西村賢太『苦役列車』 | 文学どうでしょう

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苦役列車/西村 賢太

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西村賢太『苦役列車』(新潮社)を読みました。芥川賞受賞作です。

いわゆる私小説ということが売りなのですが、今、私小説がどれほどの価値を持ってくるのかは少し疑問だったりもします。私小説の価値というか、島崎藤村などの作家の魅力というのは、作家が自分自身をさらけ出すことに、普通の小説にはないある種の驚きがあったと思うわけです。

ゾラなどの自然主義の流れも関わってきますが、こんなことが小説になるのか、という驚きです。作り物ではない魂の告白が、どんなにささいなことが描かれていても価値を持ってくる。それでも段々とそこに限界というか、廃れていってしまったのは、やはりストーリー的な物語が描けないということなんだろうと思いますけども。

どれだけ丁寧に現実をなぞろうとしても、それは無理なわけですし、小説はどうしても閉塞的なものになってしまいます。劇的な展開もない。そうしてやがて作者=主人公という構図は崩れたわけですが、その構図を現代に持ってくる時に、自伝やノンフィクションとはどう違うのか、小説という形式で自分の人生を描くことに新しい価値を見出せるのか、ということが問題になってくるわけです。

その辺りが正直ぼくは疑問ですし、もはや私小説というのは魅力的な要素でもなんでもなくて、つまんねーよと気軽に言えない空気だけ漂わせる、小説の仕組みとしてはある種の弊害ともいえる気がしています。事実を描いているから、つまらないとかそういうことではないんだ、という空気。やれやれです。

まあそんなことを書きつつ、決してこの『苦役列車』がつまらないと言っているわけではないんです。じゃあ面白いかというと、まあこれからおいおい書いていきますけども、楽しみ方はちょっと分からない感じです。同じ境遇の人が共感すればよいのか、それとも見下すような感じで読めばよいのか。難しいところですね。

作品のあらすじ


物語は北町貫太が小便に行くところから始まります。貫太は中学を卒業してから、家出をするような形で独立し、安いアパートに住んで、港で日雇いの肉体労働をしてなんとか暮らしています。父親が性犯罪を犯していて、家族はばらばらになり、まともな人生を歩んで行けないんです。

お金が貯まると風俗に行ったり。仕事を仮病で休んだり。

日雇いの仕事で、同じ年の専門学校生と友達のようになるのですが、なかなかうまく関係は築けない。どうせ中卒だからとコンプレックスの塊のようになっている。

そうした生活が描かれた小説です。エピソード的な動きはあまりなく、主人公の成長物語でもないですし、劇的な展開もないんです。現実を描いているんだからそれでいいのだと言われれば、まあ頷くしかないですけども。興味を持った方は読んでみるとよいと思います。文章的にはちょっと難しい語があったりして、若干読みづらい印象でした。

同時に収録されているのは、「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」という、文学賞の受賞をめぐる話です。

ぼくにはなかなか分かりづらい小説だったので、面白さが分かった人は、コメントしてもらえると嬉しいです。