¥3,150
Amazon.co.jp
ギュンター・グラス(池内紀訳)『ブリキの太鼓』(河出書房新社)ようやく読み終わりました。
池澤夏樹個人編集=世界文学全集 の5冊目です。読み始めたのは先月のドイツ文学月間の時からですから、かなり時間かかってます。いや~なかなか手ごわい相手でした。二段組みなんですよ。かなりのボリュームですよ。まったくもう。
『ブリキの太鼓』は映画にもなってますし、名前はご存知の方も多いだろうと思います。高本研一訳で集英社文庫全3巻でも出ています。
でも多分、実際に読んでいる人って少ないと思うんですよ。読んでる方いましたら、コメントでもください。健闘をたたえあいましょう。
『ブリキの太鼓』のイメージって、こどもが太鼓を叩いている感じだと思うんですが、まあ大体あってますけども(笑)。
物語は2層に読み解くことができて、第一層は肉体的に成長しない主人公オスカルの成長物語です。
作品のあらすじ
書き出しはこんな感じ。
んン、そうとも、ぼくは精神病院の住人だ。看護人が見張っている、ほとんど目を離さない。なぜってドアには覗き穴があるからね、看護人の目はブラウン、ぼくはブルー、これじゃあ見通すことなどできないさ。(10ページ)
主人公であり語り手である〈ぼく〉はいきなり精神病院に入っている。そこから〈ぼく〉が自分の人生を語り始めるという構成です。太鼓を叩きながら。
おじいさんとおばあさんの話から始まりますが、この辺りはざっくり飛ばしますね。そして両親の話になります。胎児の時に両親の話を聞いているんです。父親が商売を継がせようと言ったことや、母親が3歳になったらブリキの太鼓を買ってやろうといったことを。
〈ぼく〉は3歳の時に、わざと階段から転げ落ちます。そして〈ぼく〉の身体の成長はそのまま止まってしまうんです。3歳の身体のまま。〈ぼく〉はブリキの太鼓を肌身離さず持ち歩き、太鼓を叩くんです。もう一つ特殊な能力があって、叫び声をあげると、ガラスを割ることができる。
成長しない〈ぼく〉ことオスカルは、その独特な個性を持った目で世界を見つめていきます。母親には愛人がいることがわかり、自分の本当の父親が誰かを考える。それから小人たちと出会ったりもする。様々な人々と出会い、太鼓を叩いてジャズをやったりもします。
父親が分からないという構造は他にもあるんですが、ざっくり省きます。それからこれも詳しくは書きませんが、キリストとの関わりが重要なものになってきます。つまりオスカルとキリストが重なっていくということですけども。
そうしたオスカルの人生が第一層です。家族の話や、匂いに対する敏感な反応、看護婦に対する激しい執着など、色々な要素があって、決して読みやすくはないですが、それなりに楽しめるかと思います。
第二層は、政治的なことです。この物語が何を描いているか、ということはかなり重要で、つまりはポーランド辺りを舞台にして、ナチスの台頭を描いた物語なんです。オスカルの周りの人々が、ナチスにどのような影響を受け、どのような目にあっていくのか。そういったことを読み取らなければならない。
そうした第一層と第二層がまじりあった時、オスカルは何故こうしたキャラクターで、一体何が描かれている物語なのか、ということを考えさせられるわけです。
残念ながらぼくは第一層のストーリーラインしか追えず、深い考察までは至りませんでしたが、元々明確な答えが提示されている小説でもないような気がします。ある種の批判がなされていることはなんとなくは分かりますが、それ以上に様々な解釈が成り立ちうる小説だろうと。それだけにある種のすさまじい力強さを感じる小説なんです。
一点触れておきたいのは、語りの奇妙さについてで、オスカルが本当のことを言っているのかどうか疑問に思う箇所がたくさんあるわけです。むしろ本当のことを言っていないだろうと。つまり現実に起こったことを、読者はオスカルの主観というバイアスがかかった状態でしか読み取れないわけです。性的なことを読み取るのもなかなか大変です。どこまで本当のこととして読むべきなのか。
そうしたオスカルの個性を楽しむのもよし、解釈について様々な考察をするもよし、歴史について思いを馳せるもよし、と色々な楽しみ方ができる小説ですが、やはり難易度はかなり高めです。興味のある人はぜひ挑戦してみてください。読んで楽しい小説ではないのであまりおすすめはしませんけども。
忘れない程度に、毎日少しずつ読んでいくのが読破のコツかもです。ヤァー、ア!