村上春樹『羊をめぐる冒険』 | 文学どうでしょう

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羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)/村上 春樹

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羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫)/村上 春樹

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村上春樹『羊をめぐる冒険』(上下、講談社文庫)を読みました。

デビュー作の『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』とあわせて3部作と呼ばれています。共通しているのは、〈僕〉と鼠というあだ名の友達、そしてジェイズ・バーというバーが出てくること。

風の歌を聴け』は〈僕〉と鼠と指の一本ない女の子の話でした。ラジオのDJから電話がかかってきたりもします。昔レコードを借りた女の子を思い出したりする。

架空の作家、デレク・ハートフィールドに導かれるように、〈僕〉は文章を書き始める。それはある種のアフォリズム(短い言葉で人生や思想などについてうまいこというやつ)に近いものがあって、鮮烈なイメージを内包していると同時に、断片的なものであって、長編の構造を持っていません。

1973年のピンボール』は、翻訳の事務所を共同で開いた〈僕〉が突然現れた双子の女の子と生活しながら、昔夢中になっていたピンボールのマシーンを探す話です。同時に鼠が街を出ようと決意する話も描かれます。こちらもまだ長編の構造を持っていないと言えます。

そしていよいよ『羊をめぐる冒険』の登場です。この作品は前の2作と大きく異なっているように感じます。それは文体や作風の違いというよりも、〈物語〉が語られるようになったという違いです。断片的なイメージの連なりではなく。おそらく〈物語〉の発想があって、それを表現するために文体や作風が変化したのだろうと思います。

ここで今〈物語〉とカッコにくくっている理由をちょっと説明しておきますね。単純にざっくりストーリーと同義語ととらえてもらっても構わないんですけども、少し違います。前の2作と対照的に考えることによって浮かびあがるものだからです。

ストーリーの基本形というのは、起承転結や序破急などがあります。起承転結は4段に変化するもので、序破急は3段に変化するものです。ちなみにぼく自身は序破急の考えの方がしっくりきます。「起」と「承」の違いがいまいち分からないので。

ともかく、A.あることが始まる→(A’.あることがつづく)→B.意外な出来事が起こる→C.結末に至るというストーリーの流れです。より簡単に言えば、スタートがあってゴールがあるということです。これが物語の構造です。

前の2作はこうしたストーリーの流れの発想になかなかなっていない部分が多いんです。『1973年のピンボール』はまだストーリーの流れはあるんですが、〈僕〉の章と鼠の章は分断されてしまっていることもあるし、過去の回想がかなりの量挿入されていて、物語の構造としては物足りない。

それに対して、『羊をめぐる冒険』はしっかり芯が通っているというか、起承転結や序破急の流れがしっかり組み込まれているわけです。つまりまずストーリーの発想があったと考えられます。その発想を含んだストーリーのことを〈物語〉とぼくはカッコつきで書いたわけです。

さてさて、初めて長編の構造を持つ『羊をめぐる冒険』は一体どんな物語なのでしょうか。

作品のあらすじ


物語はある女性の死の知らせから始まります。新聞記事を読んだ友達が電話で〈僕〉に教えてくれたんです。学生時代に出会った、誰とでも寝る女の子。〈僕〉は彼女の名前さえ忘れてしまっています。

この冒頭はやはり物語を象徴的に表しているように思います。喪失が描かれていること、そして名前が失われていること。

1973年のピンボール』で通訳の事務所を共同経営していた〈僕〉の仕事は広告業界まで広がっています。仕事で一緒だった女性と結婚したけれど、離婚してしまいます。

〈僕〉には新しいガール・フレンドができます。こんな風に書かれています。

彼女は二十一歳で、ほっそりとした素敵な体と魔力的なほどに完璧な形をした一組の耳を持っていた。彼女は小さな出版社のアルバイトの校正係であり、耳専門のモデルであり、品の良い内輪だけで構成されたささやかなクラブに属するコール・ガールでもあった。(上、51ページ)


彼女の耳がそれはもう特徴的なんです。耳を出すと、彼女の存在は大きく変わります。この辺りはうまく説明できないので実際に読んでもらうしかないですが、ちょっとスピリチュアルな感じです。「閉鎖された耳」「耳を開放した状態」など、ありそうでなかった斬新な発想で描かれていると思います。すごく印象的ですね。

広告業界の有力者であり、右翼の親玉であり、国家の命運さえ握っている超大物の部下が〈僕〉の会社にやってきます。ある写真が問題になったんです。〈僕〉が広告で使った一枚の写真。

羊が写っている、なんの変哲もない一枚の写真。ただ、それはずっと前にいなくなった友達、鼠から送られてきたものだったんです。〈僕〉は巨大な権力に脅され、それをフィリップ・マーロウ(レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説に出てくる私立探偵)ばりのタフな態度ではねのけ、しかし自分の意志で羊を探すことを決意します。

〈僕〉と完璧な耳を持つ彼女は、写真に写っている羊を探しはじめます。背中に星型の斑紋のある羊。旅の途中でちらつき始める鼠の影。明らかになる羊の正体とは? そして驚くべき盛り上がりを見せる物語の結末はいかに!? 

とまあそんな話です。これ以上はもうストーリーラインには触れませんが、完璧な耳を持つ彼女の耳が単なる耳ではないように、羊は単なる羊ではないです。もっと抽象的な存在になっています。これがすごく面白いんですね。分かりにくいようでいて、すごくよく分かるんです。精神的世界の話になってくるんですけども。

物語の後半は怒涛の展開を見せます。ある訪問者がやってくるところから。

ストーリーラインも抜群に面白いですが、ささいな部分もすごくいいんですね。たとえば、こんな文章。羊を探す旅に出るので、飼っていた猫を預ける場面です。

「よしよし」と運転手は猫にむかって言ったが、さすがに手は出さなかった。「なんていう名前なんですか?」
「名前はないんだ」
「じゃあいつもなんていって呼ぶんですか?」
「呼ばないんだ」と僕は言った。「ただ存在してるんだよ」(上、259ページ)


このあとやりとりはもう少し続いて、猫に名前がつきます。なんという名前がつくのかは、本編を読んでのお楽しみということで。名前についてのやりとりはかなり興味深いです。駅の名前の話など。

時間に関してのやりとりも面白いです。北海道に飛行機で行くんですが、汽車で行くと12時間はかかると言った〈僕〉に対して、完璧な耳を持つ彼女はこう尋ねます。

「それでその余った時間はどこに行ったの?」
 僕もグラタンを途中であきらめ、コーヒーを二杯注文した。「余った時間?」
「だって飛行機のおかげで十時間以上も時間が節約できたんでしょ? それだけの時間はいったいどこに行ったの?」
「時間はどこにも行かない。加算されるだけだよ。我々はその十時間を東京なり札幌なりで好きに使うことができるんだ。十時間あれば映画を四本観て、二回食事できる。そうだろ?」
「映画も観たくないし、食事もしたくなければ?」
「それは君の問題だよ。時間のせいじゃない」(上、267ページ)


こうしたユニークな会話が楽しめる人は、物語がより楽しめます。会話のやりとり、完璧な耳を持つ彼女のイメージ、引き込まれるストーリー、ラストに至る怒涛の流れ、全体を漂う喪失の雰囲気、星型の斑紋を持つ羊の存在。すごく面白いです。夢中になります。おすすめです。

やはり前2作を読んだ方がよいと思うので、ぜひ順番に読んでみてください。鼠のガール・フレンドなど、前に出ていた登場人物が出てきたりもするので。

ぼくは一番好きな村上春樹の作品を聞かれた時、いつもこの『羊をめぐる冒険』の名前をあげています。それだけ好きな作品です。

村上春樹は次、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を紹介する予定です。