金閣寺』(新潮文庫)を読みました。

『金閣寺』は三島由紀夫の代表作と言ってよいと思いますし、ぼく自身もかなり多くの場面を印象的なものとして覚えていましたが、読み直してみてびっくりしました。これは傑作ですね! ちょっと鳥肌立つ感じでした。間違いなく日本文学の金字塔です。

いや、分かってますよ。今更何言ってんだよ、ですよね。確かにそうなんですが、ご存知の方も多いと思いますけども、この小説は実際にあった事件を元にしています。実際の事件から想像すると、退屈なストーリーが予想されます。単にあれがこうしただけでしょと。ところが、その予想をかなり上回ってくるんです。その上回り具合が、三島由紀夫ならではという感じなんです。

この小説に関しては、どんな事件かを知っても面白さは全く減らないと思うので、背表紙を読んでも大丈夫ですよ。むしろある程度内容を知っていた方が楽しめる部分もあるかもしれません。なぜその事件が起こるに至ったのか? をずっと考えながら読んでいけるので。

仮面の告白』のところで三島由紀夫は華美な文体、耽美的な内容が特徴だと書きましたが、その三島由紀夫の文学的才能がぎゅっと凝縮されている感じの作品です。

ぼくは幸田露伴の『五重塔』の最後の場面がすごく好きで、文学史上に残る名文だと思っていますが、『金閣寺』における金閣寺の最後の描写はそれに勝るとも劣らない名文です。思わずごくりとつばを飲むような、手に汗握る迫力ある場面。

五重塔』は文語文ならでの迫力ということもあるので、現代的な文章で匹敵する場面を作り出したということは、これはすごいことですよ。とてつもない才能です。

物語の中では、物体として存在する金閣寺だけではなく、象徴としてのみ存在する金閣寺があるんです。『金閣寺』の書き出しは、「幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。」(5ページ)という一文ですが、金閣寺の美しさを語られてきた〈私〉の中には、いつしか想像上の金閣寺が出来上がっているんです。

それは実際の金閣寺よりも池に映った金閣寺の像に近いものがある、おぼろげな美の象徴です。そして単なる美の象徴のみならず、〈私〉が人生を歩もうとすると、金閣寺の像が浮かび上がってきてその邪魔をします。具体的に言うと、〈私〉が女と性交しようとすると、金閣寺の像が浮かび上がってきます。

女性の美と金閣寺の美が結びついてしまうわけです。物語は美というそのものに対して、いくつかの議論がなされます。これがなかなか面白いです。その中で「南泉斬猫」という公案が出てきます。公案というのは禅で使われる、答えを出すのが難しい問題のことです。

ぼくもこの『金閣寺』で初めて知ったので詳しくは分かりませんが、ある師匠が弟子たちに、問いを投げかけ、答えがないので猫を切ってしまう。ある弟子が帰ってきてその話を聞くと、履いていた靴を頭に乗せたと。その弟子がいたら猫は死なずにすんだのにと師匠が言う。そんな感じです。

公案なので、意味を読み取るのは難しいですが、これを『金閣寺』の中では、猫は美しかったんだと言って、美と結びつけています。柏木というキャラクターが出てきて、この公案について独自の解釈をするんです。詳しくは本編をどうぞ。

柏木は「世界を変貌させるものは認識だ」と言い、それに対して〈私〉は「世界を変貌させるのは行為なんだ」と言います。

こうした議論や、猫の公案などから美について色々考えさせられます。この辺りは様々な解釈ができそうなところなので、みなさんそれぞれが自由に考えていいと思いますし、興味を持ったら色々調べてみても面白いと思います。金閣寺が象徴する美について。それは同時に〈私〉が何故事件を起こしたかという動機の解明にも結びつくはずです。

金閣寺がそうした美の象徴であるのと対照的に、〈私〉は醜の要素を持っています。外面的なものではなく、〈私〉の内面的なものです。どもりがあって、外の世界とうまく繋がれないんです。いわばコンプレックスの塊ですね。そういった主人公像をぼくはとても共感できるので、より面白く感じられるというのもあります。

コンプレックスの塊である〈私〉によって、現実の物体的存在よりも美しく作り上げられた空想上の金閣寺。その美しさ。女性との関係に至ろうとすると現れる金閣寺のイメージ。そうしたものがいずれ〈私〉に何を決意させるかが、物語の読みどころです。

作品のあらすじ


金閣寺の美しさを父親から聞かされてきた〈私〉。いつしか想像上の金閣寺の美しさは〈私〉にとって特別なものになっています。どもりのある〈私〉はからかわれたりもしますので、そのことでコンプレックスを抱え、外界とうまく繋がれないと感じています。

父親の紹介で、金閣寺に住み込んで修行をすることになります。そこで出会ったのが、鶴川です。鶴川は本当にいいやつで、どもりのことも全然気にしません。コンプレックスを抱えた〈私〉は自分が陰だとすると、鶴川は陽だと考えます。悩みのないように見える鶴川。

僧侶の学校で、〈私〉は柏木という男と出会います。〈私〉は柏木に吸い寄せられるように近づいていきますが、何故なら柏木は足が悪いんです。自分と同じように陰の要素を持っていて、コンプレックスを抱えているだろうと思ったから。

ところがどっこい柏木は、そんな〈私〉の思惑を読み取って、怒鳴りつけます。柏木というのは不良性を持つ面白いキャラクターです。足の悪いことを逆に利用して、女性を口説き、関係を結ぶんです。独特の考え方をする柏木に毒されるように影響を受ける〈私〉。

そうした友人関係と同時に、〈私〉と女性との関係も描かれていきます。ここでの関係というのは性的なものではなく、単に出会いのようなものと考えてください。最初は有為子という美しい娘。ある出来事があって、〈私〉はこの有為子のイメージを強い印象として持ち続けます。

それから鶴川と見た、長振袖の女。座敷に陸軍士官と座っているんです。この女が乳房を出して、茶碗に乳を出す場面があるんですが、この場面がぼくはいつまでも忘れられません。すごく印象的で、美しい場面だと思います。

金閣寺に米兵と娼婦がやってきます。2人は口論します。そして米兵に言われて、〈私〉はあることをします。ここも物語の重要な場面ですね。ある種のターニングポイントになるところです。物語は〈私〉と老師との関係も重要になってきますが、この老師との関係が微妙に変化します。

柏木の紹介で、出会った女たち。「大滝」のまり子。なかなか童貞を捨てられない〈私〉の初体験はどういうものだったか。その前後で女性に対しての感じ方がどう変化したかにも注目です。特に乳房に関して。

〈私〉は時折目の前に現れる金閣寺のイメージに悩みつつ、やがてあることを決意するに至ります。物語は思わぬ出来事や真相が明らかになる展開があり、かなり引き込まれます。コンプレックスを抱えた人間がいかに生き抜いていくかという、ストーリー的な面白さ、展開の意外さ、そして象徴的な美の議論の印象深さ、耽美的な文章の美しさ、どれをとっても一級品です。

文章に酔うという言い方をぼくはあまりしませんが、まさにそうした言葉がふさわしい小説だろうと思います。単に名前だけ有名な小説ではなく、読んでいてかなり面白いはずです。内容も、文章も。

三島由紀夫の『金閣寺』、夢中になりますよ。日本文学ですごい小説を1冊読んでみたいと思っている方、ぜひ手にとってみてください。文章的な読みづらさはあまりないはずです。これはかなりやられました。今月のベストと言っても過言ではないです。面白かったです。おすすめです。