昨日は昼から小保方さんのSTAP細胞釈明会見を思わず全部見てしまいました。
小保方さん、もう少し具体的かつ論理的な反論をするのかと思いましたが、発言を聞いていても「STAP細胞はある」ことを強調はしていても、その具体的な手順や内容については肝心なところは明かさずじまいで、「本当にSTAPはできたのか?」という疑惑が晴れるものではありませんでした。
あの彼女の置かれた状況ではもう仕方がないかもしれませんが、反省やお詫びは理解できるものの、研究成果の根拠がきちんと反論で示されないと、研究者としてはちょっとこの先は厳しいだろうなという目でやはり見てしまいましたね。
この手の会見や議論ではいつも思うことですが、日本人は最も大切なところや明確にすべきところをいつもウヤムヤしてしまい、最後は思いや情に訴えることが非常に多いという点です。
これは日本でいろいろ仕事をしてきていてもよく思うことだし、慣習のようなもの・空気のようなものが、情報の送り手・受け手の共に存在しています。
結局、聞いていても何か回りくどいし、すごく分かりにくいなあと思うことが多々ありますね。
それと、不服申し立てという制度の「実例」を見れたのは興味深いことだと思いました。労働者でも仕事で何かの不利益処分を被った時にこのような組織との戦い方があると思います。
小保方さんも、研究者とは言え、国家公務員であり、サラリーマンでもあるわけなので、組織と個人の相対する主張に対して、どのように物事を考えて行けばいいのか、考えるべきものはたくさんあったように思えました。
今後、理化学研究所が小保方さんを懲戒処分にしていくのは目に見えていますが、個人と組織の間の取り方についても、いろいろここから学べることがありそうですね。
大きな古い組織にいると、その中に属している個人の失敗は(最初は組織がかばってくれても)最終的には「トカゲのしっぽ切り」になってしまい、最後は切り捨てられるというのが日本のサムライ文化です。
「切り捨て御免」という文化が過去の日本にもありましたが、日本の組織文化というのは、仕事などではうまく個人を利用(搾取)しながらも、何か問題が起きてしまうと意外にもあっさり君子豹変してしまい、バッサリ切り捨てしまうというのが今回でよく分かりました。
組織も国家も、そうしないと生き残れない部分もありますから、理研や国ばかりを責められませんが、個人が仕事で大きなミスをした場合は、これからは個人も組織も双方を差し違える覚悟で相対しなければならないということですかね・・・。
大きな組織に属することの不条理さと切なさを二粒で味わえそうです。組織人でいることのメリットよりデメリットの方が多いように感じたのは私だけではないと思いますが。