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川端康成『雪国』(新潮文庫)を読みました。
川端康成については、『千羽鶴』のところでも多少触れました。日本で数少ないノーベル文学賞の受賞作家で、名前は多くの人が知っていますが、実はあまり読まれることのない作家のような気がします。
また、読まれたとしても、ある種の難解さみたいのがあって、なにが書かれているのかよく分からないんだよなあ、という感想を与えることが多いようです。
でも大丈夫。それでいいんです(笑)。すっきりはっきりした明解な文章を求める方は苦手意識を持ってしまうかもしれませんが、川端康成の文章は、分かりやすく書かれていません。それはあえて書かれていないといってもよいです。
たとえば冒頭は有名な一文ですが、こういう文ですよね。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。(5ページ)
この中にある「夜の底が白くなった」という文章は、非常に新感覚派的な文章でして、分かりそうでよく分からないですよね。それでいてイメージはなんとなく分かる。この『雪国』は性的表現や女性の美などがこうした詩的ともいえるイメージの連鎖で紡がれています。
有名な場面としては、汽車の中で島村が左手の人差し指を動かす場面があります。その指が女のことを覚えているというんです。ここも分かりそうでよく分からない。
性的なイメージが重なり合うことは分かります。でも具体的に何をさしているのかは、かなり分かりづらいはずです。ある種の想像はできますけども。
そうすると、謎解きのように文章をいちいち想像力で埋めていかなければならないのか、という疑問が湧いてきますよね。頭をフル回転させて、ここはこういう意味なんだと解釈して、そうしてようやく読むことができると。
もちろんそうして読んでもよいのですが、やっぱり疲れてしまいます。川端康成の文章はあまりにも仄めかしが仄めかしすぎて、仄めかしの仄めかしくらいの遠い叙述の仕方がされているので、本当に分かりづらいんです。完璧に読み解いたという人がいたら、それは嘘だと思っていいです。
ではどうするかというと、分からないものは分からないものとして読んでいくんです。さらっと読み飛ばせばいいんです。解決になってませんか? なってませんよね、すみません(笑)。でもこの難しいものが文学だ! むむむと眉間にしわを寄せて読む小説ではない気がするんです。
もっとさらっと、詩を読むように読んだ方がいいんです。肩の力を抜いて読むと、むつかしく難解だと思えた文章が、なんとなくよく思えてくるはずです。よく分からないけれど美しい文章。よく分からないけれど面白い会話のやり取り。そういうのがなんとなく分かればいいんです。
川端康成がどんなに世界的に評価されていようと、美しい日本語として読めるのは我々日本人だけです。これは幸せなことですよ。ノーベル文学賞を取っているからといって、なにがなんでも素晴らしいと思う必要はないですが、とても面白いところのある作家だと思います。読まないでいるのはやっぱりもったいないと思います。
ストーリーの面白さではなく、思想の面白さでもなく、みずみずしいなにかがある。非常に読みづらい文章ではあるんですが、とても魅力的な作家だと思います。ぼくはかなり好きな作家です。
実際に読んでみて、やっぱりよく分からないという感想でもいいですから、一度手に取ってみてください。今なおかなり新鮮に感じられる文章がそこにはあるはずです。
作品のあらすじ
物語の主人公は島村という文筆家です。踊りについての翻訳や文章を書いて生活をしているらしき人です。汽車に乗って雪国にやってきます。
島村は汽車の中で印象的なやり取りを見ます。葉子という娘が窓を開けて、駅長さんと話すんです。どうやら葉子の弟が鉄道信号所で働いているらしい。葉子には連れの男がいて、どうやらこの男は病人らしい。葉子とその男の関係はよく分かりません。
葉子という存在は最後まで謎めいていて、結局よく分からないです。ただ、印象的な声や目つきなどが丁寧に描写されています。注目して読んでみてください。
島村はある女に会いに行こうとしています。その女はずっと女と書かれるんですが、のちに駒子という名前だと分かります。
分かりやすいようにちょっと先走るような形で書いておくとですね、島村と駒子の関係は、3年くらいの期間で描かれています。冒頭のところは2年目にあたって、1年目の2人の出会いが回想の場面で描かれます。
それからまた2年目の現在に戻って、物語が進むと、島村はいったん自分の家に帰ります。そしてまたおそらく1年後ぐらいにこの雪国にやってきます。そういう構造になっています。
話を元に戻しますと、冒頭は女に会いに来たところでしたよね。島村は宿屋に行って、そして女に会うわけです。島村は女の格好から、芸者に出たのだと分かります。芸者に出るということが、どれだけ性的な意味合いを含むかはよく分かりませんが、素人ではないことは確かです。
2人の出会いの場面に時間が戻ります。島村は山歩きをして帰って来て、芸者を呼ぼうとします。ところが、宴会がたくさんあって、芸者が出払っているんです。踊りの師匠の家にいる娘なら呼べるかもしれないという。そうしてやって来たのが女です。
島村は清潔な印象に打たれます。それだけに島村は女に手を出そうとはしない。女もまだ芸者ではないんです。女は身の上話をします。生まれはこの雪国で、東京に売られていって、やっぱり水商売みたいなことをしていたらしい。お酌をしているというのが具体的にどういうことを指すのかは、詳しくはぼくも分かりません。
旦那がついたので受け出されたんですが、その旦那はすぐ死んでしまう。年は19才だといいます。
島村は女に芸者を紹介してくれと言います。ところがやって来た芸者が気に食わない。芸者も気に入られなかったと分かってすぐ帰ってしまう。島村と女の関係が少しずつ変わっていきます。
お客に呼ばれて酔わされてしまった女が、夜中に島村のところにやってくる。そして・・・。この辺りも分かりづらい文章ですが、色々想像しながら実際に読んでみてください。会話のやり取りもどことなくユーモラスで面白いです。
そして回想の場面が終わり、現在では、女は芸者になっているわけです。この辺りでようやく駒子という名前だと分かります。
一番冒頭に出て来た葉子と病人の男がいましたよね。この病人の男が、駒子の踊りの先生の息子で、どうやら駒子とは幼馴染の関係らしい。婚約者だったという噂もあって、駒子はこの病人の男の入院費を払うために芸者になったという話もある。
その辺りも本当のことはよく分かりません。駒子が病人の男の婚約者だったとすると、葉子がどういう関係なのかもよく分からないんです。
あえてちょっと省きますが、この病人の男のことで色々あります。やがて島村は雪国を去ります。それから一年後にまたやって来ます。島村と駒子の関係に、葉子が少し奇妙な形で絡んできます。まあその辺りは実際に読んでみてください。
物語はある印象的な出来事で唐突に終わります。その出来事がなにを表しているかもよく分かりません。ただ場面としてとても残酷で、それでいて美しく胸に残ります。
あらすじをおうとそんな感じでしょうか。島村と駒子の関係を中心に、病人の男や葉子などが複雑に絡み合う形になっています。
なんといっても駒子というキャラクターがとても印象的です。日記をつけていたり、適当ながらも聴くものの心を打つ三味線を引いたり。まつ毛の描写が非常に細かく丁寧にされます。話し方や態度などが少し乱暴なところがあって、決して美しいだけのキャラクターではないんですが、ほとばしるような情熱と独特な美の雰囲気があります。
この駒子と島村の関係に注目しながら読んでみてください。普通の恋愛とは違います。島村は家庭があるようですし、駒子もパトロンのようなものがいるらしい。
悠々自適な芸術家と芸者の関係を描いたといえばその通りですが、単純にそうとばかりは言い切れないような気もします。つまり金銭の授受で肉体関係を結ぶという、契約で結ばれた乾いた関係ともまた違うのです。不思議な関係です。
島村と駒子だけなら話はある程度理解しやすいのですが、そこに葉子という謎めいた存在が絡んでくるので厄介です。物語の筋はより混乱します。なにを描いた小説なのかは非常に分かりづらいところはあります。
それでも美しい描写や、感覚的な表現が読むものの心をとらえて離さないんです。物語の筋はともかく、文章をじっくり味わいながら読んでみてください。肩の力を抜いて、分からないところはなんとなく流しながらでもよいので。やはりとても印象深い小説です。ぜひぜひ。